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いやー 続編、すばらしいミュージカルで感動

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感動でドキドキが止まらなかったミュージカルが、いつまでも脳裏を離れない。 いまだにコーラスを口ずさみ、 一緒に踊ってしまう。 Guy and Dolls というブロードウェイのショーを高校生が好演した。 彼らの舞台を観ていると、ブロードウェイのショーも、近隣の大学や、プロのショーも陳腐に見えてしまう。 高校の講堂なので、小規模でマイクを一切使わないから、手に取る様に見える臨場感からかもしれない。 シンプルだが、 よく工夫を凝らした 舞台デザインのせいかもしれない。また照明デザインもよく出来ていた。 オーケストラ=ピットまで舞台上に作り上げ、さらに女子生徒が20人 ラインダンスをして 舞台せましと踊り回り、 場面に応じて場末の踊り子の舞台になったり、 救世軍の教会になったり、地下の賭場になったり、すっかりストーリーに入り込んでしまった。 とくに1年生の頃から知っている15−18歳の大人顔負けの体つきと、お色気いっぱいの迫真の演技には圧巻で、、、もうもう男の子のスーツ姿で舞台の上からウィンクを投げる様は、クラクラするほど。 男子生徒までこんなに成長したかとただただ驚きである。 確かに中には、演技もまあまあ、台詞も間違いも抑揚もなくこなす子がいて、学芸会にふと戻る瞬間もあるが、しかしそこは全体でカバーしてしまうのが、高校演劇の醍醐味。コラボレーションの固まりといった感じ。また舞台監督も音楽監督もすごい、 本場、NYのブロードウェーイで長年演劇にかかわり、妻と小劇団を作ってしまったTim Holcom監督は配役は、最高だった。演出から、照明といった細々としたことまで全て2ヶ月で仕上げてしまった。 音楽も18歳と思えない卒業生がピアノを担当しながら、指揮をし、声楽監督とボイスドレーナーはあの巨匠バーンスタインとオペラのプロダクションに関わったというコーラスの先生だったり、親で他校でコーラス教師をしている父親だったりした。 こまかな説明にはきりがない。ただただ、17歳の高校生が隠しきれない湧き出る色気と、天然に備わった勘でギャンプラー好きのヤクザな野郎に恋心を抱き続け、16歳の下級生扮するヤクザ野郎がそれをどう扱ったらよいかと、どぎまぎしながら歌に踊りにあわせていく。 高2の小柄な男子生徒がいつの間にか身に付けてしまった、男の色気で救世軍に成り済ました女子生徒を賭けで落とそうと

いやー いいドラマに心じんわり

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見終えた充実感がじわーと味合えたドラマを3本紹介。最近はアメリカでも日本のドラマがほぼ同時的にコンピューターさえあれば、見られるのはありがたい。 まだ放映中のドラマから, 「ありふれた奇跡」 山田太一脚本 山田太一が数年ぶりに、しかもこれを最後にしたいというドラマ 鳴り物入りのドラマでした。 「ふぞろいの林檎たち」で育った私としても思い入れが多いので、楽しみだった。 もう、じっくり観てしまう。演技のいいの,ストリーの展開がいいのと、ごたごたいってられないぐらい、総合的によかった。最近は、最後の顛末が分かってしまうドラマが多いなか、新鮮なストリー。何がおこるか分からない。しかも心情が丁寧に描かれている。 はまりきってしまうドラマです 。 ぜひおすすめです。 このドラマに出会ったきっかけは、脇役からだった。 脇役のどの一人をとっても、観るだろうキャストだった。しかも主演男優の加瀬君は、「それでも ボクはやってない」をインターネットで観て以来の注目株。。 風間杜夫、 八千草薫 陣内孝則  。。。等 あらすじ : とある日の夕方、駅のホームに立っている中年男・藤本。たまたまその場に居合わせた女・加奈と男・翔太は、藤本が列車に飛び込もうとしていると感じ、咄嗟に突き飛ばす。しかし、藤本は死ぬつもりなどまったくなかったと言い、ふたりを強く非難する。 ふたりが、藤本が死のうとしていると感じたのには訳があった。翔太と加奈には互いに人には言えない心の傷があったのだ。それでもふたりの距離は少し ずつ近づいていく。そして、それぞれの家族――加奈はその両親と祖母の4人家族。翔太の方は父と祖父の男三人所帯。どちらも一見普通で、それほどの苦労も 抱えていないように穏やかに見える。しかし、それぞれの登場人物には心の傷があり、家族にも言えない秘密があった。 噂に聞いていた「 ライスカレー」 1985年制作も観た。倉本聰脚本、ドラマ全盛時代。金妻に移行していく前のよき時代のドラマはよかったな。この話は、「北の国から」の倉本聰らしい展開だった。しかし彼のキャラが出て来たストリー内容、やっばアメリカに長い間いる私としては、主人公の高校野球で燃え尽きてしまったあとに、何か燃えるものを探しにカナダまで行くのはいい。しかし幼なじみとの婚約、親から結婚を反対されるとしおれた、中井貴

