アメリカの共通大学入試と高校の心理学の授業

アメリカの大学入試をするには公立私立を問わず殆どの大学が、共通テストSATやACTの受験を要求して来ることは、以前に投稿した。
今回はこの共通テストを行う前のはなし。
テストを受ける以前にテストセンターへインターネットで登録しなくてはならない。
これがなかなかの大仕事。

高校四年間の3年生から受ける学生が多い。
個人情報の登録にはホームページ5−6頁に亘る。
高校でどんな授業を受けたか、
どんな課外授業、社会奉仕活動、生徒会活動、校外会議や討論会に出席したかをすべて
記入しなくてはならない。日本ではこれらは、すべて高校からの内申書にはいるのだろうが、
これがホームスクールの学生や小さな学校だと大変。それらが親なり、少人数の職員の肩にかかって来るからだ。

それでも
 みな我が子や我が生徒の為にとどんどん記入していく。
授業も数学のサブカテゴリーまで、どんな内容を履修したかを問われる
三角関数、図形、統計、微分析、積分など
自然科学では、
化学、遺伝子学、生物、物理、電子力学、地質学、天文学、心理学など
社会科学では、
アメリカ史、世界史、地理学、地誌学、政治学、公開討論など
芸術の分野
音楽史、彫刻、絵画、デッサン、演劇、木工、陶器、楽器演奏、合唱、美術史など、
文学の分野
アメリカ文学、ヨーロッパ文学、世界文学、文学史など、
言語学
外国語2年間の必須
などなど
よく日本からアメリカの高校へ来て、単純に方程式の計算だけをみて、アメリカの数学は簡単だという保護者や学生本人の意見を聞くが、これだけ羅列してあるとかなりの質量をマスターしなければ行けない事に目をまわす。

息子たちの学校は確かに、全校四年生(アメリカの多くの高校は4年制で中学は2年制)で50人そこそこの小さな私立高校だが、
よく網羅していると感心してしまった。
年間10ブロックに分け1ブロック大体3−4週間一日2時間かけ学習していく。
これを一つ一つ、大学入試センターへそれぞれの履修時間数を登録していく。
そして学校側から各科目の成績表と履修単位と先生の推薦状と一緒に、志望の大学へ高校事務局から送られていく。これがホームスクールや、認定されていない学校へ通っていると、親と本人が全て用意して、
大検だ、高校卒業認定試験だという資格試験を受けなければならないようだ。

しかし心理学までは高校で履修できないだろう と思っていたら、
学生街が近くにあるよしみで、大学から教えに来てくれるし、殆どの高校の先生が博士号までとって専門的に研究していたか、あちこちの分野を研究していて幅広く網羅している。
語学と自然科学系、芸術系は大学の先生の授業だ。

息子たちのクラスは今年最初のブロックに心理学と海洋生物学のクラスを履修している。
海洋生物学で今日からメイン州の離島に渡り、研究キャンプに1週間行った。
心理学では、トラウマへの記憶という講義があったようだった。

一つ感心したのは、17歳の生徒たちが自分の幼少時代を振り返るとき、
ショッキングな 出来事は鮮明に覚えているということを学んだ事実だった。たとえばあるクラスメートは
木登りをしていて、木から落ちた事までははっきり覚えているけど、そのあと気がついたら介抱されて車にのっていたとだけで、どうやって落ちた地点から車に移動したかが意識がないというトラウマをもった友人の話しをひと仕切りしてから、息子は自分の幼少は楽しかったと言い切ったのには驚いた。
人はそうしたトラウマを鮮明に覚えているもんだが、
自分はそうしたトラウマとしての記憶がなく、思い切り遊んだ楽しい時間ばかりしか思い出せないという。
一方、娘は同じ日本の保育園でも、そこで園児にぶたれたり、 自分が泣いてた記憶ばかりを思い出す様で、
トラウマの大きさや、ある出来事をショッキングとするかどうか、まったく個人差があり、振り返る年齢にも関連しているのではというのが、
息子が心理学を履修したあと、我が家の夕餉での結論になった。


最近、学生が深く考えなくなっていると、私自身も若い学生と接してて感じるし、
この夏あちこちでそんな話しが聞こえて来た。
沈思黙考なんて聞いた事もない風な、若い学生達が
要領よく点数だけはとっていく。テスト慣れして、出題の傾向を教師ごとに分析した様な生徒だけが増え続けている。確かにアメリカもテストづくしになって、如何にそうしたテストで良い点数をとるかが評判のよい生徒であるかのように教育現場では見られているのは、日本でもアメリカでも同じようになりつつある。でも、考える力は点いているのだろうか。たとえばある留学生向きの共通テストでは、ある文章を一段落だけ、たとえば環境汚染について60秒で読んで、45秒で考えをまとめ、さらに90秒で自分の意見を一段落の文章にするという
分析力のテストも要求される。即考え、即頭を整理し、即文章にして自分の意見をまとめ表現する。こうした能力は発達したところで、深く考える思考力は養われるだろうか、そんなことを心理学ときいて考えていた。

親になっても、足腰が老化してきても、学ぶ事は果てしなくあり、
子どもに学ぶ事も日々増えていく事ばかりです。
「老いては子に従え」であっても「学成り難し」とはなりたくものですな。


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コメント

  1. タケヒメ2010/09/27 9:48:00

    ご無沙汰しております、タケヒメです。
    のど元過ぎれば、、 ですっかり忘れていました。SATの登録そんなにたくさん項目があったのですね。

    思考力の低下、 大学に入っても要領よく点数を取っていく学生が多くなった?のですか? 高校時代はそうでも大学では自分の興味のあることを深く探って欲しいし、上辺の点数だけではなくちゃんと習ったことを消化して欲しいと思っているのですが、そういうのはやっぱり高校時代までに身につけておかなければいけないことなんでしょうね。
    ウチの娘がどこまで消化してくれるかお手並み拝見でしょうか。
    と同時に、私もまだまだ(笑) 色々なことに興味を持って行きたいですね。 ちょっと億劫になってきている部分はありますが、、、

    返信削除
  2. モンタギュー2010/09/27 14:30:00

    お久しぶりです。高校では、(アメリカの高校でも、最近流行なアメリカのSAT/ACT準備のための塾でも)点数をどうあげるかに教育の重点が置かれているようで、残念です。以前に勤めていたマサチューセッツ州の公立小中高は少なくとも、スタンダードテスト(学力テスト)を受けるために2ヶ月も毎日この特訓をします。でもそんな学生達と同じスタート地点で大学へ入る息子達は、そうした授業を受けていないので、自分で進んで塾にも通っています。

    思考力の低下と言い切れるかどうかは分かりませんが、
    最近まで私の通っていたアイビーリーグの院生も、いかによい評価を手っ取り早くえるかで課題のプレゼンテーションやペーパーを書いている20代30代の院生が多かったです。深く考える時間がない、とんでもない膨大なテーマを選んでしまったら結局、始末がつかなくなってしまう等の理由で。

    興味があちこちにあるのはいいと思います。なにも一つの事を深く考えていろという訳ではないありません。ただ何のための勉強なのかを考え、表面の点数にこだわらずに、評価は努力が表面に出てこなくてもきっとついてくるものだからと信じて勉学を続けていきたいと,自身への戒めです。

    アメリカも韓国も中国もMass Education で日本が踏んできた失敗を繰り返しているような気がしてなりません。個の尊重、個の興味、努力、研究に対する姿勢が評価できる教育は可能だと思います。

    返信削除

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