ヒッピー、全共闘、反安保、日本の現代史としてアメリカの高校で語られるとき

年頭にあたり、過去を振り返り、前に進もうと考えた。そうすれば現代とういう地点にたった
足下には何かがみえて来るかもしれないと考えた。
まず歴史をひもといてみた。

こちらアメリカの高校で歴史を教えている夫が
最近資料として読んでいる本を見て、びっくり
「日本の学生運動と市民運動の歴史」'Toppa Mono' 宮崎まなぶ著 だった。
日本でも多くのこの時代を描いた著作が出ている。
それらの中にはコスモポリタンな視点で歴史書として、
はたして書かれているものがどれほどあるだろうか。

視力の衰えで集中して書籍を読むことが少なくなったので、映像でこれらの歴史をおってみる。
「安田講堂たてこもり、東大落城」日本史サスペンス劇場より
http://matodoga.blog24.fc2.com/blog-entry-559.html#more
をみていて、

この東大安田講堂闘争の端を発した1968年という年に思いを馳せる。
世界に同時に確実な共通のエネルギーを吹いていた。

アメリカでは
ベトナム戦争反対を機に全米の各大学が闘争にはしり、コロンビア大の大学管理棟占拠もこの年、これを題材にした「いちご白書」当時の学生運動が盛んだったことを物語っている。
公民権運動の旗手、マルチンルサーキング牧師が暗殺され、つづいてケネディー兄が暗殺された。
全米の125の都市で暴動がおこった。

プラハの春と呼ばれた闘争もこの年だ。

パリでもベトナム戦争に反対して、学生運動が火をふいた。

中国では文化革命のまっただ中、

日本では学生運動が盛り上がっていった。

時代の高まりが世界を走り抜けた。
加藤登紀子は「1968年をある意味火ぶたを切った時代。
68年がなければ、今の21世紀はなかった」といっている。

わたしは80年代初頭に日本で学部学生として地方都市で
三無主義:無責任、無気力、無関心といわれ、政治に興味を持つことは、世の中の動きに興味を持つことはファッショナブルでないというように言われていた時代に、学生生活を送った。
フィリピンのアキノ失脚劇を徹夜でテレビにかじりつき、
時代の高揚を羨まし気に観ていたのを覚えている。

今、17歳の息子と14歳の娘は冷静にこれらの運動を
中高生としても、
客観視しているようだ。
かれらの目には完全に過去の燃えた時代のできごとだったということらしい。

それらの活動が現在とどうやって繋がっているかは、
私や夫が教えるより、自分たちで体験して得ていくしかない。直接に人から話しを聞き、
映像で、著作で間接的にも垣間みて、何がみえてくるだろう。

幸い
私のまわりには、日本でもアメリカでも、この60〜70年代の高揚とした時代を過ごして来たものが多く、いまでも市民運動に世界中で活躍しておられる御仁がかなりいる。

バックトウーザ・ネイチャーと掲げて、農業を営んで有機農法栽培をしているもの
大学にもどって教える仕事をしているもの
著作活動をするもの、
オールターナティブなメディアを制作するもの
仏門に入って世界中の平和運動団体と行動をともにするもの
開発事業をおこすもの などなど

現代史の時間に、
第二次世界大戦や、朝鮮戦争、ベトナム戦争の話しを聞いて回っている息子らは
やがてまた60年代、70年代の全共闘世代にインタビューするのだろう。

彼らが、広島へ昨年の夏、友人たちと見学にいった
「これだけ打撃を受けながら、都市がこんなにもすぐ再生し、人々は自分たちアメリカ人を許している」といった感想を思い出した。またこの冬、一人の学生が広島を訪れた。
この教え子の女子高校生は、
昨年も広島を題材にして、エッセイを書いているが、
数日前の広島平和記念館での様子が一番印象に残っていると語っていた。

日本でも70年代のフォークソングが私たちが小中の時に
小学校唱歌を習うように、音楽の教科書で習ったという、
アメリカでも、
娘たちは
ボブ・マーリーを懐メロのように取り扱って歌い、
下の歌をyoutubeなどの動画で見つけて来た、娘や息子は喜んで聞いては、友達と一緒にうたう。




どのように現代の世界と彼らはつなげていくか、とても楽しみだ。


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