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民主主義と資本主義,相容れるか。一人の票がいかに反映されるかを見守った選挙でした

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この町、隣の町、どこでも投票所は一杯でした。 町の新聞に依ると、となり町アマーストはどこも30−60分待ちだったそうです。そして投票結果は,オバマ候補が我が州選出マサチューセッツ州元知事に6倍差をつけ獲得し、さらに全米でも注目されていた上院議員(Senator)も民主党候補,エリザベス・ウオーレン氏が4倍差で,僅差になるかもと予想されていた共和党候補ブラウン氏を破りました。 高い投票率でした。フロリダでは投票終了までに並んでいる人全員が投票出来ないという騒ぎが出て、投票人は怒り狂っていました。民主主義の根幹が保証されないなんて、フロリダ州知事の臨機応変の無さ、決断力に欠いた現場の官僚が批判されています。それに比べ、コロラドや中西部では急遽投票所を教会やモールに作ったとも聞いています。 前回のブログにも書いたが、息子は18高校生の時町役場へいって選挙登録をし、他州の大学で暮らしているから、初めての選挙は不在者投票で早々と済ませた。娘の友人は、大学と実家とどちらが自分の一票に重みが出るか考え、大学のあるオハイオ州は民主党共和党接戦という事で、そちらで選挙登録を済ませました。選挙の始まるぎりぎりまで試験期間前休暇で実家に帰っていたので、選挙期間がはじまると大学のあるオハイオ州まで24時間以上も長距離バスを乗り換え、帰って行きました。 こんな盛り上がりは一部の報道機関では2008年のオバマ初戦の大統領選以上だとも言われています。 またある意味、それ以上に意義がある事だったと報道されていますが、こちらに暮らしてみるとそう実感します。 国が経済破綻しかけている、それを立て直す為にはどうしたらいいか、失業率問題、年金の前倒し、健康保険、などなど資本主義と民主主義がどう相容れていくか,一人一人が問われていたのだと思います。

米国大統領選のカギとなるか、連邦健康保険制度とそのモデルとなったマサチューセッツ州健康保険制度

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大統領選を控え、オバマ現大統領とロムニー候補の公開討論会があった。 日本の多くのメディアが 討論会後の世論調査でロムニーの優勢を伝えている。 ロムニーが以前、州知事をしていたマサチューセッツ州の地元をみるかぎり、必ずしも真実を伝えてはいない。 もともと有力な候補をたてていなかった共和党に対し、オバマ優勢を報道していた米国メディアにあって、今回の討論会で両党候補が接戦になったとは盛んに言われている。    しかしいくらロムニー候補が討論会の戦法を知り尽くし、なおかつ討論するときの態度や素振り、表現方法がいいからといって、中道派や浮動票が彼を擁する共和党に動くだろうか。討論会のパフォーマンスでどちらが長けているかを判断するのが、今回の討論会の目的ではない。討論会を日常的に目にしている米国の投票者が、上辺だけの討論のパーフォンマンスだけに簡単に心が動くとは考えられないのだが。アメリカの選挙民は日本の選挙民よりもっと真剣に政策に耳を傾け、結果や数字を考慮して投票に臨む。  今日も大学生の息子が、18歳になって選挙登録をし、他州の大学へ行っているので(彼の友人には大学のあるところで選挙登録をしているものも多い)不在者投票の手続きをし、初めて挑む選挙に意気盛んに両候補の政治方針を吟味していた。 *しかし確かにNewsWeek 日本語版の冷泉氏のような意見もある 「(略) こうしたTV討論については、通常は「内容」 にはそんなに注目がされる ものではなく、どちらがミスをしたとか、攻撃が効果的か、 防戦はできたかというよ うな、いわば格闘技のような見方をすることになるわけです。 TV討論というのは、そ れ以上でも以下でもないというのが常識的なところでしょう。」これって選挙民を馬鹿にしていないか。TV討論会聴衆者は確かに論者がミスを犯すとおもしろがるし、揶揄もする。しかし話の内容もしっかり聞く。 ここで討論会の終盤に論じられたオバマ大統領率いる民主党懸案の国民健康保険が現在、どのように現行医療制度で、また税制で扱われているだろうか。

