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黒人人権問題 Black Lives Matter

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日本から「アメリカでこんなに黒人人権問題が、どうして 大問題になっているのか分からない」と言うので 黒人人権抗議行動の発端になった一連の事件と、私の周りで起こっていることどうして様々な人々が抗議行動に出たかまとめてみました メディアが報道する「暴動化した抗議行動」という映像は現状の全てではありません。現実は、平和的な黒人人権抗議行動が全米各地で展開されています。先日、マスクと手袋を着用しマサチューセッツ州の小さな街にて無言の抗議行動を写真入りで参加した模様を投稿しました。大都市では抗議行動イコール暴動として戒厳令も敷かれました。実際、日本でもアメリカでも、歴史的にいつも抗議行動は過激な行動だと報道されてきました。 上記の質問が出、抗議行動を憂える声も出、大阪で在日の米人たちが中心になって1000人の連帯行動があると、批判まで出てきたので、抗議行動の本来の目的と、時代背景とその意義が日本では、きちんと理解されていないようなので、私的解釈を入れ再投稿します  「警察や公安の 黒人に対する態度や行動が あまりに乱暴無残なものになっているから 黒人にも生きる権利があることを認め 公正な社会をねがって抗議しています。 ジョージフロイドの事件は、彼が偽札を使ったのではと警察が彼の車を止め、羽交い締めにし8分間以上も路上に頭を擦りつけ息ができないまま容疑を認めさせようとしました。これが警察のやり過ぎだったと言うこと以前にどうして彼が疑われたかが問題です。それは彼が黒人だからです。白人が自分の知らない間に偽札をつかまされ例え使ったとしても警察に留られることはありません。残念なことに、こう言ったことはアメリカでは日常茶飯事です。黒人はよく夜間スピードも出していないのに警察に車を留られます。新しい自転車に乗っていれば窃盗容疑の疑惑をかけられることもあります。自分のお金なのにATMから新札がでてくると、こうして疑われる可能性があるからか、クシャクシャにして使います。そういう社会システムが哀しいかな現状です。黒人の子供達は成人する前に 親から警察に因縁つけられ留められたら抵抗するな 間違ってもポケットに手を入れるなと教えられます! ニューヨークの公園で犬を遊ばせていた白人女性がハーバード大卒のインテリのバードウオッチングをしていた黒人研究者に公園のルールだから犬

「高齢化社会」にむかう日本の商品開発に問う, 高齢者のニーズにあった商品名、介護用品を

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「高齢化社会」にむかう日本の商品開発 ここ数年、日本に帰るたび、あらゆる会社名、商品名が、カタカナやアルファベット、さらにJapaEnglishジャニーズイングリッシュで書かれているため、戸惑う親たちの世代を目の当たりにする。 Softbank, au, NTT, Docomo, wifi, Commufa, 光ファイバー Skype, Facebook, iPhone, Apple,  BS, Digital, CS回線 WOWOW, スカパー Exxon, Mac、Windows, HP,  JR東海、JR東日本、JAL, ANA, Valor,VーDrug, Seiyu、Seven7Eleven, Family Mart, MiniMart、 Lion, Kosei, PG, Frontier, Maxwell, Pioneer, Hitachi, Sharp, UFJ 銀行、 フランスベッド、Simons、 Washington Hotel, Hilton, Marriott, Fairfield, Dormy Inn, Toyoko Inn,  田舎の親たちは、戦前、戦中、英語を敵国語として教えられ、田舎でろくに 教育もうけず、農民であるのに田畑の作物穀物は軍に没収され、食糧貧窮時代に幼少時代を過ごしてきた世代だ。1940年代のGHQ米軍占領 時代を体験し、1950年代神武景気、1960年代の学生運動に世の中は動き、70年代は安保闘争やオイルショックとマスコミに躍らされ、1980年代から始まる環境破壊、反原発市民運動に暮らしのエネルギー源に疑問を抱くようになり、1990年代バブル経済を経てきた。経済は大きく変動を続け、教育や思想の根幹を右往左往の揺るぎ続けた激動の昭和を生き、平成に入ると物の豊かさを知る暮らしを享受し、退職した世代である。現役を退き、認知症をかかえるものも少なくない世代でもある。 ここにきて、私自身も親の介護に携わり、つくづく感じるのは、「 日本の企業人らは、自分たちもやがて老いていくことを考えず、商品開発をしているじゃなかろうか、利用者の年齢幅には一人暮らしの老人だの、認知症を併発した老人は想定外じゃないか」 ということだった。 同級生の葬儀に参列して再会した旧友から、また親の介護を経験してきた友人たちから最近介護の話をよく聞くようになっ

