Peer Pressureって何? 娘、息子それぞれの社交術


大学新入生として寮生活を始めた息子が、クリスマス休暇で帰って来ました。
といっても、大学進学すると「当分は家に帰って来れないからね」といわれ、まるで今生の別れのように、堅く抱きしめた息子でした。
しかしいざ、新学期にはいると車で2時間半のNYに行った為か、
頻繁に宿題とランドリーをもって帰ってきては、地元の大学へ行った男・女友達を集めて同窓会がはじまり、後輩が訪ねて来ます。母親は「昔の参考書籍を送ってくれ」、カフェテリアで食べる暇がないと聞くと、ケアー便を送ったりと甲斐甲斐しく世話をやきます。

先日、そんな離れた息子をみて、彼から友達付き合いの妙技、そして息子たちが12年間伴に過ごした17人(幼稚園から高校までの一貫私立校で、各学年一クラス)の友達との付き合いから、いろいろ学びました。
私のかよっていた小中学校や、大学へ入ることだけが目的の誇りかぶった進学高校などの人間関係と随分違います。この12年間にどんな友達を築き上げたかが、今の息子や、娘の人となりになっていることにも頷かされます。







息子はアメリカで生まれましたが、すぐ日本へ引っ越し、妹が産まれると近くの小さな保育園へ通い始めました。近所の公園や方々では、その容姿の違いに大人の好奇の目にさらされ、「かわいい」と声をかけられては、私のスカートに隠れていた子でした。日本ではアメリカ人に見られ、アメリカに一時帰るとアジア人に見られていたからです。日英語どちらも理解していても、人に話しかけられると固まっていました。

それが開放的な地方の竹林の中の保育園にいれると、最初は意味も分からない園児から「ガイジン」とはやし立てられ、息子はそれがいい意味でないと分かったのか、園へ行くのをいやがるようになりました。しかし泣いても、産まれたばかりの3歳違いの妹と家で遊んでばかりはいられません。近所の公園ではもっと、好奇の目をした親が大勢います。それらの対応に親の私は「この子はハーフじゃないよ、二つの文化を持ったダブルだよ」と一人一人に応じ、アメリカ人夫は息子を保育園に送るとどけながら、年令を問わずあそんでいる園児らと少し遊んでから仕事に行くようになりました。

健常児も障害児も年長も乳児も、一緒にあそぶさくらんぼ系の保育園の園児たちや、スタッフがそして親が、片言の英語と日本語で夫とまず話をするようになりました。もう「ガイジン」という子も、「英語話して」という親もいなくなりました。息子はいつも裸足で竹林と畑を駆け回り、真っ黒になってビニールシートを敷いただけの土山のプールであそび、水遊びに筍掘りに穂高にも登山し、同級生と泥にまみれて遊ぶ姿は誰の目にも、まったくどこにでもいる日本の洟垂れ小僧の男のこです。しかし保育園の外ではまだまだはにかんでいましたが、しかしもう虫ばかりがお友達ではありませんでした。園の友達がいつもお泊まりにきて我が子も余所の子も一緒にお風呂に入り、家の子も、余所の子もありません。皆で雑魚寝をして、まるで兄弟が一杯増えたようでした。

アメリカの小学校へ通うことを決め、人種構成、多様性の少ない地方の私立校へ、その教育思想に同感して一年生から入れました。しかし友達に、学校文化に、アメリカでの友達付き合いに慣れるまで、数ヶ月かかりました。どの子も本当にいい子たちで、だれも違った容姿の彼をからかう子も、息子が母親の私と他の言語を話すことも気にしません。しかしどうやって付き合ったらよいか、親子で戸惑う毎日でした。学校でのルールは誕生日には全員を呼ぶこと。

クラスでいつもクラスメートの誕生日が祝われ、いつも誰かの誕生会にお家へ呼ばれていました。また毎年クリスマスや、バレンタインには「シークレットサンタ」「シークレットアドマイヤーラー」とクジで選ばれた人に、そっと名乗らずに数週間贈り物をおくり続けながら、自分はなにものか少しずづヒントを出して行くというイベントを、学校全体で楽しんでいました。そしてその人の良さもほめてやるとした学校の一大行事でした。

3−4年生になると、ようやく一定の友達がよく遊びに来るようになってきました。積極的に人に話しかけることのできる余所の子をみると、友達との応対が得意でない息子を見て、この子に友達が出来るかと悩んだこともありました。