空港、航空会社比較 マイレージをためるぞの旅 その2

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。 July 17-18  Fin Air: Nagoya – Helsinki  スリランカから日本に戻り、一週間後には予定通りFin AirとIceland Airを乗り継いで米国への帰路についた。日程を変更してまで日本に残りたかった予定があったが、帰路変更不可の航空券だった事が判明し,そうそうに米国に向かった。ヘルシンキでは郊外にて、世界で恐らく日本人とフィンランド人位にしか知られてないム−ミンに会えるかなと期待しつつ、森を散策したかった。しかし滞在日数が少ないので,とても効率よくできている列車に飛び乗った。森の国フィンランドなら、どこに向かってもすぐ森にぶちあたるだろう。と予想したが到達せず、世界デザイン博をやっている首都ヘルシンキあたりを廻って予定日数2日はあっという間にすぎてしまった。 しかしスニフキンが釣りをしていそうな水辺にはたどり着いたが、帰りのバスが時間通りやってこない。 しかたなく郊外では拾えないと言われていたタクシーで,一路飛行場行きのシャトルバスが出発するヘルシンキ中央駅へ向かった。ヘルシンキ市内には縦横にバス路線が張り巡らされているようだが、今ひとつどの路線でどのバス停かはっきりしなかった。ヘルシンキ空港へ向かうバス路線は2カ所あり、低額な方の市内バスに乗り無事空港へ2時間前に到着。そしてアイスランド空港エキスプレスにて、ヘルシンキよりレクキャビックへ到着。 July 19-20 Iceland Air Helsinki-Reykjavik-JFK 翌日、国際空港からwifiつき大型市営バスで首都レイクキャビック市内に到着。アイスランドもスマフォ普及率はすごい高い。空港内はもちろんバス内も大抵のホテル、安宿のホステルもwifiが使用可だった。 しかし宿は前回とは打って変わって実に不案内なホステルに宿泊。レイクキャビック市内は以前のアイスランド自然踏破の旅に比べ、いかにも退屈な旅となった。噂に聞いたシーフードの店を探し当てたが、予約がないとだめと足蹴にされる。ここは女一人旅、なんか嫌煙されているようだ。さらに2−3軒廻るが、どこも混んでいるか予約なしで受け入れられずなんか、しけた寿司屋にはいって翌朝、ニューヨークへ飛び立つ。朝、早く起きているにも関わらず、予約していた空港へのシャトルバスが全然出発

2012夏・旅ジャーナル わずか一ヶ月で7つの航空会社、JAL系One Worldに怒り、スターアライアンスに勝算

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JFK-Iceland -England-Oslo-Helsinki-Nagoya- Tokyo-Kuala  Lumpur -Sri Lanka - Helsinki -Rkajavic -Boston,-Victoria, Canada-Bainbridge Island-Seattle WA-Boston  June 11   Mega Bus, Long Island Railway, Air Tran: Amherst-NY Manhattan-JFK    空港比較をするまえに、まずはグランドトランスポーテーション、空港までの交通手段から。自宅のあるマサチューセッツを出、最近でてきたヨーロッパ系格安長距離バス・メガバス(事前にネットで予約をいれると2−3ドルで普段30−40のバス路線が時間帯によって手に入る)で一日前にNY空港へ向かう。他のグレーハウンドやピ−ターパンバス等の集まるバスターミナル・バスターミナルでなく、SOHOちかくにおろされ、知人にマンハッタンのカラオケボックスへ連れてかれる。いやはやマンハッタンのカラオケはすごい、曲の充実さに驚かされる。日本人のいやアジア人の人口の多さの成せる技か、それともタイムズスクエア、しかもコーリアン通りの近場で韓国系移民の財源の豊かさなのか。とにかくマンハッタンにある3店のユニクロ店、イースト・ビレッジのラーメン、たこ焼き屋台とともに、日本が恋しくなったら車で3時間行き甲斐がありそうだ。などと考えながら、日本行きの旅がアイスランドから始まった。JFK空港までモノレール・エアートレインに乗る。ニューヨーク市長が躍起になって改築をはかる市内を縦横にはしる地下鉄メトロの乗り場と連結している各ターミナル行きのモノレールだ。これはシカゴ空港より、サンフランシスコ空港より、ワシントン空港より、ニューヨークの他の空港(ラガーディア空港、ニューアーク空港)工事中のロス空港 より公共交通機関への連結が便利で標識も分かりやすい。 June 12  Iceland Air, JFK- KF , Iceland  JFK空港から、一路アイスランドへ。国が経済破綻にあい、巻き返しをはかってか、米国のNYではメトロなどあちこちで自然の温泉写真と宣伝されているアイスランド空港に乗り込む。一日に2本もJ

