相手を認め合う夫婦には、異文化間も同文化間も同じ

最近、国際結婚をしてアメリカで住み始めた友人へアドバイスをしてみた。
しかし、すれ違いや、意見の行き違いはどの夫婦にも、多かれ少なかれある。
それをどう乗り越えられるかなんて、秘訣はないと思う。

以下は彼女へのアドバイス。二人で人生決めて、また二人でとことん話し合ったって、まず漕ぎだしてみないと。あえて国際結婚が同じ国籍同士で法の下夫婦になるのに、決定的に違うことは。国籍が違えば、成り行きで結婚しましたということは絶対あり得ないこと。
成り行きでは、結婚届は出せないし、住むところも思い切って決めないと、夫婦同居はかなわないこと。成り行きで一緒に暮らし始めて、いつの間にか夫婦やっていましたなんてことには、どちらかが違法で住居しない限り無理。それとて、かなり勇気もいる。

だから、とことん二人で話し合うことは、必要になってくる。
とくに言葉のコミュニケーションを重んじる国の人間が相手だと、いろいろ説明しなくてはいけないから、自己表現は重要になってくる。こんなこと考えて夫婦やってます。

昔の日本での学部論文は「異文化適応ー国際結婚の考察」でした。
もちろん、結婚5年前の私には、まさか自分が異文化結婚するなんて考えてなかったし、まさか海外で生活するなんて計画もなかった。

でも教授連に聞かれたのは「結論として、君は国際結婚は難しいかね」と。
わたし「本人が異文化にいるという認識を持って進めるより、どのように物事を捉えるか、時間をやりくりするかという文化という領域じゃなくて、個人対個人の心理的要素ととらえる方が、もっとも新しい生活に適応していく上で大きいと思う」というような、まったく専攻の人類学の離れたことを応えたような覚えがある。

昔の論文はどうでもいいけど、こちらも結婚して20年その間すれ違い多々、でも今もやはり相手を人としてどこまで尊敬できるかがキーだと考えている。

一人一人、人生の捉え方、モラルも、お金の価値観も使い道だって違うし、何を大事にしていくかが、育ってきた環境が違うんだから、もろもろが違ってあたりまえ。たとえとことんまで話し合った結論だって、いづれ変わってくるだろう。でもあなたが彼を人と尊敬していれば。彼もそんなあなたにAcceptされて、あなたの彼の出した結論へたどり着いたまでの足跡をみとめてくれるだろう。お互いを尊敬し、相手を認めて、はじめて二人の人としての成長があるでしょう。 夫婦ってお互いに足引っ張り合うこともあるけど、一人が人間として成長していく過程は、それを認めた相手も成長していくよい試練だよね。

あなたが、いっていた「何が何でも、。。。ハングリー精神云々」の話って、そんな風に相手は考えていない、道徳観が違うと思う。少なくとも、私の年代は、ボーっとしてると「たるんでいる」とか「なせばなる、何事も」なんて訓戒を叩き込まれ、すぐに精神を鍛錬して、何事にもことにあたれ、がむしゃらに生きてみろといわれてきた。

アメリカ人のわが夫は、日本の実家の父に結婚を日本流に申し込みにきたとき「お前は私の娘に何を望むのか」と聞かれて、「リラックスしてほしい」と一言でした。
いまだに、私の目から見れば、がむしゃらじゃない彼を見るといらいらするけど、怠慢なのとリラックスを履き違えて来てしまったのは私かなと振り返ること多々。
夫婦でビーチへバケーションにいっても、あちこち見て回ろうとする自分の姿は、確かにかれからみれば、リラックスできない人種らしい。
なんかアメリカの夫たちは「がむしゃら」にやっているように人に見られるのは、格好いいことじゃないと思っているのではなかろうかとさえ、思えてくる昨今です。

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