平和祈願像

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平和祈願像  Statue of Prayer For Peace 終戦記念日8月15日早朝 父の介護の合間 金華山山麓の鬱蒼とした市中の公園に入って行くと この平和祈願像を見つけました 75年前人々は米軍の空襲に市中を彷徨い山中に逃れました 朝からうだる様な暑さが続く夏の日に 闘いが一刻も早く終わり平和が来ることを希求した姿がこの像です  On the anniversary of the day WWII ended, Aug 15, I walked the mountain early morning having a break from taking care of my father. I found this statue standing in the quiet, cool woods. 75 years ago, on 1945 boiling summer, people were trying to escape from US air raids over the city and evacuated to this shaded area. This statue represents for the people's prayer for an end the fighting, and hoping for peace. household.  45年後、日本やアジアを空から海から攻めていた一米兵士の息子は反戦を唱えて1人の日本女性と出会い結婚し 日米の文化をになった息子と娘をもうけました その子供たちも親の平和への強い願いを受け継ぎ 公正で平和な世界を望んで育ちました その 一方 1945年当時 空襲から逃げ惑ってた少年はやがて歳を重ね老いておじいちゃんになりました 第二次大戦当時 日本攻撃に参加しただろう米国兵士の息子である婿と孫とは言葉が片言しか通じないにも関わらず 愛おしく可愛くてしようがないようです。しかしこの世で生身で会える時間には限りがあります 孫たちは何とかして 世界中で猛威をふるっているコロナ禍の中 余生あまりない祖父母に一時でも寄り添いたいと帰国してきます 平和を祈りあらゆる暴力 新型ウィルスの恐怖から自由で安全で平和な世界を願って 45 years later, a US soldier

新型コロナウィルス感染者数字の裏にある アメリカの暮らし 〜第5報

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新型コロナウィルス感染者数の裏にある アメリカの暮らし 〜第5報 隔離生活六十五日目、 大学の遠隔授業も終わり、オンライン用のテスト作成、出欠、宿題発表の採点、期末成績もつけ、卒業生を送り出し、夏休みが始まりました。 自然環境保護区を犬の散歩 そして米国北東部、南部も、日常生活への復帰第一段階が、今週5/18から展開しはじめました。   しかし全業種が業務を再開したわけではありません。先ず建築業、美容院などが入場者制限付きで開業しはじめているようです。(業種は州によってちがいます。フロリダは入場者数の上限条件付きで外食レストランも、ジムもオープン)街には建材を運ぶ大きなトラックが往来するようになりました。近くの家具工場も再開にむけて準備をし始めた。フロリダでは教室を整理する教員や、寮に残した私物を取りにくる学生が、少人数で学校に来校することになりました。 外出、入店時にはマスク、マスクファッション どこでもマスク、最近のどの車にもマスクが常備され、 業種に関わらず入店時にマスク着用が常識になってきた 。 まだほとんどの人々の暮らしは、まだ自宅待機、お店に行くときはマスク着用、安全な間隔をあけることを励行されています。が地方にもよるようです。フロリダでは、マスク着用がないと入店できないマサチューセッツ州と比べ、励行されることが少ないと誰に聞いても訴えます。またニューヨーク市では、人通りがかなりでてきて、マスクや安全衛生な間隔を守らない人も出てきたといいます。こちらマサチューセッツでは、ときどきおじいさんが可愛い手製のマスクやプリント柄のマスクをしている場面に出会います。ついついその可愛さに笑みがこぼれます。またファッソン業界にも、マスク旋風が巻き起こったと公共ラジオのニュースは伝えています。そして政治家もテレビでもマスクをつけるようになりました。 そんな中、マスク条例の厳しいここマサチューセッツ州内でも、アジア食料品店や、安売りのスーパーに行くとかなりのお客さんが、攻撃ともとれるように、こちらに体当たりしてきて 、棚の商品をむしり取るようにカゴに入れる場面にもあいます。店内一方通行とあちこちの床に目印があのに、無視し近寄っても来ます。誰がそこに立っていようと目の前の商品を取ろうと、体当たりすれすれで、ぶつかってくるような輩もか

