福島の被災高校生を受け入れに、仙台空港へ。
一ヶ月半前のことです。福島市へ向かいました。
アメリカで教えている高校から、東日本震災で被災した高校生を受け入れたいとの依頼があり、
9月からの新学期に間に合う様、福島の高校生に決まって
迎えにいったのが第一理由でした。
また我が家の直線距離にして北30マイル(50キロ)にあるバーモント州ヤンキー原発の風下農民が、福島の農地土壌浄化で救援したいが、その可能性を探ってくれとの依頼もうけていたので、福島の農家の方に会いに行きました。
仙台空港に9月の初めに到着、
空港はもうすっかり復興したように見えました。
既に暗くなっていたので、宮城県を即通過して高速でそのまま福島入りし、農家の方々、メディアの方、NPO
の方が待っている福島市内の果樹園農家のお宅へ到着しました。
途中、高速へ迎えに来てくださった高校生の母親の方の罹災証明を高速道路係員に見せている以外には、
被災の様子がよく分かりません。しかし車中談としてお母様が話された「県も市も地産農産品の販売を奨励していて、福島市内ではどこのスーパーも今は県産品しかうらない」と、二人の娘さんをもつからとても憂いておられました。これには胸が締め付けられます。
地元の方、農家の方たちとお話しさせて頂いて、印象に残ったのは、
さらにこの宿は放射線量も他の宿に比べて数値が少量です。と言われる度に農家の方と言い、高校生の母親の方と言い、皆さんに気を遣わせてしまったことに何とも言い難い恐縮で、申し訳なさを味わいながら床に着きました。日本の経済成長の末の豊かな暮らしを享受している自分を恥じておりました。
翌朝は無理を言って、仙台市内、港の様子も車で見て回りました。爪痕をこの目で確かめておかないと、今後の救援活動が前に進めないと考えていました。五感で味わう被災地は想像した以上でした。この体験を胸に、これから自分に何ができるか、ソローではありませんが「一人が動けば世界は変わる」 と前進したいと思っています。
追伸:アメリカへ帰って来てすぐに地元マサチューセッツやニューヨークのハリケーンの爪痕がのこる地域を廻りました。小さい橋や主要道路が流されてしまった箇所が何カ所も目にしました。それでバーモント農民の方がバーモント州知事の協力申し出をとって、今後土壌救援に手を貸したいという話は、現在頓挫しております。バーモント州が現在もハリケーン・アイリーンの猛威の復興に全力を注いでいるからです。また協力を申し出ているバーモント農家の当事者にも十月始めに会えました。彼はチェルノブイリで成功した例を福島で応用したいと申し出ています。
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アメリカで教えている高校から、東日本震災で被災した高校生を受け入れたいとの依頼があり、
9月からの新学期に間に合う様、福島の高校生に決まって
迎えにいったのが第一理由でした。
また我が家の直線距離にして北30マイル(50キロ)にあるバーモント州ヤンキー原発の風下農民が、福島の農地土壌浄化で救援したいが、その可能性を探ってくれとの依頼もうけていたので、福島の農家の方に会いに行きました。
仙台空港に9月の初めに到着、
空港はもうすっかり復興したように見えました。
既に暗くなっていたので、宮城県を即通過して高速でそのまま福島入りし、農家の方々、メディアの方、NPO
の方が待っている福島市内の果樹園農家のお宅へ到着しました。
途中、高速へ迎えに来てくださった高校生の母親の方の罹災証明を高速道路係員に見せている以外には、
被災の様子がよく分かりません。しかし車中談としてお母様が話された「県も市も地産農産品の販売を奨励していて、福島市内ではどこのスーパーも今は県産品しかうらない」と、二人の娘さんをもつからとても憂いておられました。これには胸が締め付けられます。
地元の方、農家の方たちとお話しさせて頂いて、印象に残ったのは、
- ガイガーカウンター(放射線量測定器)は各町内に一台づつあるが、実際に使用出来るのは一部の人のみでなかなか自分の農地、住宅地がどれほどの放射線量かが分からないので、不安がさらにつのる。
- 自分たちは被害者だけども、 これまで事故もあった福島原発を野放ししておいた責任が自分たちにもあるから、ここから出て行くのではなく、ここで生活を続けていく覚悟だ。
