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時代を語るその2 〜人種分離の壁と壁の狭間から

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前回の記事  「アメリカの富裕層の集まるバグルの中から、バブルの外から」では、どうしてアメリカでは貧富の間に怒りが蔓延しているかを突っ込んで書かなかったが、これは人種間の隔たりといっても過言でない。 昨夜黒人の投票権獲得に焦点をあてたマルチンルサーキング牧師を指導者とした市民権運動の映画「Selma」を見て来た。それは現在あるアメリカ国内の諍いの始まりだ。 1960年代当時、肌が褐色で生まれ、黒人が多い住民区域に生まれ育ったばかりに 教育を受けられない、希望通りの職業に就けない、住民税を支払っても行政サービスを受けられない、個と個、群と群の争いや不公正を裁くための法や制度をつくる政治に参加できない、自分たちの声を届けるための代表者を選ぶ選挙に参加できない、よって司法にも陪審員としての参加も許されない。 こうした権利剥奪の生活は奴隷として、民主主義の国アメリカ合衆国に連れて来られた黒人のおかれた環境だった。映画「セルマ」では、市民権運動の闘争をピークとして有色人種の投票権の獲得が、キング牧師とジョンソン大統領との駆け引きで勝ち取られた様子が伺われる。しかしそれで全ての人種差別政策が取り払われ、人々の心の中の差別意識が静まった訳ではなかった。 映画「セルマ」では、憲法で基本的人権としての投票権登録が保証されているにも関わらず、黒人が選挙登録に行くとレジストラーが難癖をつけ、黒人の投票権を阻止していた様子が描かれていた。いくら法が改善されても、それを行使する人々の心が変わらなければ、そこには大きな壁が横たわっていることを如実に表していた。それは抑圧してきたもの、人の上にいたものの恐怖という形で表れる。 市民権運動の 最後の要として住居区の隔離も1968年に禁じられた。しかし米国南部でなく ニューヨーク近くのコネチカット州の軍港の街に育った夫は、1970年代初頭に近所でおこった事件を覚えている。始めて白人ばかりが住んでいる居住地域に黒人の軍関係者の家庭が引っ越そうとした、すると白人の家庭が「この地域の平和が乱れる」という理由でその引っ越そうとした黒人家庭を追い出さんと署名に廻って来たのだ。その時、白人の父親は大声で署名に集めに来た近所の人を怒鳴り返し、その時やって来た黒人家ぞくと今でも、近所の幼馴染として家族ぐるみで

時代を語る〜その1、アメリカの富裕層の集まるバブルの中から、バブルの外から

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2015年の幕開けですな。ここのところ、フロリダに住みはじめてから、貧富の差や人種の隔たりを感じる。 一昨年の夏から夫とこどもを北部へ残し、単身リゾート地フロリダの大学で教えている。といっても去年から下の娘は大学寮生活をはじめ、今年大学卒業年の息子もNY市郊外で大学生生活を送っているから、残したというより巣立っていった。夫はマサチュセーッツ州でも全米中の裕福層が高等教育の充実さと住み易さで集まている大学町で、これも私学で教鞭をとっているから私の仕事先についてくる訳には行かない。私はここメキシコ湾を臨むビーチ沿いの街に全米中の億万長者が年に数週間過ごすための別荘億ションの並びで仕事をしている。 その富裕層の豪奢ぶりは、開発、観光という名の下に年々加速度がましている。物質面での豊かさは社会全体の豊かさの向上とは言えるだろうか。豊かさの 傍らで、連邦政府肝いりの医療制度が変革したものの、相変わらず貧者は生活苦からのがれられない。暮らしぶりを市町村の単位で守るはずの福利厚生は「福祉」「社会主義」という名目で、資本家同士の競争意識を削ぎ落とすとばかりに充実していない。だからますます富めるものは最先端の技術や医療等の恩恵を受けられるが、ほとんどのものが必ずしもそれらを受けられないし、貧富の溝は深まる一方だ。これら貧者の富裕層に対する怒りや憤懣が、この国には蔓延する。もうアメリカドリームというあこがれはない。それに輪をかけて、人種間のセグリゲーション、隔離化も広がり、もう一発触発の騒ぎを昨年も何度もおこした。ある大学の市民運動史を教える教授によれば、60年代の市民権運動が盛んだった頃より、現在はさらにセグリゲーションが浸透しているという。それはこの南部の中でも観光地フロリダにおいて、まさに肌で感じる。 大学の研究所  上記の写真は近所にある富裕層の別荘地、街の中心にあるヨットハーバー、下段の写真は私学の大学の寮や構内の様子である。娘達の友達の話を聞かされると、その桁外れの豪華さには驚かされる。例えば、同室学生はカリフォルニア州マリブ出身(豊かな家並みはハリウッドを勝る)で高校時代にBMWを親を買ってもらい乗り回し、それを大学まで宅配便で運んでもらったり、息子の下宿先の友人はロックフェラー家(その資産は国家予算をしのぐ)のライバル家の子女であったり、