12/28/2011

子どもの社交術と会話 その2

我が家には今、娘の交換留学生がオーストラリアから来ている。
シドニーにあるやはりシュタイナー高校の10年生。

昨日まで彼女をつれて、クリスマスのNY市内に3−4日繰り出した。
留学生と娘や息子の会話を聞くと、同じ英語なのにアクセントや言い回しが違っても言語のギャップはなし。
数千キロ離れていても、文化的な違いもファッションの違いも感じられない。

いや違いを見つけんとするばかりに、いつも彼女を矢面の中に立たせてる自分に気づく。
「エー、こういう時オーストラリアではどうするの」
「オーストラリアにもある?これ?」ってな具合。
娘と同じ16歳の彼女は、それでもいやな顔せずに一つ一つ丁寧にしかも相手を傷つけまいとしながら答えて行く。
たとえば「これ食べてみる?Would you like to try this?]
「Not particularly、、、」
 「I prefer not to」とお父さんが英人だという彼女の家庭は、やんわりいつもこうして断るしつけをしているんだろうと、育ちの良さを垣間みる。
品格の良さなのか、アメリカのティーンエージャー同志の会話とにギャップを感じたりもする。


スマートフォ—ンと高校生


中学生の娘も、携帯テキストに自分のお小遣いをつぎ込んでいる。
舞踏会のドレスを試着しに行った。限られた予算でどれを選ぶか、試着し、携帯で写真を撮り、さらに友達に公開してどれがいいか意見を聴く。おしゃべりより、テキストだと普段引っ込み思案な娘でも、男の子とだって携帯で簡単にチャットできる。
しかも電話のように対一人ではなく、対多人数と話せるのも、携帯を利用したチャットやソーシャルネットワーキングの良いところだとのたまう。

私が高校生だった頃は図書館でよく友達と勉強し、分からないところは友達に聞いた。
しかし今はスカイプ(インターネット・フリー電話)で相談しながら、グループ発表や宿題の分からないところを同時に5ー7人位の友達とネット上で話し合い,ネットでリサーチをしながら、ワープロプログラムや、パワーポイントで発表形式に仕上げて行く。図書館で書籍の匂いに囲まれ、参考文献を山のように高く机に並べて、友達と作業を進めて行く姿はもう見られないのか。

しかしそれでもこの娘と息子の学校の抵抗はつづく。

教科書は小中高すべて生徒自身の手作りで、解剖学から歴史、数学まで色鉛筆で鮮やかに学んだことを教科書として残して行く。

天体望遠鏡を自ら解体しつくり直す作業や、気象学では小型飛行機で雲を空中から観察することまでやってくれる。劇も衣装から、舞台装置、照明器具、すべて自分たちで作り上げて行く。
先日も創始者であるオーストラリア人の思想に基づいて
ドイツ語の先生が13ー4歳の中学生を中心に、手作りのウィーン舞踏会を開いた。
この手作りプチ舞踏会のコーディネートを担当したが、予算がないすべて手作りでやろうというだけに、親がウィーン、ハプスブルク家時代から続いているケーキを焼き、子供たちはマナーからエチケット、そしてオープニングのプロムナーデのワルツを体育の授業で何週間も練習した。当日配るプログラムの制作している中、この舞踏会が15歳という年齢にかなった行事ではないかと妙に納得した。





12/19/2011

Peer Pressureって何? 娘、息子それぞれの社交術


大学新入生として寮生活を始めた息子が、クリスマス休暇で帰って来ました。
といっても、大学進学すると「当分は家に帰って来れないからね」といわれ、まるで今生の別れのように、堅く抱きしめた息子でした。
しかしいざ、新学期にはいると車で2時間半のNYに行った為か、
頻繁に宿題とランドリーをもって帰ってきては、地元の大学へ行った男・女友達を集めて同窓会がはじまり、後輩が訪ねて来ます。母親は「昔の参考書籍を送ってくれ」、カフェテリアで食べる暇がないと聞くと、ケアー便を送ったりと甲斐甲斐しく世話をやきます。

