アメリカ移民、アメリカ先住民の子孫として、各家庭のクリスマス季の習わし

クリスマスは、確かにキリストの生誕を祝う儀式とキリスト教徒の人たちはじめ、一般にはそうなっている。
しかし、
これを普段、お世話になった人への付け届けをする
アメリカ風『お歳暮」の行事だと考えている人はアメリカにはかなり多い。

昨日びっくりしたのは、
このごろ我が家へよく私のことを「アンティ—」といってやって来る
インディアンの娘も、
「姉と母の、クリスマスプレゼント・ショッピングに付き合わなくて行けないから、母の元へ一旦帰る」といってクリスマスバケーションの留守番をあてにしていたのに、まんまと肩すかしをくった。
「あれっ」とは言えなかった。彼女はインディアンとしての誇りを持っていて、
おじいさんは私が世話になったメディスンマン。
マサチューセッツ州政府からもインディアンビューローを父息子と任せられている家系。
その家庭が
クリスマスプレンゼントの風習???
しかもこの娘さん、普段からキリスト教徒の弊害を講釈にやって来て、真っ向から「私がキリスト教徒がきらい」と言い切る。

クリスマスは一宗教だから、街も公共機関も休みにはならない。はず、、だが最近は90年代のPC論争(Political Correct 言葉に政治的、信条的、偏見を持たない運動)の時に、全てを中立な言い方で言いましょうと猛威を振るっていたマサチューセッツ州、その中心的な存在だったこのリベラルな街でも、
商戦をあてこんでぼちぼちだがクリスマスセールをやっている。

我が家のクリスマスプレゼントのことは前項でかいたが、
一般的にも、このプレゼントの交換はかなりひろがっている。
ユダヤ教徒や、イスラム教や、アフリカ系クワンザというクリスマスに対抗した儀式を祝いながら友人たちもクリスマスプレンゼントの交換をしている。

学校では先生にも、クラスでお金を集めてお礼をしたり個人的に送ったりする。
(日本だったら、固辞する先生もこちらではくれた家族にえこひいきをする訳でなし、単純に頂いたことに感謝して御礼状をいただく先生もいる)

また生徒たちはシークレットサンタといって、
アドバントのはじまる12月はじめに、自分の上げる人をくじ引きし、
12月学期末まで、何か自分がだれなのかヒントをあげながら、手作りのクッキーや、
手編みの帽子とか、お小遣いからすこしづつ、シークレットサンタからとプレンゼントを
ロッカーにおいておく。といった行事も我が校では恒例になった。


そして
親しい友人を自宅へ呼んで、または仕事先でお疲れさまクリスマスパーティーをする。
職場によっては、しっかりレストランを予約してプレゼントスワップ(交換会)をする。





ここアメリカへ来て、もう20年以上経たが、ようやくこの風習なるものが分かりかけて来た。
 または自分なりに解釈して、習わしを無理なく励行出来るようになった。
子どもたちへのプレンゼントは前項のごとくだが、、
もともと、
クリスマスはキリスト教がヨーロッパに浸透する前からあった土着の年中行事で
一節には冬至を祝う儀式が、キリストの誕生日とかけてクリスマスを始めたとか。
だから常緑の木々を使うし、
赤い実で華やかせたりする。
だからかどうか、服は赤や緑をどこかにつけ、

そしてシャンパンを飲んだり、野菜のスッティック、シュリンプカクテル、スモークサーモンやデビルエッグのオードブルに、メインはハム料理、ターキー料理等が食卓をかざる。

そして当日にはキリスト教徒の人なら、教会へ行ってミサに参列する。
しかしわれら非キリスト教はがらんとした商店街を通り抜け、映画に出かけている。
各家それぞれ、祝い方があるようだが、たとえプレゼントの中身が簡略しても、
一年に一回、感謝の気持ちをこめた手作りの小物だったり、編み物だったり、と形に著すのも 悪くない。

これから、我が家は年末の餅つきとおせち料理作りの準備に入る。
常緑の緑は門松としてそのまま使う。(ちなみに常緑の緑は冬の寒さに枯れることなく青々とした葉をつけているところから、古くから生命力を表すものとして永遠の繁栄を願うシンボルとされてきました。赤は命の輝き、旧約聖書にある過ぎ越の儀より、子羊の血をドアに塗っておくと災厄が通り過ぎることから取ったとする説や、豊穣を象徴するともいわれている)

七草粥を経て、ストープで左義長の代わりに鏡をやいてお供えを取り終え、
やがて3月のおひな祭りに備える。


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