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北米東海岸ニューイングラン地方、森の村の行政サービス

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カリブからまた夏限定でモンタギュー村に帰ってきた。ここは北米の田舎町でも、60年代の米国カウンターカルチャーの流れを組む村だと以前にも書いた。俗に言うヒッピーのコミューンがあり、車で2−3時間のボストンやニューヨークから流れてきた農村に帰ろうとするBack to the nature・  Protesting Vietnam Warの学生たちがきて農業と19世紀からの工場町に上記のように新たなコミューンが加わり2重構造の村になった。 1970年代当時だれも疑問視さえしなかった原発に、このコミューンの若者が村人の家一軒一軒をまわり近くに計画された原発とは一体何なのか、そしてその原料や機能の面で永久的なその危険性がつきまとうと反原発運動をおこした、という歴史をもつ村である。またそれに加えて近くには総合大学のマサチューセッツ州立大があったり、日本の歴史とも関係が深いウィリアムクラーク、新島襄、内村鑑三が卒業したアマースト大や、数々の大統領夫人が出た女子大スミス大、マウントホリヨーク大があったり、大学教授らが州のやり方に反発し自ら創設する学位取得があるハンプシャー大があるので、学生が多い一方、学生時代を終え、そのまま居座り家族をもったり、持たないままコミュニティーにいるものが多い一方、農民の子孫や工場労働者もいる。 村民の多くはプログレッシブ(革新)だからあらゆる人種も民族も文化も同性愛の人々も混在するが、その広がりは北部の大都市ほどない。というのも職がないから、住みたくても現金収入先が非常に少ない。最高峰の教育、博士号をもっていて農業を営みファーマーズマーケットに出店して僅かの身銭を稼いでいるというのも多い。細々とコミュニティー紙を発行している、普段はボストンやNYシティーで仕事をし週末だけ家族の元に帰ってくるものもいれば、2−3世代前におじいちゃんや曽祖父母が大金を元に財団を作ったので、そこから低収入をもらっているトランスとファンドつまりオールドマニー出身の住民もかなりの割合いる。昔から大金持ちでもないものや、新しく移民としてやってきたものもいるにはいるが、白人以外の人口 がいるにはいるが、ほとんどが近くの大学に通勤通学する住民であって、圧倒的な白人中心の村だ。白人の人たちは世代を超えて教育の場でも職業でも優先されてきたから、いくら数十年前から背景の多様

アメリカの健康食品、サプリメントのからくり

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今度はSpirulina (昔日本で流行ったクロロフィルに味が非常に酷似、世界の特定の湖に生息する藻の一種、フラミンゴはこれを主食にするからビンクだとか)ですと。 ここ数十年、日米いろいろな健康食品がブームになっては消えていく。アメリカではどこのオーガニック食品や自然食品店でもサプリや健康食品コーナーが棚を埋め尽くす。ここらモンタギューでは田舎の生協や雑貨屋さんにまで下記の健康食品やサプリがほとんど入手可 そのサイクルは日本での三日坊主飽きやすい健康オタクの人々の周期よりはるかに短期だったりする。ざっと覚えているだけでもこんなにもあった。そして効能も果てしなく続く。以前はこれらは食品とみなされ、このモンタギューのあるマサチューセッツ州では食品には消費税がかからないから、これら健康食品やサプリ栄養食品は関税の対象ではなかったが、数年前に州法で消費税の対象となった。 Kombu cha (どれにもこんぶ茶と書いてあるが原産ウクライナではコンプ茶といわれているそうだ。日本で40年ぐらい前に流行ったウクライナ産紅茶キノコ) Flex Seed (フラックス・シード体内で作られないOmega を豊富に含んでいる) Coconut Water (ココナッツの中身;ポタシアム、つまりカリウムが豊富に含む、こむら返りや急激なスポーツのあと足がつる時、筋肉の収縮をはやめるため即効) Acai (ヒマラヤでとれる細胞活性化作用がおおきいミネラル含有) Chia seed (中南米の山間が原産 Cacao Powder (チョコレートの原料、カカオ豆を粉末にした、血液をアルカリ性に替える) Green Tea (緑茶のエッセンス、いわゆるお抹茶) Wheat Grass (日本の青汁に相当するようだが、青汁ほど苦味はない、アルカリ性食品) Tarmeric(ウコン、カレー粉の主原料、肝臓をきれいにする) Whey Protein (乳酸食品からとられたタンパク質) Ginger(生姜、血液をきれいにする) Probiotic (乳酸菌、善玉菌として整腸の働きがある) Fiber (繊維食品の粉末) Bee Polen ( 蜂が集めてきた花粉;花粉アレルギーに効き目があるようだ) 我が家の棚には「体にいい」、「ダイエットに効果あり」いわれ、話が

夜明け前のキューバ, Cuba: at the Crossroad to the Globalization. English is at the bottom.