そんな中たまに連れて来るクラスメートは、ちょっと社交が苦手で一度呼ぶといつも遊びに来ていつまでも居座り続ける子だったりすると、親は勝手なもので、「同じ子とばかりじゃなくてみんなと遊ぶのよ」という始末。
NYブログ、だれも書かない★ニューヨーク1%未満★ 
に「学校で学ぶ人生サバイバル社交術」というのがあり、nyの私立校へ娘さんを入れてらっしゃる筆者の記事を興味深く読むものの、こうした誕生会等のルールは似ているなと思って読んでいました。そこのコメントに、「みんなと仲良く、というあいまいな言葉ではなく、わかりやすいルールがあると、いいですね」まさしく同感です。

しかし娘のクラスで養育カウンセラーの親がいて、学校全体にアドバイズとして、小さい頃から信頼出来る友を作って行ける関係を親が、プレイデー等でつくって上げるというのがありました。このアドバイスを聞いても「みんなと仲良くする」というより、より具体的だったことを覚えています。

一方、幼稚園からアメリカに来た娘は、お兄ちゃんと同様はにかみやで、積極的に人と関わろうとしませんでしたが、そんな娘をとことんかわいがる親友が出来ていました。二人がどこでも離れられないベストフレンドだとクラス全体が理解し、二人で一人のように扱っていて、だれもジェラシーもなく、認めていたようでした。

大勢の子より1対1の付き合いを好む娘になりました。そして二人の友情が育って11年後のこの夏、ある小さな事件が起きました。二人と周りの友人数人で関わったある行為が親の目にとまりました。その親は誰が焚きかけたかと自分の娘を問いただし、わが娘だと云うことになりました。しかし我が娘はたとえ友達からある意味、裏切られても一言も口を割りません。いいわけも弁解もせず、父親にはこういうことがおこるかも知れないから事前に警告して、事のいきさつを話した様ですが、真相は話しません。自分の友達が自分を裏切っても、自分はその友人の信頼を裏切らない証を守っていたようです。

息子のクラスはやがて中学ごろから男女みんなが兄弟のように付き合い、いつもキャンプだダンスだと自分の子も友達もどの親もまとめて面倒見ていました。そして高校にいってもいつもつるんでいましたが、16−17歳で学校では留学を薦めます。世界中にある同教育の理念をもった学校との交換留学です。息子も日本へ3ヶ月留学しました。その頃からです模擬国連や日本での国際会議に出席し、自分の意見を主張し出したのは。

親は子供の成長を横目におろおろするばかりです。そして大学で何を学ぶかを決め受験をはじめた時、私は他のクラスの子が気になったりしてきます。すると「ぼくにpeer pressureは通じない(自己の独自の判断で行動するのでなく、クラスメートがしているからと行動すること)、ぼくはぼくだし、友達が何をしようと、どこへ行こうとぼくはぼくの人生を自分で決める。」と宣言して、自分のいく方向を独自で決めていきました。あとで聞くと、友達の親ももう少し相談してくれればよいがとは互いに慰め合ったものでした。しかし冒頭にあるように、大学へいくとついつい世話を焼いてしまいます。

「親もこどもも善悪の判断ができ、それが実行出来る意志を培って行きたいですね。」息子にpeer pressureは全然、感じないと言われたときは、息子の意志の固さと成長に安堵しました。


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コメント

  1. 「外人さん」の復権運動を独りで頑張ってます。
    中々支持者が出来ません(笑)。
    外人さんって、いい響きだと思うんです。
    寅さんが外国人って言ったら変じゃないですか。
    いつからか良くないイメージを植えつけられ
    本当にかわいそうな言葉だと思っています。

    ところで、peer pressureって、何だったんですか?
    私が読み飛ばしてしまってただけだったらごめんなさい。

    《peerは、同僚・仲間の意》職場などでの、同僚からの圧力。
    提供元:「デジタル大辞泉」

    これであってます?
    こういうのに負けないのは親譲りだと思います(笑)。

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  2. コメントありがとう。
    そう、peer pressure の正確な使い方を説明していなかったでしたね。書き進むうちに知っているもんだと、して。もう一度書き直します。peerは主に、同僚・仲間というよりクラスメートという意味でアメリカ社会では一般に使われます。つまり「クラスメートからの目に見える圧力とかではなくて、たとえばクラスメートがこうしているから自分もこうするとかいう、周りの目を気にして、自分の意見よりまず周りに歩調を合わせてとした意味ですね」

    返信削除

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