- 各大学、各種研究所、企業がそれぞれに土壌浄化を試みているが、これは大きな富みを産むビジネスにも繋がるから、それぞれが情報の交流や公開をしない。一方農家の方は、何でもいいと言われる土壌浄化をやってみたいのに、その情報も手に入りづらい。今は除染をしているだけだ、、、
- 自分たちの家族だけでも、県外避難したいが、近所の手前、近所の方達から「あなたも行っちゃうの?」といわれれば、出づらい。
- 老人は動かない方が多いので、そうした老いた親を残しては避難はできない。
さらにこの宿は放射線量も他の宿に比べて数値が少量です。と言われる度に農家の方と言い、高校生の母親の方と言い、皆さんに気を遣わせてしまったことに何とも言い難い恐縮で、申し訳なさを味わいながら床に着きました。日本の経済成長の末の豊かな暮らしを享受している自分を恥じておりました。
翌朝は無理を言って、仙台市内、港の様子も車で見て回りました。爪痕をこの目で確かめておかないと、今後の救援活動が前に進めないと考えていました。五感で味わう被災地は想像した以上でした。この体験を胸に、これから自分に何ができるか、ソローではありませんが「一人が動けば世界は変わる」 と前進したいと思っています。
追伸:アメリカへ帰って来てすぐに地元マサチューセッツやニューヨークのハリケーンの爪痕がのこる地域を廻りました。小さい橋や主要道路が流されてしまった箇所が何カ所も目にしました。それでバーモント農民の方がバーモント州知事の協力申し出をとって、今後土壌救援に手を貸したいという話は、現在頓挫しております。バーモント州が現在もハリケーン・アイリーンの猛威の復興に全力を注いでいるからです。また協力を申し出ているバーモント農家の当事者にも十月始めに会えました。彼はチェルノブイリで成功した例を福島で応用したいと申し出ています。
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福島の高校生のこと凄く気になります。
返信削除また色々教えて下さいね。
今私のブログにアップしているドキュメンタリーいいですから見といて下さいね!!
福島の様子も少し出て来ます。
(多分すぐに削除されるような気がします。お早めに。)
確かにいい動画ですね。早速もっと多くの人に見てもらえればと
返信削除facebook にもアップしました。
福島に住む人々は、自分や家族の1年後や2年後が描けません。ここに住み続けるか?引越しているか?仕事は続けられるのか?他に仕事はあるのか?野菜や米は作れるのか?売れるのか?病気にはなっていないか?子どもは大丈夫か?未来が見えないまま現実を生きています.
返信削除Fukushima の匿名さんより
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=207028479366584&set=a.207028476033251.48403.100001783018128&type=1&ref=nf
返信削除東京の渋谷のあるお宅に入っていたチラシ要約
返信削除「東日本大震災復興事業」福島原発(20km県内)ガレキ撤去作業員募集」
一日4時間労働(交代制)日給:27000円 月80万以上
期間:2ヶ月に限る (休日無し)
宿泊:無償提供
年齢:40−70歳の男性のみ
とは東京のうちのポストに入っていた。現実。
本当に!?現実とは思えないです。
40代からという意味はわかります・・30年後の保証は日給に入っているから?!でも、福島は本当に沢山の切実な問題抱えてるのですよね。。
以下、フェイスブックのコメントより
本当に見るとなんだかこわいです…
現実なのね・・・20キロ圏内・・・ポストに入ってる感じがなんともいえない。。
現実を見せられたと、思いました。すごいですね。
こわいぃ。。。2ヶ月に限るってそれ以上やっちゃうと。。。なのかなぁ。。。
言葉が出ないっす。これが現在の日本。
October 18 at 7:04am
ポストに入る一枚にしては 凄すぎるな…。シェアさせて頂く!
October 18 at 8:38am
これが本物だとしても怖いし、ニセモノだったとしても震災を食い物にしようとするところがコワイね。
October 18 at 6:38pm
やはり、怖い現実ですね。