坂口安吾の「日本文化私観」を読みながら、スリランカの旅はつづくSri Pada Journal II

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スリランカの旅は続く、 家族全員iphoneを携帯してスリランカの古代遺跡と仏教遺跡を廻った。 娘たちはiphoneから70年代以降の音楽をカーステレオで流したり、ラジオで地元の音楽を聴いたり、息子はiUniversityで英国や米国の有名大学の講義を聴き、 私と仏教僧は日本のiBunko青空文庫書棚より、著作権の切れている日本の書物をネットで貪り読んだ。技術進化によって旅のスタイルは変わった。ビートルを聞きながら、シリギリヤ遺跡の標高500m以上もある岩山を目前に、道なきジャングルを砂嵐をあげながら軽自動車で走り回った。それもほとんどが数年前までは考えられない旅行者が狙われていた内線地であった。 マレーシアでも、スリランカでも日本より無料ネットアクセスWiFi が、ある程度のホテルカフェにあるので、それらに停車するたび音楽や書物をダウンロードして聞きまくり、読みまくった。ネットアクセスがないところでは、スリランカの書物、仏教書籍を手にホテルで、車内で読書を楽しんだ。時には地元の人に呼ばれて家や寺院を訪ね、お茶や飲食をごちそうになることもあったが、24年前と 随 分と様変わりし、心の有り様も、遺跡の見方さえ変化した旅となった。 現地で勧められた日本の作家の書物に 坂口安吾の「日本文化私観」があった。下記の文章が妙に訴えかける。「タウトが日本を発見し、その伝統の美を発見した事と、我々が日本の伝統を見失いながら、しかも現に日本人であることの間にはタウトが全然思いもよらぬ距りがあった。ー略ー我々は古代文化を見失っているかも知れぬが、日本を見失う筈はない。ー略ー湾曲した短い足にズボンをはき、洋服を着てチョコチョコ歩き、ダンスを踊り、畳をまくって安物の椅子、テーブルにふんぞり返って気取っている。それが欧米人の眼から見て滑稽千万である事と、我々自身がその便利に満足していることの間には、全然つながりが無いのであるあ。我々が彼らを憐れみ笑う立場と我々が生活しつつある立場には根底的に相違がある。我々の生活が正当な要求にもとづく限りは彼らの憫笑がはなはだ浅薄でしょうがないのである。」 確かに24年前スリランカを訪問したときより、サリーを着ている女性は少なくなった、南スリランカではむしろイスラム正装の女性が目だった。また都市部の住宅は近代化され、彼らの携帯電

