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4月, 2010の投稿を表示しています

アメリカの大学受験事情と、大学訪問

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さてさて、3日で1350マイル(約2000キロ)大学訪問へ息子と行ってきました。 5ヶ月前免許取り立ての息子に、最終日はほぼ7時間運転させ、私は岡目八目ならず バックシートドライバーになって(後ろからアーダコーダと指図する)うるさがられながら、 無事自宅へ帰り着きました。 アメリカは日本ほど受験事情が熾烈でないと思われがちですが、 かなり親が真剣になってストレスをためこむ受験レースなるものがあります。 いわゆるカレッジアプリケーション・プロセスなるものがそうで、 まず高校に入るにも、どの高校が大学受験に有利かで選ばれる事も少なくありません。 しかし現実には多くの中学生が (とくに田舎では) 地元の学区や市町村の行政区で決められた地区に一校だけある公立校へ行きます。(高校2年まで義務教育) この公立高校と並行して プレップ高校(進学名門校)と呼ばれるお金をいっぱいかけた名門高校や 生徒の才能を重視したオールタナティブな中高がかなりの都市にあります。 この近辺は田舎ですが、全米でも教育熱が高いところなので 決められた公立高校へ満足しない親が近辺の4校あるプレップ高校や 2校のオールタナティブ校へ さらに3校の州立演劇、音楽専門校へ 子どもを入れようとします。 我が家の中学生の娘も、高校生の息子もこのプロセスを最近とおっています。 高校選択の際、親にはこの進路説明に重心をおかれて説明される事が多くの私立高校では行われます。 「この学校を出たら、こうした大学に入っていますよ」というのはセールスポイントですから。 私たち夫婦は「この学校へ入ったら、こういった人間の形成を目的に、この様な授業の選択肢があり、こうした校風、教育理念のもとに先生・父兄が作り上げていますよ」とした学校側の教育理念と様子を信じて、 入学した後の高校4年間の事を考えて選びました。確かに授業のカリキュラムはとても充実していましたし、 SATなどの大学受験共通のテストを応募する時にどんな時に高校で勉強したかをチェックする項目は、 自然科学系、社会科学系、数学系、音楽/アート系はほぼ網羅し、なおかつ独自のカリキュラムをふくめ、かなり普通の公立高校よりカバーしていたかなとは思われました。 しかしガイダンスの先生は、高校11年生のはじめから高校卒業後の事も

犬と山道を散策、ベトナム帰還兵のフラッシュバック revisedしました。

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春というより、夏のような陽気に犬と近くの山々を散策した。 友人と話しながら山路をのぼっていたので、散策というよりトレッキングになり、山中をドンドン入り込んで、しまいにはトレスバッシング(民家の為進入禁止)の標識に囲まれてしまった。 そして断崖絶壁の岩をよじ上るというおまけまでついて来た。 このよじ上っている最中に自分が高所恐怖症だったことを思い出し、 急にフラッシュバックに襲われ、足が震えだす始末。 前にも後にも戻れないところで、 犬のマーリーは 平気な顔で何度もずり落ちながら、崖をあぶなげに行き来するから、 こちらも余計に焦ってきた。 山路を友人と花を愛でながら歩いていると、 断崖をよじ上っている最中に、 10数年前に道なき山を松茸を探しながら、親族総出でよじ上った 松茸狩りのイベントを思い出した。 子どもの頃から山歩きで鍛えている足腰が丈夫な叔父叔母らは、松茸のためなら、ずり落ちても また這い上がって、どんどん尾根伝いに赤松の根っこのあたりを探りながら、山の急斜面をのぼっていく。 そんな松茸狩りにさそった 黒人ベトナム帰還兵の友人の事を思い出した。 アレン・ネルソンはベトナムで米陸軍としてベトコンと闘っていた。 アレンは何の気なしに参加した松茸狩りに冷や汗もので帰って来た。 日本の道なき道をよじ上って、ジャングルでの体験を思い出させたようだった。 人を人を思わないように洗脳されたときのこと。 アレンのように貧しい家庭に育ったものにとって お腹いっぱいご飯を食べさせてくれるという理由で 従軍し、果てはベトナムの前線に送られた。 しかし実際にベトナムのジャングルで対峙したのは、 れっきとした 血も涙も家族もある敵兵だった。 何十年も離れないトラウマをアレンらは深く深く埋め込んで行った 戦争という名の体験は、こんな時にフラッシュバックとしてやって来る。 しかしアレンは、その後毎年日本の多くの都市で 自分の戦争体験を語り、最近他界した。 息を引き取る前にNYで彼に久しぶりに会った。 自分の体験を語る事で彼には多くの日本で応援者がつき、 彼の表情も変わっていた。 彼は戦争に直接銃をもって、敵だ野獣だと教え込まれた ベトナム人とジャングルで出会った体験を語ることで、 自分のトラウマも克服して行ったと感じた。 話しは少しずれるが、 同じく別の友人で'Veteran f