新型コロナウィルス感染者数の裏に、アメリカの暮らしー 第4報

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葬儀5件あり、生 花をお届けしました。 今はお花をお届けするのも確かに便利になりました。オンラインで確実に(非常事態下では、すばやくとは言えませんが)届きました。ほんの10年ほど前は、電話で生花を注文しても届かないことがありました。 北米南部の施設内にいた夫の義父が肺疾患(検査をうけていないので、コロナウィルスかわかりません)で、日本でも叔母がそして知人たちの家族も亡くなりました。死因はほぼ新型コロナウィイルスに関係ないものでしたが、この非常事態宣言の下、10人以上人は集まるな、 外出するなとなっているため(日本では自粛とあまり強制力がありませんが、米国では条例、もしくは国非常事態宣言が出ているため、軍の法的拘束が全ての憲法の規制を取締ることができる)葬儀は、少人数の密葬で執り行われるなり、延期になりました。 義父の場合、 葬儀は七月にワシントンDC隣接の国立アーリントン墓地で行われることになり、息をひきとったアラバマ州で遺体を化学薬品で保存後、霊安 室で保管されています、そこから葬儀のあるワシントンDCまで、棺に納め遺体を運ぶという手筈になりました。 非常事態下、米国では現在、葬儀の執行はとても困難なようです。キリスト教、ユダヤ教、など土葬の習慣が多い米国で、 感染者が亡くなった後、ご遺体はどこへ運ばれるのでしょう。 ニューヨークでは、ご遺体の数が多数なので、 霊安室が満杯で冷凍トラックに保管されていると聞きます。 亡くなっても葬儀もできない、仕事もないという状況下、納税者一人一人に補助金がおりました。 エッセンシャル(衣食住に関連する必要不可決な)職業以外の人は、外出禁止で自宅待機が続いている中、皆が在宅勤務ができるわけでもなく、多くの人が職を失いました。身近にも大学内の会議のケーターリングをしていた居候も、ニューヨーク市の公園環境の仕事をしていた家族も突然解雇を言い渡されました。 そんな中、連邦政府から納税者に一律補助金がおりました。納税者一人1200ドルです。昨年、もしくは一昨年(今年は納税期限が2ヶ月延期され6月まで中旬になった)税金をおさめた口座に振り込まれます。同居する若者たちは、小さな地方銀行を通じて一昨年、納税していたため、四月半ばには、もう銀行に連邦政府より、補助金が振り込まれていました。 私達夫婦