Sri Lanka スリランカ 仏足山の月は語る

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Galle, Sri Lanka 仏足山の月は語る 今夏 夫と成人前の息子と娘と日本で落ち合って スリランカへ佛教遺蹟を巡礼した。 スリランカへ発つ前に、「何故スリランカなのか」と問われても返答のしようがなかったが、今帰路に着き本当に来て良かったと実感する。 いつも自分のスケジュールは自分で立てるからと親の干渉に贖う子供らも 今回のスリランカ行は素直に従った 地元の仏教僧の案内で一枚岩の山を上ったり、つい一年前までとくに旅行者は足を踏み入れられなかったない地へ家族で回った。 海抜2200mにそびえ立つ聖山に暗がりの中登頂したり、小さなスズキのレンタカーにのって、未舗装の道を膝を抱え、荷物に潰されそうになりながら何日も揺れ続けた。 九州と四国を足した面積の島国を南は数千年以上も前から栄えた王朝があったゴールから 北は仏教の聖地 スリランカ版竜宮城のナガディバ島まで走行距離2000kmを一週間半で走り抜いた。 私も夫も それぞれ1988年の平和行脚と奉仕活動や、1991年北インドのチベット仏教盛んなラダックへ来た際にランカへも来ている。また家族では 2004年のクリスマスに来る予定だったが直前 乗り継ぎ空港で津波のニュースを聞き、入れなかった地であった。 コロンボ空港に降り立つとそこは、もう20数年前のスリランカの様相からすっかり変わった近代空港になっていた。客の風貌も完全burkaに身を包んだイスラム教徒の母親が子どもを何人も従え闊歩しているかと思えば、中国人の子供の団体が我が物顔でゲートを乗っ取っていたり、 最近世界中の空港で見かける韓国人女子大生グループ旅行者や ロシア人グループと、20年前のスリランカよりずっと多彩になっていた。しかも空港に降り立ってすぐ、スマフォでネットが使用できた。 電化製品の免税店が空港内を所狭しと軒を並べている。ネットで予約しておいたスリランカのレンタカー会社から迎えがきていたので、家族4人日本の予約した軽自動車に乗り込んだ。 空港から出ると 失礼ながら予想以上に様変わりした空港での驚きとは裏腹に 外は 25年前と寸分変わらぬスリランカの街の姿と喧騒があった。タイやインドではリキシャとかトゥクトゥクと呼ばれるオート三輪車が右往左往し その間を3-4人乗りでオートバイが隙間を縫うように走り去って行く

先生、77歳でご退官、ますますご活躍を

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先週、昨年まで学んでいた大学院の教官先生の退官記念フォーラムがありました。77歳にして、ますますご活躍の恩師の姿を拝見し益々頭が下がりました。世界中の大学から諸先生方のお祝や論文発表を伺い、先生の長年のご努力や功績をさらに間見ることができました。数十年も世界中を飛び回り寸分惜しまず研究され、水泳も欠かされないことで健康を維持されていたんですね。自分を律する先生の跡についていければと願わずにはおれません。

日米の税制のちがい? ソーシャルセキュリティー番号とは?

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一月ほど前に、米国確定申告をEファイルした。 毎年ソフトウエアー会社から、今年の税制を盛り込んで修正したソフトは要りませんかと 無料でTurbo Taxなど送られてくる。(連邦政府への申告ファイルは無料だが、各州税務局への納税は有料、よって州も電子申告したい場合は、そのファイルをいれた後、州をネットで選択して注文)。 今年はその外にも、一昨年2010年の連邦政府への確定申告に修正が必要と昨年末に通達されたので、それを60日の期限内にPast Taxというソフトを使用して2月上旬に提出していたから、そちらからも割引ソフトが来ていた。 どちらか迷った末、2010年の1月末に提出したものと同じTurboを今年も使用した。 まず、ここで米国の納税期限を紹介しよう。 前年度の確定申告の期限は連邦政府へは毎年3月15日前後、そして州政府へは4月15日前後になる。しかし今年は連邦政府への申告期限が4月の中旬に食い込んだ。 かといって大学や私立の高校へ授業料の助成、エイドを申請する場合、もしくは(新しく導入された米国健康保険制度のもとで保険請求をする場合も、家計を報告する義務があり、そうした場合はそれぞれの機関へ家計の報告として確定申告書を提出することが求められており、それらへの期限が実質確定納税申告の期限になる。 自営のみでなく、雇用されているものでも雇用主が、従業員の代わりに税務署へ各人の申告を肩代わりするわけではない。夫婦としての共同申告、もしくは夫婦でも独り者でも個人申告を選択して申告する。それは、各家庭の収支を報告する税金申告には 給料明細の他に、各家庭で銀行、証券会社、保険料、不動産固定資産税などを申請したり控除が発生し、それらを含めた収支を申告しなければ行けないからであろう。雇用主が従業員の給料は把握していても、個人にかかる預金や証券、保険等の動産や、不動産所有は各自でつかんではいない。