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初めてConventional Tourとして(パッケージの海外旅行)キューバへ行ってきました。それでも宿と交通機関はすべて自分で手配し、国内移動はオプショナルツアーに参加し地方の海外旅行客専用のホテルに宿泊しました。 社会主義国キューバが生き残るために、盛んに外貨を取り入れ、現代ワイヤー文明にまもなく参入します。 1959年キューバ革命勃発。 1961年 米国政府はキューバとの外交関係を断絶し、少量ながら続けていたキューバ産砂糖の輸入も全面禁止した。CDA(Cuban Democracy Act、キューバ民主化法)が米国議会を可決。米国籍企業の海外支店がキューバと貿易することを禁止する。米国市民がキューバに旅行することを禁止。キューバ人亡命者が家族に送金することを禁止する法律ができ、キューバはますます窮地に追い込まれる。一方1962年キューバにおけるソ連のミサイル基地の建設とミサイルの搬入が明らかとなり、核戦争の危機寸前になったが危機を米国ケネディ政権とソ連でなんとか回避( キューバ危機 )。これにより、アメリカとキューバの関係は一挙に悪化した。 キューバの暮らしは米国との貿易に支えられてきたが、その多大な生活物資の輸入先は米国からソ連、さらに反米の近隣ニカラグア・サンディニスタ政権、パナマのノリエガ政権とシフトしていった。物質経済は壊滅状態は免れたが、米国企業を排除し米国資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社、銀行・商業・工業の大企業を国有化していった。よって 1973年 までに26万人以上がキューバを去った。 しかし人民の生活レベルでは社会主義・共産主義同盟国の他国が崩壊していった1990年がある意味ターニングポイントであった。1989年ベルリンの壁崩壊、東西冷戦終了、 パナマ・ノリエガ大統領が米軍の侵攻にあい拿捕され、1990年2月ニカラグア共産党ダニエル・オルテガ選挙に敗れニカラグア共産党崩壊。ソ連崩壊後ゴルバチョフ大統領もキューバ訪問をして原油のキューバ向け輸出削減1989年以前の40%輸出からから1992年7%に削減。数少ない輸入先の経済が壊滅状態でキューバ国内の物質が欠乏し、電力源の頼みの綱であったソ連からの原発輸入もチュルノブイリ事故で原発建設計画が頓挫し、油がなくなって建設・工事・製造の電力も乏しくなった。そこへ新しく輸

日本の一首相が米国国会で演説。1875年福沢諭吉が著した「文明論概略」から検証

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先月, 同僚の東洋史研究家の韓国人教授が、日本の近代史で一番注目すべき図書は福沢諭吉の「文明論概略」だといってきた。 自分のクラスでは世界現代史でもアジア史のクラスでも生徒にこれを読ませ、アジアの近代を考えさせているというのだ。彼女は上海で東大でNY大で東洋近代史の研究をしてきており博士号をもち、大学で中国・朝鮮半島・日本を中心に近代史や文化史を教えている。 私は岡倉天心の「茶の本」が近代アジアを語るには以前から重要だと考えていた。同僚教授は自分も岡倉天心とターゴルの交流も研究したこともあるが、韓国や中国の知識人の間では少なくとも福沢の著書はそう考えているという。そんな「文明論の概略」を再読してみた。若い頃に授業で「学問のススメ」を読まされた経験があるが、これはあまりに前で「記憶にない。また川端康成の文学が好きで日本語を習い始めた昔の教え子が、大学で日本文学をとっているが福沢諭吉を担当教官に勧められて読み始めたが、どれか彼の代表作を紹介してほしいと連絡してきたので、ますます身を入れて「文明論概略」を読み始めた。 時も時、先週、戦後首相の孫である安倍が米国議会演説をすることになりその内容と彼の主義主張がどのようなものであるか、140年前のこの本が諭すところがまるで反映されているかを検証してみた。 確かにこの福沢諭吉の本は日本のアカデミック界ではアジア蔑視の思想だ、いやそうじゃないと論争を醸し出している。しかし私はギリシャ哲学者のプラトンが「Repubulic 共和国」で各種の政治体系を分類した章との類似を認める。似ていると思って読んだ。福沢の国家の成り立ち発展度はその国の市民の文明度や政治家の文明度と大いに相関関係にあると言っている。されば日本の首相演説を聞きイデオロギーを見る限り、まだまだ半文明国だと言わざる得ない。 福沢曰く「物事の道理を知るものは道理を知れば知るほど、自国の様子を明らかに知ろうとする、、 (しかし半文明国は)物事の道理を議論する際は、疑いをもってわからないところについては聞き出すという勇気を持たない。、、、社会にルールがないわけではないが、習慣の力が強くてルールとして機能していない。文明には外に現れる「事物」と内側に存在する「精神」の2種類がある。では、その「文明の精神」をはなにか、これは人民の「気風」である。この「気風」を

