コペンハーゲン会議の舞台裏からアフリカは訴える「京都議定書を無にするな」と

アフリカ諸国は危機感を感じている
あと2度平均温度が上がると、死活問題だと

地球儀をみると、アフリカ大陸がいかに大きいかが見えてくる。
アフリカ諸国を一つの国として論じるのは、無理があるが、
こと地球温暖化に関しては、一つの地域として論じてよいだろう。

以前に聞いた話しだが、
北欧や極地にガン患者が多いのが、地球の汚染が地球の自転によって、極地に集約するからだと。
温暖化では
アフリカ大陸では、太陽への距離が近い赤道付近がもろに影響をうける。

私たちが便利さにかまけて、運転する車の排気ガスから、
特に夏の日本など、熱さがピークを迎えるとすぐにかける冷房の耐えられない外気への熱風から、
(まだ中国をしのんだ)産出量最大の石炭から化石燃料で電力を生産し、その電力で便利な暮らしを続ける
といった私たちの暮らし向けのしわ寄せをもろに受け、
外気の上昇で住みにくくなっている.

イギリスの活動家がいっていた。
「地球温暖化問題はつまるところ
経済問題である」と
各国首脳や非政府団体
がどれほど真剣になっても、
経済動向がどうこれに関わって行くか、お金のコントロールするものが
カギを握っているというのだ。

私はここで敢えて、「それだけか」と異論を唱えたい。

ひとりひとりの暮らし、
私たちの欲望とも、深く結びつけて考えないと、いけないのではないか。
「手っ取り早く、便利な暮らしをおくりたい」
「いろんなことを経験したいから、家事などは手間をはぶければ、
「おいしいものを食べたいから
そのため、電気を大量に使用し、車を利用し、冷房のきいた場所ですずんでしまう」
のではないか。もういちど足下から見つめ直してみたい。
自分の暮らしぶりが、他人の暮らしぶりを作用し、
やがて自分まで首を絞めることになってしまう構図を。

結局のところ、お金をいかに使うか
自分のお金、地方自治体の予算、国の予算、考えて使いたいのが多くの共通の願いだろう。
しかしこれをどこまで考えているか、自分の今日の暮らしのことを考えてか、
住んでいる自治体の明日の姿を考えてか、
いや次世代にどんな社会を残してやれるかを考えてお金の使い道を考慮するか、
それともこの惑星全体まで考えをおよぼすのか

よく考えて行きたい。










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