母となる瞬時(とき)II 自宅出産編

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出産は自宅と決めていた。しかも「たのしいチベット医学の本」をたまたま出産前に訪ねて来てくれた友人にもらった本を一気読みした。それによれば、生まれでて来る赤ちゃんに出来るだけ刺激(目にそして全ての感覚に)をあたえないように、さらに母体を守るため、暗がりで4週間過ごすことに、大賛同して、励行すると固く心に誓っていた。 陣痛といっても七面鳥を食べ過ぎた程度に夫は考えていて、朝をまって感謝祭の祝いで散らばっている助産婦を呼び集めた。 まず一番遠くにいた夫の母が最初に駆けつけ、メキシコ国境で助産婦の訓練を受けたドイツ人助産婦が、人類学者で各国のお産を研究しているもう一人の助産婦を携えやってきた。一度も超音波の診察も受けず、しかも胎児の呼吸を聴診器に毛がはえたもので聞いただけだったが、子どもは何事もなく生まれてくると疑わなかったのは、今から思えば不思議と言えば不思議だ。 そして子どもを宿している間に、助産婦の自宅への定期健診と同時に、お産介添え人の訪問も何度か受けた。私たちがどういう精神状態になるかを予測し、お産を無事に乗り越えられるよう母となる、父となる準備や生まれ出る生命との出会いの心構えみたいなものをいろいろサポートしてくれた。また私が意識を平静状態から脱したとき、どうなるだろうと相談にのってくれ「きっと日本の童謡を歌いだすかもしれない」という突拍子もない提案に、では自分も日本の童謡に付き合うから、練習のためテープに吹き込んでおいてくれと、ご親切に申し出る始末。数ヶ月も続いたつらいつわりを、童謡はいつも私の心を和ませてくれた。そこには妊娠中に一度激励に訪ねてくれた実家の母も、いつも心の支えとなってくれてた叔母たちもいなかったのに、初産への不安がなかったのは、この出産介添人の友人と、助産婦や義母の温かい励ましがあったからだろう。 こどもとの初対面のドラマは半日が過ぎようとしていた、翌日の昼過ぎにしらせを聞きつけた友人が握り飯と弁当を持参してくれた。助産婦たちは相変わらずのんびりとお茶を別室で飲み、初産の長丁場に構えて、みなリラックスしたものだった。夫や義母、介添え人に腰をさすってもらいながら、定期的にやってくる陣痛をやり過ごしている。このときの私の顔は、痛みに多少引き連れこそすれ常時笑っていて、後で写真をみると生まれてきた赤子そっくりの顔で輝いていた。やがて

Vienese Ball ウィーン舞踏会デビュー

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政治ネタから一休み この間までスカートをはくのをいやがっていた我が娘が、学校の行事で舞踏会でワルツを踊ることに。最高学年の8年生が、修学旅行の資金集めにワルツを勉強し、親や先生やはては学校のPTAの協力を得て、チェンバープロの音楽の先生らの奏でる室内音楽とともに舞踏会をする。ウィーンのケーキを焼き、正装しておしゃれをし、一時のプチ社交会に興じる。 前に子どもの成長に関して、出産時を思い出して文章を書いたので、添付する。 母、父となる瞬時とき 犬の散歩を子育てに例えるのもなんだが、ふと信頼を子供に、犬におくというのは同じではないかと考えた。わが家の雑種犬マーリーはまだまだ子犬の遊びたい盛りの2歳半。人間でいうと思春期真っ只中だろう。ちょうど娘13歳、息子16歳にあたる。 マーリーと私は我が家の庭続きの森から裏山にかけ紐なしで散歩する。マーリーは公道を渡るときだけ、紐をつけてもらいに自らやってくるが、それ以外は、自由に私の回りを前後して1~3kmかけて歩く。時に全速力で走り、時に立ち止まり、時に姿を消す。裏の森には誘惑がいっぱい待ち受けている。一番の追いかけっこの相手はリスだ。からかいを真に受けてマーリーは、思いっきり追っかけていって、やがて木に登られ見失う。他にも誘惑は春が来たと盛んに告げる色とりどりの小鳥のさえずりだったり、前に埋めといた大事な骨だったり、野生の動物の食い散らかした獲物の臭いだったりする。これらのものが、森や裏山中、いたるところで嗅覚と聴覚で彼女に甘い誘いをかけてくる。また姉妹の犬や近所の犬が遊びに来ると、つるんでとんでもないところまで知らない間に出かけていくこともある。それでも、私たちは紐をつけて歩かない。マーリーは時々自分がどこにいる見失うほど遊びほうけて散歩にはぐれることもある。子犬の学校で一緒に訓練を受けた犬は、よほど飼い主に従順だったなと感心したことを思い出した。散歩からはぐれたとき、自分で出て行って姿が見えなくなったとき、まったく不安にならないと言えばうそになる。あれほど公道をうろつくなといっておいたのに、他の犬にたぶらかされたりして、渡っていけない道を横切り車に轢かれていないかしら、また追いかけっこや穴掘りに夢中になって迷っていないかしらと、悪いことばかり考え始める。すると2~3時間後に決まって何気ない顔で玄関先のポーチに一人で戻ってき