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7月, 2015の投稿を表示しています

北米東海岸ニューイングラン地方、森の村の行政サービス

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カリブからまた夏限定でモンタギュー村に帰ってきた。ここは北米の田舎町でも、60年代の米国カウンターカルチャーの流れを組む村だと以前にも書いた。俗に言うヒッピーのコミューンがあり、車で2−3時間のボストンやニューヨークから流れてきた農村に帰ろうとするBack to the nature・  Protesting Vietnam Warの学生たちがきて農業と19世紀からの工場町に上記のように新たなコミューンが加わり2重構造の村になった。 1970年代当時だれも疑問視さえしなかった原発に、このコミューンの若者が村人の家一軒一軒をまわり近くに計画された原発とは一体何なのか、そしてその原料や機能の面で永久的なその危険性がつきまとうと反原発運動をおこした、という歴史をもつ村である。またそれに加えて近くには総合大学のマサチューセッツ州立大があったり、日本の歴史とも関係が深いウィリアムクラーク、新島襄、内村鑑三が卒業したアマースト大や、数々の大統領夫人が出た女子大スミス大、マウントホリヨーク大があったり、大学教授らが州のやり方に反発し自ら創設する学位取得があるハンプシャー大があるので、学生が多い一方、学生時代を終え、そのまま居座り家族をもったり、持たないままコミュニティーにいるものが多い一方、農民の子孫や工場労働者もいる。 村民の多くはプログレッシブ(革新)だからあらゆる人種も民族も文化も同性愛の人々も混在するが、その広がりは北部の大都市ほどない。というのも職がないから、住みたくても現金収入先が非常に少ない。最高峰の教育、博士号をもっていて農業を営みファーマーズマーケットに出店して僅かの身銭を稼いでいるというのも多い。細々とコミュニティー紙を発行している、普段はボストンやNYシティーで仕事をし週末だけ家族の元に帰ってくるものもいれば、2−3世代前におじいちゃんや曽祖父母が大金を元に財団を作ったので、そこから低収入をもらっているトランスとファンドつまりオールドマニー出身の住民もかなりの割合いる。昔から大金持ちでもないものや、新しく移民としてやってきたものもいるにはいるが、白人以外の人口 がいるにはいるが、ほとんどが近くの大学に通勤通学する住民であって、圧倒的な白人中心の村だ。白人の人たちは世代を超えて教育の場でも職業でも優先されてきたから、いくら数十年前から背景の多様

アメリカの健康食品、サプリメントのからくり

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今度はSpirulina (昔日本で流行ったクロロフィルに味が非常に酷似、世界の特定の湖に生息する藻の一種、フラミンゴはこれを主食にするからビンクだとか)ですと。 ここ数十年、日米いろいろな健康食品がブームになっては消えていく。アメリカではどこのオーガニック食品や自然食品店でもサプリや健康食品コーナーが棚を埋め尽くす。ここらモンタギューでは田舎の生協や雑貨屋さんにまで下記の健康食品やサプリがほとんど入手可 そのサイクルは日本での三日坊主飽きやすい健康オタクの人々の周期よりはるかに短期だったりする。ざっと覚えているだけでもこんなにもあった。そして効能も果てしなく続く。以前はこれらは食品とみなされ、このモンタギューのあるマサチューセッツ州では食品には消費税がかからないから、これら健康食品やサプリ栄養食品は関税の対象ではなかったが、数年前に州法で消費税の対象となった。 Kombu cha (どれにもこんぶ茶と書いてあるが原産ウクライナではコンプ茶といわれているそうだ。日本で40年ぐらい前に流行ったウクライナ産紅茶キノコ) Flex Seed (フラックス・シード体内で作られないOmega を豊富に含んでいる) Coconut Water (ココナッツの中身;ポタシアム、つまりカリウムが豊富に含む、こむら返りや急激なスポーツのあと足がつる時、筋肉の収縮をはやめるため即効) Acai (ヒマラヤでとれる細胞活性化作用がおおきいミネラル含有) Chia seed (中南米の山間が原産 Cacao Powder (チョコレートの原料、カカオ豆を粉末にした、血液をアルカリ性に替える) Green Tea (緑茶のエッセンス、いわゆるお抹茶) Wheat Grass (日本の青汁に相当するようだが、青汁ほど苦味はない、アルカリ性食品) Tarmeric(ウコン、カレー粉の主原料、肝臓をきれいにする) Whey Protein (乳酸食品からとられたタンパク質) Ginger(生姜、血液をきれいにする) Probiotic (乳酸菌、善玉菌として整腸の働きがある) Fiber (繊維食品の粉末) Bee Polen ( 蜂が集めてきた花粉;花粉アレルギーに効き目があるようだ) 我が家の棚には「体にいい」、「ダイエットに効果あり」いわれ、話が

夜明け前のキューバ, Cuba: at the Crossroad to the Globalization. English is at the bottom.

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初めてConventional Tourとして(パッケージの海外旅行)キューバへ行ってきました。それでも宿と交通機関はすべて自分で手配し、国内移動はオプショナルツアーに参加し地方の海外旅行客専用のホテルに宿泊しました。 社会主義国キューバが生き残るために、盛んに外貨を取り入れ、現代ワイヤー文明にまもなく参入します。 1959年キューバ革命勃発。 1961年 米国政府はキューバとの外交関係を断絶し、少量ながら続けていたキューバ産砂糖の輸入も全面禁止した。CDA(Cuban Democracy Act、キューバ民主化法)が米国議会を可決。米国籍企業の海外支店がキューバと貿易することを禁止する。米国市民がキューバに旅行することを禁止。キューバ人亡命者が家族に送金することを禁止する法律ができ、キューバはますます窮地に追い込まれる。一方1962年キューバにおけるソ連のミサイル基地の建設とミサイルの搬入が明らかとなり、核戦争の危機寸前になったが危機を米国ケネディ政権とソ連でなんとか回避( キューバ危機 )。これにより、アメリカとキューバの関係は一挙に悪化した。 キューバの暮らしは米国との貿易に支えられてきたが、その多大な生活物資の輸入先は米国からソ連、さらに反米の近隣ニカラグア・サンディニスタ政権、パナマのノリエガ政権とシフトしていった。物質経済は壊滅状態は免れたが、米国企業を排除し米国資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社、銀行・商業・工業の大企業を国有化していった。よって 1973年 までに26万人以上がキューバを去った。 しかし人民の生活レベルでは社会主義・共産主義同盟国の他国が崩壊していった1990年がある意味ターニングポイントであった。1989年ベルリンの壁崩壊、東西冷戦終了、 パナマ・ノリエガ大統領が米軍の侵攻にあい拿捕され、1990年2月ニカラグア共産党ダニエル・オルテガ選挙に敗れニカラグア共産党崩壊。ソ連崩壊後ゴルバチョフ大統領もキューバ訪問をして原油のキューバ向け輸出削減1989年以前の40%輸出からから1992年7%に削減。数少ない輸入先の経済が壊滅状態でキューバ国内の物質が欠乏し、電力源の頼みの綱であったソ連からの原発輸入もチュルノブイリ事故で原発建設計画が頓挫し、油がなくなって建設・工事・製造の電力も乏しくなった。そこへ新しく輸