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インバウンドビジネス: 海外ビジターを日本に迎える 先ずインフラ施設整備

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インバウンドビジネス: 海外ビジターを日本に迎えるには、 先ずインフラ施設整備を 数年前より個人的見解をブログ上で、facebook 上で、さらにはJapan Tourist Bureau観光局に「海外からのビジターを受け入れるにあたって設備整備をもっとしてほしいと」発信してきた。下記のように海外から日本へ帰国して気になった点を指摘した。 するとかなりの反応があった。日本に拠点をおく旅行社社員に多く読まれたと伝え聞く。 当時の私の指摘を振り返ってみると: 車椅子、ベビーカーのアクセス、公共交通機関が飛躍的に整備され拡充される中、スーツケースも含めたランプアクセスが絶対的不足している。地下鉄でもエレベーターがなかなかついておらず、古いものに敢えてエレベーターアクセスを入れるとホームの隅っこにあって見つけにくい   日本語以外の公共機関、公的私的の表示やサインがなく、まごつくこと、またそれにともなうスマフォやタブレットでの駅構内での日本語以外の対応が全くない wifiの設備を大幅に増幅させ、日本以外の国のスマフォ・携帯電話でもアクセスできること(日本以外ではどこの国でも同じ周波数が使われるが、日本のみが周波数の範囲が違うのでどれも使用できない) お金をかけないでも日本国内を旅行出来るような宿泊所や交通機関があってもいい。長らく円高が続いた後で円安になった途端、海外旅行者がうなぎのぼりに増えた。確かに中国、韓国、台湾の経済力貨幣の交換レートがよくなったのも、その原因である。外食はかなり安価でもできる。しかし現実には高価な通訳案内がつくパック旅行でしかなかなか国内をまわれない仕組みになっている。まわりたくてもどうしていいか、日本国内どこの主要駅でも右往左往している外国人観光客を見かけては、声をかけ道を教えてあげる。表示を訳してあげている。日本語以外でも比較的英語表示のある新幹線はパックツアーじゃなく個人で移動できるが3万円近くするレールパスを使うもしくは運賃が決して安くない。安価な在来線、高速バス、レンタカーで高速道路を利用となる日本語がどうしても必需となる。個人旅行とくにお金をかけないバックパッカーでも旅行出来るという国は、イコールその国がいかに経済的にも国として観光客に開かれているかというバロメーターになると考える。例えば、昨年の夏私自身

考える力、感じる能力 ”sense” and ”think”

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July 23, 2016 Ruth Ozeki ‘ A tale for the time being” 息子の友人が勧めた著書を読み終えた。読後感いっぱいの内容の濃い本だった。父親の仕事で幼児のころからアメリカで育った主人公が、その父親の事業の失敗で日本に戻り、日本の高校で卑劣なイジメにあいながら、寺院に暮らす得度したおばあちゃんから精神力を高めることを教えられる様子が描かれている。主人公のためちゃんがダメな父親だと思っていた男から考える力と、感じ                      る能力が人にとっていかに大事かを諭されるといった下りもある。   考える力は現代のマス教育(多数の生徒を一度に教え込もうとする教室における教育を指す)における学力テストでは、考える力より記憶する能力の有無や優劣によって決まる。またその学力テストの結果で、その人の人生が決まってしまうかのように取られる。 私は大学で言語を教えている、 自分の生まれ育ち、最初に取得した第一言語は感覚や音でそれが正しい文章かどうか判断できる。しかしそれ以外の第二言語、第三言語を取得するには記憶力にたよるしかないと、とられがちだ。 果たして記憶ばかりだろうか。 これは言語を学習するばかりではなく、数学においても、しかりである。 数式や公式、法則さえ覚えれが数学ができると信じる学習者も多い。大型公立高校に通う米人夫の十人もいる姪らもその典型だ。数年も前、姪の一人から、数学を教えて欲しいといわれ、ピタゴラスの法則を引用しこの問題文を解くのよと、法則から教えた。すると「Auntie どの公式をこの問題文に適用すればいいかを教えてくれればいいのよ」なんて言われた。そして、イエール大学の小学生対象の数学夏キャンプにいって優秀な成績で表彰された 別の姪は、 今は公立小学校で、算数の教師になっている。 公式の成り立ちなんか必要ないわと、教える側になっても言っている。いかに学力テストで高得点を取るかが教師に要求されているのよ。そうしないと教育委員会の予算がおりないからと、特に学習に不利な環境の家庭の子供達に算数を教えている。 しかしこうした、数学の公式や、物理の法則がいかに導き出されたかを知っていなければ、応用もできないということを学習者は気付き、考えることを要求されるのではないだろうか。 実は言