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キング牧師の最後のスピーチ「Mountaintop」スピーチ

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明日はキング牧師の誕生日にちなんで米国は祝日になります。 キング師の’I have a dream' はあまりにも有名なスピーチですが、彼が暗殺で倒れる前日 、体調を崩して演説の代打をたてていたのに、集まった人数があまりに多いからと、急遽原稿なしで、テネシー州メンフィスのゴミ清掃員のストライ クにおいてスピーチしました。そしてこれが最後となりました。 このスピーチは今のOW Sを思わせます。キング牧師は1968年ベトナム戦争に巨 額の税金が使われていることを指弾し、すぐさま'Poor People's Campaign'(貧民大キャンペーン)を展開します。 これは現在の 米国や世界の若者を中心とした金融街占拠に通じると考えさせられます。 そこへ1963年ジョンFケネディー大統領の暗殺がおこり、65年には最終的にキング牧師と手をつないで市民権運動を進めて行こうとした矢先にマルコムXが暗殺され、さらに68年に 、憲法の保証する言論の自由の権利、印字の権利など 合衆国政府の弾圧は 自国の 憲法違反だとして、 戦争問題と貧困問題を指弾したキング牧師も暗殺されました。そして69年に このキング牧師に「アメリカ中の貧者をDCに集めては」と提案していた ケネディー大統領の兄、ロバート・ケネディー上院議員も暗殺されます。 キング牧師最後のスピーチでは暴力に訴えるのではなく、経済産業界に消費者である市民に公平な扱いをするように求めました。60年代に今でも米国を蝕む産業界の不平等、経済社会の不均衡を、すでに指摘していたのでしょう。これらを是正するにはある程度の自己犠牲をも甘んじて払わなくてはいけないといっています。  unconstitutional injunction. All we say to America is, "Be true to what you said on paper." somewhere I read of the freedom of assembly. Somewhere I read of the freedom of speech. Somewhere I read of the freedom of the press. Somewhere I r

年末、年始ニューヨークとボストンで過ごす。個性の反映した旅のあり方?

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辰年の年頭におきまして、初春のご挨拶申し上げます。 今年はマクロなビジョン大局的な視野に立ち、地産地消に加え足下からの平和を打ち立てていければと抱負をたてました。どうなることでしょう。辰年ですから、舞い上がりやすい私ですが、地に足をつけられるでしょうか。 私達夫婦は、まったく対照的な旅の過ごし方をします。 私は日本人によくありがちに、まず初めての土地へ行ったら、事前に、もしくは到着した空港で集めたガイドを眺めて、行きたい場所やレストランをチェックをして行きます。 観光地だったり、美術館だったり、はてはネットで見つけた穴場だったりします。 仕事でいっても、仕事の後にしっかり観光やおいしい穴場を必ずチェックします。 お金をかけて現地まで行ったのだから、その分、元をとろうとするのが魂胆です。 最近「いつもパワフルで」と、年賀のコメントやfacebookでよくささやかれておりますが、自身は「そんなにパワフルにあちこち動き回っているように見えるかな」と首をひねってもおります。いつも自然体でいるつもりなのに、その私の自然体こそがあちこち駆け回っていることに気づかされもします。 しかし夫はのんびりするために旅行するので、 欲張りにあちこち回ろうとはせず、気が向いたら観光でも穴場でも回ろうかというスタンスです。 この年始、年末は我が家に来ていたオーストラリアからの留学生とNY、ボストンへ泊まりがけで行って来ました。これら車で2−3時間の街には、いまではよく日帰りで食料品買いに出かける位です。 今回のNYとボストンは、留学生の希望通り動こうと予定を組まず、家族4人プラス留学生で出かけました。 事前の用意は、宿の手配とブロードウェイショーのチケットを手に入れた位でした。  これがオーストラリア人や娘、息子、夫の旅の過ごし方です。 せっかくクリスマスにNYへ来たからと、ゴスペルをハーレムの教会で聴こうと誘っても反応なし。 ではクリスマスの時期に有名なロックフェラーセンター前のアイスリンクでスケートをしようとしても、ヨーロッパやアジア諸国の観光客が黒山の人だかり、5番街から リンクのあるロックフェラーセンターまで身動きできないお上りさんの長蛇の列で「またにしよう」とすぐあきらめます。 結局、世界一の舞台の広さを誇るメトロポリタンオベラ劇場ま