脳の刺激、それともボケ防止のため

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中学高校、大学生の子供たちの過去とった講義のノートや自作の教科書、レポートを整理していると下記のようなものが出てきた。その中でも面白そうなものを引っ張りだすと、 「フェボナッチ理論」「シュロディンガー猫と量子力学、平行にある現実』 ちょうど、記憶力も衰えたんじゃないかと思えること、思考を司る部分の脳が退化してきたのだろうか、と思うような出来事が頻繁したので、こんなことを考えてみると面白いかもと、自身へのメモとしても皆さんへのチャレンジとしてもここで紹介したい。 もともと「ソフィーの世界(哲学の歴史のざっと紹介)」のオーディオ本を聞き始めたのが、そもそもの始まりだった。哲学やこうした理論は、それまでの私にとって、論を論で打ち負かすための手段だったり、思考にチャレンジして時間を無駄にし、頭を空回りさせるだけのものと考えがちだった。しかしこうした理論を理解しよう、その理論の視点を実生活で応用しようとしてみるのも、おもしろい。こうした理論に触れることで、思考力の柔軟性がうまれ、物事をある側面から見ようと試みたり、統合的にみるのは己を見つめることにも十分応用できるし、世界への目の向け方もかわるような気がしてきた。人との関係にも影響し、さらには生活の中で問題に面したときにも、物事の見方がふえるのは解決方法も増えることにもなると考えるようになった。 まずは フェボナッチ理論(数学から建築、音楽、生物等に応用)

東日本震災あれから1年を迎え、未来に希望を残したいと霊前で誓った。

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ボストンのジャパンソサエティーから以下の電子カードが送られてきた。 たしかに犠牲者の数を見ると夥しい、夥しい原発事故のことを勘定にいれれば、もっと多くの命が今でも危険にさらされているだろう。それを思うと、胸が締め付けられる。 震災一回忌なので、お線香と草餅を作りみ霊に慰霊の祈りを捧げた。今でも福島の方、近辺の方はとても不安な中日々を、暮らしておられるだろう。震災で直接命を絶たれなくとも、放射能がすぐに健康に影響を与えなくとも、不安な中での暮らしは病を併発することも多いに考えられる。とくに老いた方や子供には、こうした不安の中でどうすれば生きる糧となる希望をあたえられるだろうか。 私たちは未来の世代に何がのこせるのか、年金も前倒し、空気や土壌といった生活 環境も決して安全といえず、海産物も不安だ。そんな中で暮らしていかねばならない 未来の世代に私は謝りたい。 そしてもっと人を信頼すること、自分にも人にも慈しみと愛情がかけられる世の中にしていかねば、そう希望がもてる暮らしを設計していける社会にどうすればよいか。政治家や企業に怒りを表してばかりいても、前には進めない。個人として、また社会の一員としての家族や個としてなにが寄与出来るか考える機会を得た。 Tohoku, Japan  19,057 Lives lost 26,992 people severely injured 129,101 houses totally destroyed THEY SHALL NEVER BE FORGOTTEN . . 2月はあっという間にすぎていった。一月の終わりに福島の農家、大内さんからご連絡をいただいた。夏に福島へ留学生を迎えにいったおり、お宅へお邪魔して、おいしい梨をごちそうになった果樹園農家の方だ。 ここモンタギューの地元、バーモント州ヤンキー原発の風下農家が福島の農家と連帯したいと希望され、そのお手伝いを引き受けたこともあって、大内家に招待をうけた。大内さんの他、一緒に土壌改良を試行錯誤されている農家の方や、NGOの技術者として福島入りした人、そうした農家の方を記録映画にとアメリカからやって来たスタッフにお目にかかった。バーモ