国連、タイムズスクエアー、高校生の忘れられないNY

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日本語履修高校生をバンに詰め込み,てんこもり日本語関連行事とNY観光して来た。 NYに暮らしていた時も、旅行客にNY案内をした時と比べても、昨日ほど充実したNYの一日はなかっただろう。 早朝6時集合、ラッシュアワーにも引っかからず、ひたすら運転手の教師を無視して、ひたすらバンの中で寝ている生徒は,ニューヨークに入る手前ごろ8時頃から一人二人と起きてきた、それぞれ自分のiPodの音楽に興じている。 するとだれのどの音楽をスピーカーに接続して皆で聴くか、壮絶な闘い開始される。 日本からの留学生は2名,我が事と関せずだったり,不思議な様子で見ている。 ラップ、ロックと延々と続くから、NYまで運転手のこちらが耳が飽和状態でもたない。 途中、うるさい集団を最後列に移動させる。いよいよNY市内に入ると、ラッシュアワーに巻き込まれている中、今度は日本の高校生が目を輝き始める。 これがマンハッタンでっせーという感で、お上りさん的目になって窓からの光景にじっと見入っている。 第1目的地、国連高校での「日本の春祭り」に参加 いるいる200名ほどの日本語熱にのぼせた高校生がNYからNJから集まっている。 目立ちたがり、テクノ、根っからのオタク、ぼーっとした子、自分の世界に入りきったやつ、パンク、アメリカの高校生って感じだ。でもさすがNY、田舎の高校生にはかなり刺激がつよい。先日参加して来たハーバード大学主催、模擬国連にいる高校生とはまた様相がちがう。 それぞれの屋台に他校の生徒とグループにありあてられ移動、やきそば、かき氷は長蛇の列。なぎなた、少林寺拳法、剣道、三味線、着付け、茶の湯、もちつき、カラオケ、侍じゃんけん、土産屋、などなど、どこのブースも大盛況な様子。春祭りの趣旨は日本語での交流だから、それぞれのブースにいって日本語で質問され、また次へ。 いろんな子が、いろんな理由で日本語を学んでいるのを実感。 マンガ好きなオタクが多いのかと思っていたら、 我が校の生徒のように 「日本へとにかく行きたい」 「親が日本語話すから」 「日本人と友達になりたい」 「フランス語に飽きたから」 「ヨーロッパ言語に失敗して言語選択を替えた」 「日本料理が大好き、日本で思いっきり食べたい」 なんて理由で、日本語を勉強している。

花々が咲き誇るなか、女へのエール応援歌

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ユダヤ教の人たちがパンを食べずに出エジプトを偲ぶパスオーバーをすぎ、 クリスマスより宗教的意義の深いキリスト教グッドフライデー、そしてもともとは春の訪れを祝うイースターの土着祭りとキリストの復活をかけ祝ってイースターサンデーで庭に出て卵さがしをし 仏陀の生誕を祝うお花祭りをすませた。 例年ならまだまだ寒さが残る四月初旬, ここ北国のボストン郊外では、 今年は地球温暖化の影響か、 本当に穏やかな日本の本州にも似た陽気な日々で、 花々のつぼみがほこらんできた。 forsythia レンギョウ, daffodil 水仙, crocus クロッカス, violet すみれ, hyacinth ヒヤシンス, が大地に彩りを添え, 「えっこんなところでもがんばって咲いてるんだ」と微笑みたくなる山や里や谷間への散歩の日々 家の周りには weeping cherryしだれ桜や apple tree リンゴの木 lilac ライラックの木々のつぼみがほこらんで来た。 近くの公園や街路樹には dogwood ハナミズキ magnolia モクレン mountain laurel しゃくなげも今を盛りに 高貴な香りを放っている。 梅や桃の木もほしいところだが、北限なのか全然見ない。 そんな春の香りを感じ、春の到来を喜んでいると 尊敬するある女性からこんなメッセージを受け取った. 女性へのエールとしてここに転載したい。 「あらゆる年齢のあらゆる国に住む全ての女性を尊敬します。 あなたの夢見る力、 世界のためにたたかう力を蓄え 忍耐強くて、 愛をいっぱいもった あなたへ〜ギリシャの作曲家,バンゲリス 女のエネルギーは男を驚愕させる。 どんな困難に立ち向かっても,どんな問題にぶちあたっても、冷静さと、 愛情と、笑顔と、よろこびを絶やさないから。 女たちの笑みは、泣きたい時もあらわれ、 涙を流す変わりに、歌い、 幸せで一杯な時には、号泣し、 信念のために闘い、 不公平の為にも立ち上がるから。 きっとよい解決方法があるに違いないと思った時は、 『ノー』という答えに決して妥協せず、 家族をささえる為には、自分を犠牲にし、 心配な友がいれば、医者まで連れて行き、 いつもかわりない愛を降りそそぐ こどもが成果をあげれば、号泣してよろこび、 友の幸せには手をあげ、わがことのように大喜びし、 どこかで赤ん坊