サンクスギビンギにみる、世の中の移り変わり

以前、日本から父がやってきて、まず感心したのは、アメリカ料理のデザートの量の多さ。

今年も、アメリカ人の夫の家族は今年も、パイにすごく力入れていました。

パイの写真がないのが、残念!!
義兄、義姉、義妹、義父、義兄の兄弟両親、姪、甥が全員で20人位集まりました。
パイメニューは以下の通り

レモンメレンゲパイ
パンプキンパイ、
チェリーパイ
アップルバイ、
チョコレートパイに、
アップルケーキ、
バンプキンマーブルケーキ
チョコレートマーブルケーキ、
チーズケーキが並びました。
他にもデザートにクッキー、
パンプキンナッツブレッドと
バナナブレッドが色とりどりとテーブルを飾ります。

また主食は詰め物の七面鳥の丸焼き2匹に
添え野菜として
カブ
スクワッシュ(西洋カボチャ)、
サツマイモのマッシュして味付けしたもの、
マッシュポテトのチーズ焼き
シャーロット玉ねぎのクリーム煮、
ターキーの詰め物2種、
クランベリーソース、
生野菜スティックとディップ、
グリーンサラダ、
シュリンプカクテル、
オリーブ、

私はいつもおいしくディナーを何皿もいただいて、パイには手が出せませ、
そして残り物のお土産を楽しみにしています。。。

しかしなんと結婚して20年近く、
いつも私が丁寧に持ち帰るのを尻目に
どんどん食べ残しを捨てていたこの家族が、
(まだ大皿に残っているものも、これだけばかり残していても仕様がないねといって、何人分もどんどん捨てていきます。)
しかし、今年はスープ、ペット用にと、もらって行く骨までなし。

とうとう飽食アメリカも終わったか。と皆の変わりようを眺めていました。
率先して今まで骨を捨て、添え野菜をボンボンゴミ箱に放り込んでいたて義兄はスープ用にさっさと湯を沸かして鍋に放り込み。
義妹や、あちら方の両親や兄弟まで、皆さんタッパ持参で、取り分けて持って帰っていかれました。


横道にそれますが、
人間関係がドライだと言われるアメリカでも、
やはり遠慮しあう嫁、姑、親戚関係はあります。
夫の家系はアイリッシュとドイツのカソリック。年に4−5回サンクスギビングに、クリスマス、イースターに、夏の建国記念日にと寄り合います。しかも、夫は義理堅く、亡くなった実の母親や姉の相手とも面倒を見ているので、もう親戚だらけの関係に一年が過ぎていきます。
甥姪の誕生日に、結婚記念日、そして私たち夫婦は仏教徒なので、命日や年忌も執り行います。冠婚葬祭の付き合いはこちらにもいろいろあります。

家族のつきあいはこれぐらいに、
サンクスギビングの食事の残りがもらえなかった今年、がっくりしていると
友人からの電話で、近所やお世話になった人を呼んでターキーしたけど、
いっぱい余って食べきれないから取りにおいでとのこと、
飛んでいきました。彼女も一人暮らしで、処分するのは忍びないようで。
招待客たちは10kgのターキーの胸のササミを皆、すこしだけ食べて帰っていったらしい。
残りは二人で山分けしました。

残りの七面鳥は、
まず丁寧に細切れにします。
ホワイトミートは肉汁といっしょに合えてたり、ドレッシングとあえて、サラダに。
ダークミートは薄く切って、サンドイッチ用に (クランベリーソースとマヨネーズとマスタードでサンドイッチに)
残りの骨と骨の間のお肉は炒め物に、
皮はペットに、
骨はスープ、特にカレーがおすすめです。
ごちそうさまでした。

飽食といわれたアメリカも我が親戚に関しては、終焉がきたようです。
こうした人が集まる年中行事のご馳走は、どこの階層でも、どこの家でも、似た様な風景でした。

インディアンのコミュニティーの食事も、
ホームレスのスープキッチンも、教会も、
以前はどこも豪勢で七面鳥を白身をすこし食べて、後は捨て、
添え野菜を食べ散らかし、
パイやデザートで自分が食べれるだけとればいいのに、
多くの人が一口かじって、後は捨てていました。

(しかし家庭で食べるランチや普段の夕食は、ずっと平均的日本の家庭より質素だと思います。すごい豪邸でも、中産階級でも、サンドイッチだけだったりします)

どこでも、少しづつ人々の意識は変わってきていると信じます。

また、食後の大人の会話にも、政情変化とともに移りかわりが。

レーガンやブッシュに投票していた、保守の義家族は、
オバマに期待するというコメントも飛び出しました。自分たちの生活を守るため、
「民主党に投票すると資本主義の根幹を揺るがされて恐怖だ」といっていっていた、義父や義兄が黒人のオバマを、
社会主義的な保険政策だといいながら(彼らの住むコネチカットは、この保険業で栄えていました)
オバマの民主の革新的政策を認める発言がちらほらと聞こえます。

また、夫は若いとき母親の再婚相手の義父(昔アラバマで先祖がプランテーション大農園を所有していたことが自慢)の家に黒人の幼なじみを連れて行ったら、家の敷居をまたぐなと言われたそうです。そうこの嫁ぎ先では長いこと、人種問題も、政治の話題もタブーでした。しかしその義父も数年前には、「自分にとって日本と言う国
は長い間「ママさんの国」として2次大戦、朝鮮、ベトナム戦の米兵のリフレッシュするためだけの国だった、しかし日本はこうして一人の女性を我が家の一員として送ってきた。日本を一つの国として認められることに、そしてその嫁に感謝する」とサンクスギビングの感謝の辞を述べてくれました。

その義父が最近、第二次大戦での活躍に対して州から叙勲をうけ、わたしは「それで義父さんは、日本と戦ったのね。おめでとう」と茶目っ気たっぷりに言ってあげたら、彼も笑ってました。肩を並べて話しができること、そして認められたことに感謝。

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コメント

  1. 義父様とのやり取りに、思わず涙ぐんでしまいました。
    アメリカだけでなく、地球単位の変化が訪れていますね。
    世界中の人々の意識変革が、早急に進むようにと願っています。
    日本人も、終戦後失ってきた大切な【根】を取り戻していかねばなりませんね。

    返信削除
  2. silky-windさん、コメントありがとうございます。ようやく、コメントにお礼も入れることに思い当たりました。ブログ初心者まだまだ学ぶこと多し。

    それと、先ほどあなたの10月の投稿にコメントしましたが届いたかしら。
    そうです、絶対変わらないと思ってて、こちらが変わらねばと思っていた80過ぎの義父の言葉は、重みがあります。日本の実父母も変わってくれるかな。
    まだまだ、私たちのやってきたことに、やっていることが理解できないようですが、でもこちらが認めれば、やがて認められますよね。
    子育ても同じなんでしょうね。
    まだまだ失点罰点の毎日です。

    ちえこ

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