キング牧師の最後のスピーチ「Mountaintop」スピーチ

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明日はキング牧師の誕生日にちなんで米国は祝日になります。 キング師の’I have a dream' はあまりにも有名なスピーチですが、彼が暗殺で倒れる前日 、体調を崩して演説の代打をたてていたのに、集まった人数があまりに多いからと、急遽原稿なしで、テネシー州メンフィスのゴミ清掃員のストライ クにおいてスピーチしました。そしてこれが最後となりました。 このスピーチは今のOW Sを思わせます。キング牧師は1968年ベトナム戦争に巨 額の税金が使われていることを指弾し、すぐさま'Poor People's Campaign'(貧民大キャンペーン)を展開します。 これは現在の 米国や世界の若者を中心とした金融街占拠に通じると考えさせられます。 そこへ1963年ジョンFケネディー大統領の暗殺がおこり、65年には最終的にキング牧師と手をつないで市民権運動を進めて行こうとした矢先にマルコムXが暗殺され、さらに68年に 、憲法の保証する言論の自由の権利、印字の権利など 合衆国政府の弾圧は 自国の 憲法違反だとして、 戦争問題と貧困問題を指弾したキング牧師も暗殺されました。そして69年に このキング牧師に「アメリカ中の貧者をDCに集めては」と提案していた ケネディー大統領の兄、ロバート・ケネディー上院議員も暗殺されます。 キング牧師最後のスピーチでは暴力に訴えるのではなく、経済産業界に消費者である市民に公平な扱いをするように求めました。60年代に今でも米国を蝕む産業界の不平等、経済社会の不均衡を、すでに指摘していたのでしょう。これらを是正するにはある程度の自己犠牲をも甘んじて払わなくてはいけないといっています。  unconstitutional injunction. All we say to America is, "Be true to what you said on paper." somewhere I read of the freedom of assembly. Somewhere I read of the freedom of speech. Somewhere I read of the freedom of the press. Somewhere I r

年末、年始ニューヨークとボストンで過ごす。個性の反映した旅のあり方?

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辰年の年頭におきまして、初春のご挨拶申し上げます。 今年はマクロなビジョン大局的な視野に立ち、地産地消に加え足下からの平和を打ち立てていければと抱負をたてました。どうなることでしょう。辰年ですから、舞い上がりやすい私ですが、地に足をつけられるでしょうか。 私達夫婦は、まったく対照的な旅の過ごし方をします。 私は日本人によくありがちに、まず初めての土地へ行ったら、事前に、もしくは到着した空港で集めたガイドを眺めて、行きたい場所やレストランをチェックをして行きます。 観光地だったり、美術館だったり、はてはネットで見つけた穴場だったりします。 仕事でいっても、仕事の後にしっかり観光やおいしい穴場を必ずチェックします。 お金をかけて現地まで行ったのだから、その分、元をとろうとするのが魂胆です。 最近「いつもパワフルで」と、年賀のコメントやfacebookでよくささやかれておりますが、自身は「そんなにパワフルにあちこち動き回っているように見えるかな」と首をひねってもおります。いつも自然体でいるつもりなのに、その私の自然体こそがあちこち駆け回っていることに気づかされもします。 しかし夫はのんびりするために旅行するので、 欲張りにあちこち回ろうとはせず、気が向いたら観光でも穴場でも回ろうかというスタンスです。 この年始、年末は我が家に来ていたオーストラリアからの留学生とNY、ボストンへ泊まりがけで行って来ました。これら車で2−3時間の街には、いまではよく日帰りで食料品買いに出かける位です。 今回のNYとボストンは、留学生の希望通り動こうと予定を組まず、家族4人プラス留学生で出かけました。 事前の用意は、宿の手配とブロードウェイショーのチケットを手に入れた位でした。  これがオーストラリア人や娘、息子、夫の旅の過ごし方です。 せっかくクリスマスにNYへ来たからと、ゴスペルをハーレムの教会で聴こうと誘っても反応なし。 ではクリスマスの時期に有名なロックフェラーセンター前のアイスリンクでスケートをしようとしても、ヨーロッパやアジア諸国の観光客が黒山の人だかり、5番街から リンクのあるロックフェラーセンターまで身動きできないお上りさんの長蛇の列で「またにしよう」とすぐあきらめます。 結局、世界一の舞台の広さを誇るメトロポリタンオベラ劇場ま