新型コロナウィルス感染者数、その数字の裏にあるアメリカの暮らし 第3報

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パンデミック事態も州ごとにが違います。 詳しくは「新型コロナウィルス感染者数、その数字の裏にあるアメリカの暮らし第一報」を参照ください。 さて、そんな中娘は三週間、こちらマサチューセッツにて自宅隔離の後、衣食住の住で建築関係に携わった仕事をしているからと、エッセンシャルワーカーとして、勤め先のニューヨーク市に車で帰っていきました。NY市内の感染者数をみては親として動揺し心配ばかりの毎日です。いくら仕事先には今までのように地下鉄でなく車で通うと言っても、NY州までの高速道路にはチェックポイントができ、封鎖されてしまいましたが、散々止めるのも聞かず、それぞれ自宅待機していたルームメートたちとNY市に戻りました。 しかし娘の雇用者が弁護士を雇い、建築関係の仕事も従事できるようにしたはずだったので、仕事を在宅勤務から現場勤務に移行する手はずが整っていたと思っていましたが、現実はまだ在宅勤務のまま仕事を続けているようです。世界中から注文を受けて装飾建築の仕事ですが、マサチューセッツの家からニューヨークのアパートに在宅勤務が変わっただけで、仕事を続けています。 その娘から、ニューヨークブルックリンの様子を聞くにつけ、ニュースで見えてこない暮らしぶりが伺えます。 まず、マンハッタンやブルックリン区では、医療就業者、地下鉄職員等、エッセンシャルワーカーが自らの危険を顧みず仕事を続けていることに、感謝を込めて住民それぞれ在宅勤務や隔離の中、ベランダに出て、鍋釜を l 鳴らし喝采を送るそうです。帰宅する頃をみはかり毎日7時きっかりに、その音が街頭にこだましているようです。 市内の全米のほとんどの州と同じく、店やモールが閉店していても、娘のルームメートたちは、恋人知人を訪ねていくようで、街は人通りまばらではなく、普段とあまり変わりない人の行き来だとか。こちらマサチューセッツの田舎だと、暇な時間を持て余す友人同士は、ランデブー(古い言い回しで、笑ってやってください)やチャットは、戸外や窓を通してで、一切遊びに来ても家に入れないものであるものの。 NYC サニテーショントラック むしろニューヨーク市内で目に見えての変化があったのは、通りのゴミだという。以前より街中にゴミが目立って増えたこと。ニューヨーク市は一日置きに一方の側の通りをゴミ清掃車が

新型コロナウィルス感染者数、その数字の裏にあるアメリカの暮らし 第2報

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新型ウィルス感染拡大防止でロックダウンになる前にマサチューセッツに避難、巣立った子供らがにわか田舎に集まる NY市がロックダウン都市封鎖する前の3月14日、NYCニューヨーク市で暮らしている娘と息子そのパートナーが、レンタカーを借りNY'よりマサチューセッツの実家に避 難してきました。大統領が全米に非常事態宣言を出す二週間前のことです。 私もそのすぐ後、赴任先のフロリダの大学より、春休みに入る前にさっさと中間試験の評価を済ませ、急遽決まった遠隔授業のトレーニングを受け、取るものも取りあえず、いつ戻れるかもわからないまま、マサチューセッツに空路で帰宅しました。 その時点で、フロリダ州ではまだ非常事態宣言が出ておらず、大学側も春休みを2週間 に延ばし、いつまで遠隔授業を続けるのか未定のまま、Google MeetやZoom授業の準備に取り組みました。右往左往の中、教材を山ほど抱え遠隔授業を始ました。 在宅遠隔授業も4週目、隔離生活40日目に突入! 非日常的生活にも変化が起こってきた近所のスー パー 外出禁止令が発動(マサチューセッツ州では3/23,フロリダ州では4/3)されてま もなくの4月初めまでは、まだマスク着用の人はまばらでしたし、店内の入場者数制限を 手製の布マスクを着用し、 朝早く時間制限のある前に買い物をする母親と小学生たち 文句もいわず2m間隔のテープ上に列をなす客 州知事の勧告を伝えるスーパーのて 設けているスーパーもわずかでした。しかし、現在は州知事のState Order法的強制力でスーパー内通路は一方通行で進み、棚の前で客同士がすれ違わないように配慮するよう店頭にも、各通路の床にも張り紙がはられ、入場者数が常時モニターされています。食料品店に入店の際は、必ずマスクを着用、そして殺菌剤を手に塗布後、使い捨てのゴム手袋もつけなければなりません。大型建築資材店では店頭で熱のセンサーが導入されました。感染ハイリスクの高齢者には、時間制限が課せられ、朝の10時までに入店するようにとどこも大型店はうたっています。 スーパーの店頭において2mの間隔で列を作り、レジでも2mの距離を保って待つように指示されます。ほとんどの客がそうしてカートあふれんばかりの食材を求めていきます。もともと