夜明け前のキューバ, Cuba: at the Crossroad to the Globalization. English is at the bottom.
初めてConventional Tourとして(パッケージの海外旅行)キューバへ行ってきました。それでも宿と交通機関はすべて自分で手配し、国内移動はオプショナルツアーに参加し地方の海外旅行客専用のホテルに宿泊しました。 社会主義国キューバが生き残るために、盛んに外貨を取り入れ、現代ワイヤー文明にまもなく参入します。 1959年キューバ革命勃発。 1961年 米国政府はキューバとの外交関係を断絶し、少量ながら続けていたキューバ産砂糖の輸入も全面禁止した。CDA(Cuban Democracy Act、キューバ民主化法)が米国議会を可決。米国籍企業の海外支店がキューバと貿易することを禁止する。米国市民がキューバに旅行することを禁止。キューバ人亡命者が家族に送金することを禁止する法律ができ、キューバはますます窮地に追い込まれる。一方1962年キューバにおけるソ連のミサイル基地の建設とミサイルの搬入が明らかとなり、核戦争の危機寸前になったが危機を米国ケネディ政権とソ連でなんとか回避( キューバ危機 )。これにより、アメリカとキューバの関係は一挙に悪化した。 キューバの暮らしは米国との貿易に支えられてきたが、その多大な生活物資の輸入先は米国からソ連、さらに反米の近隣ニカラグア・サンディニスタ政権、パナマのノリエガ政権とシフトしていった。物質経済は壊滅状態は免れたが、米国企業を排除し米国資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社、銀行・商業・工業の大企業を国有化していった。よって 1973年 までに26万人以上がキューバを去った。 しかし人民の生活レベルでは社会主義・共産主義同盟国の他国が崩壊していった1990年がある意味ターニングポイントであった。1989年ベルリンの壁崩壊、東西冷戦終了、 パナマ・ノリエガ大統領が米軍の侵攻にあい拿捕され、1990年2月ニカラグア共産党ダニエル・オルテガ選挙に敗れニカラグア共産党崩壊。ソ連崩壊後ゴルバチョフ大統領もキューバ訪問をして原油のキューバ向け輸出削減1989年以前の40%輸出からから1992年7%に削減。数少ない輸入先の経済が壊滅状態でキューバ国内の物質が欠乏し、電力源の頼みの綱であったソ連からの原発輸入もチュルノブイリ事故で原発建設計画が頓挫し、油がなくなって建設・工事・製造の電力も乏しくなった。そこへ新しく輸...