時代を語るその2 〜人種分離の壁と壁の狭間から

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前回の記事  「アメリカの富裕層の集まるバグルの中から、バブルの外から」では、どうしてアメリカでは貧富の間に怒りが蔓延しているかを突っ込んで書かなかったが、これは人種間の隔たりといっても過言でない。 昨夜黒人の投票権獲得に焦点をあてたマルチンルサーキング牧師を指導者とした市民権運動の映画「Selma」を見て来た。それは現在あるアメリカ国内の諍いの始まりだ。 1960年代当時、肌が褐色で生まれ、黒人が多い住民区域に生まれ育ったばかりに 教育を受けられない、希望通りの職業に就けない、住民税を支払っても行政サービスを受けられない、個と個、群と群の争いや不公正を裁くための法や制度をつくる政治に参加できない、自分たちの声を届けるための代表者を選ぶ選挙に参加できない、よって司法にも陪審員としての参加も許されない。 こうした権利剥奪の生活は奴隷として、民主主義の国アメリカ合衆国に連れて来られた黒人のおかれた環境だった。映画「セルマ」では、市民権運動の闘争をピークとして有色人種の投票権の獲得が、キング牧師とジョンソン大統領との駆け引きで勝ち取られた様子が伺われる。しかしそれで全ての人種差別政策が取り払われ、人々の心の中の差別意識が静まった訳ではなかった。 映画「セルマ」では、憲法で基本的人権としての投票権登録が保証されているにも関わらず、黒人が選挙登録に行くとレジストラーが難癖をつけ、黒人の投票権を阻止していた様子が描かれていた。いくら法が改善されても、それを行使する人々の心が変わらなければ、そこには大きな壁が横たわっていることを如実に表していた。それは抑圧してきたもの、人の上にいたものの恐怖という形で表れる。 市民権運動の 最後の要として住居区の隔離も1968年に禁じられた。しかし米国南部でなく ニューヨーク近くのコネチカット州の軍港の街に育った夫は、1970年代初頭に近所でおこった事件を覚えている。始めて白人ばかりが住んでいる居住地域に黒人の軍関係者の家庭が引っ越そうとした、すると白人の家庭が「この地域の平和が乱れる」という理由でその引っ越そうとした黒人家庭を追い出さんと署名に廻って来たのだ。その時、白人の父親は大声で署名に集めに来た近所の人を怒鳴り返し、その時やって来た黒人家ぞくと今でも、近所の幼馴染として家族ぐるみで

時代を語る〜その1、アメリカの富裕層の集まるバブルの中から、バブルの外から

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2015年の幕開けですな。ここのところ、フロリダに住みはじめてから、貧富の差や人種の隔たりを感じる。 一昨年の夏から夫とこどもを北部へ残し、単身リゾート地フロリダの大学で教えている。といっても去年から下の娘は大学寮生活をはじめ、今年大学卒業年の息子もNY市郊外で大学生生活を送っているから、残したというより巣立っていった。夫はマサチュセーッツ州でも全米中の裕福層が高等教育の充実さと住み易さで集まている大学町で、これも私学で教鞭をとっているから私の仕事先についてくる訳には行かない。私はここメキシコ湾を臨むビーチ沿いの街に全米中の億万長者が年に数週間過ごすための別荘億ションの並びで仕事をしている。 その富裕層の豪奢ぶりは、開発、観光という名の下に年々加速度がましている。物質面での豊かさは社会全体の豊かさの向上とは言えるだろうか。豊かさの 傍らで、連邦政府肝いりの医療制度が変革したものの、相変わらず貧者は生活苦からのがれられない。暮らしぶりを市町村の単位で守るはずの福利厚生は「福祉」「社会主義」という名目で、資本家同士の競争意識を削ぎ落とすとばかりに充実していない。だからますます富めるものは最先端の技術や医療等の恩恵を受けられるが、ほとんどのものが必ずしもそれらを受けられないし、貧富の溝は深まる一方だ。これら貧者の富裕層に対する怒りや憤懣が、この国には蔓延する。もうアメリカドリームというあこがれはない。それに輪をかけて、人種間のセグリゲーション、隔離化も広がり、もう一発触発の騒ぎを昨年も何度もおこした。ある大学の市民運動史を教える教授によれば、60年代の市民権運動が盛んだった頃より、現在はさらにセグリゲーションが浸透しているという。それはこの南部の中でも観光地フロリダにおいて、まさに肌で感じる。 大学の研究所  上記の写真は近所にある富裕層の別荘地、街の中心にあるヨットハーバー、下段の写真は私学の大学の寮や構内の様子である。娘達の友達の話を聞かされると、その桁外れの豪華さには驚かされる。例えば、同室学生はカリフォルニア州マリブ出身(豊かな家並みはハリウッドを勝る)で高校時代にBMWを親を買ってもらい乗り回し、それを大学まで宅配便で運んでもらったり、息子の下宿先の友人はロックフェラー家(その資産は国家予算をしのぐ)のライバル家の子女であったり、