先日、そんな離れた息子をみて、彼から友達付き合いの妙技、そして息子たちが12年間伴に過ごした17人(幼稚園から高校までの一貫私立校で、各学年一クラス)の友達との付き合いから、いろいろ学びました。
私のかよっていた小中学校や、大学へ入ることだけが目的の誇りかぶった進学高校などの人間関係と随分違います。この12年間にどんな友達を築き上げたかが、今の息子や、娘の人となりになっていることにも頷かされます。



12/12/2011

モンタギュー町、反原発運動の町、歴史をひも解く


「モンタギューだより」と題してこのジャーナルを書き始めて早、3年。今回はこのモンタギュー町の歴史、1960年代以降、もともと大学が集まって全米でも屈指のリベラルな町について詳しく述べてみましょう。ここモンタギューといえば、この辺では反原発の直接行動をおこした運動家や、カウンターカルチャーの60年代の学生らが「大地に還れ」運動として、学生を終えても都会へ還らず、コミューン運動を始めました。我が家の近くにある「モンタギューファーム」は、いろんな市民運動家が創設しました。女性運動家、人種を隔てた市民啓蒙運動、反原発運動、環境運動の強者男女の若者が共同生活を始めました。さらに1800年代前半のアメリカ産業革命の面影を残す工場跡地ターナーズフォールは、もともとインディアンが虐殺にあったエリアでもあり、1900年代はじめのキリスト教異端児たちが自分たちのスピリチュアル信仰を謳歌した町プレザントレークも混在する町として、地元ニューイングランド地方を始め、全米アメリカ人なら大抵は聞いたことのある名前として知られています。

先日、ガンジー翁の「サチャグラハ」(訳注:真理を探究する)雑誌「サルボダヤ」にこのモンタギューの町と隣の町アマーストの歴史について拙文を掲載しました。まずはそれを転載することにします。

アマーストは自由な気風の大学町として、ベトナム反戦運動に始まる60年代の学生運動や、80年代後半の女性学の起こり、90年からのイラク反戦運動など市民運動が、全米の中でも活発な地域です。近辺には名門大学からリベラル大学まで5大学が集まっています。 アマースト大の他に、アート系のリベラルなハンプシャー大学、アメリカを代表する女流詩人エミリー・ディキンソンも通った最古の女子大マウント・ホリヨーク大学、そして数々の大統領夫人を卒業生にもつ女子大スミス大が集まっており、同性愛者が堂々と町で腕を組んであるいても、何の違和感もない開放的な町として、市民運動や学生運動が昔から盛んなのも頷けます。

11/06/2011

またまた大嵐、今度は十月ハロウィーン前夜におこった大自然のトリックだろうか



10月末にキャンプ生活を余儀なくされました。といっても雪嵐、まだ完全に凍った空気中の気温でないため、雪は重たくバサバサとまだ紅葉しきれていない緑の葉をつけたままの広葉樹を倒し、電気も水もネットも数日間、寸断されました。漸くガソリンスタンドが発電機などで回転しだし、あちこちネットを探して、すぐ滞ってしまう事務処理を進めているところです。

今年のモンタギュー、アマーストは本当に妙な季節な移り変わりです。
紅葉が2週間ほど遅れ、まばゆきばかりの紅葉を遠路からのお客さんにお見せ出来なかったのが残念だと思っていたところ。
例年ほどは日中の温度差が足りないのか、今ひとつの彩りの秋の景色の十月半ば、いつもより遅く先週、初霜がおりたばかりです。
農家の方はいつまでも作物が取れると喜んでいたのも束の間でした。

この週末いきなり大雪で、まだ彩りを終えて落葉していないメイプル等の広葉樹がばたんばたんと
重い雪に耐えられなく、電線と電話線を切断して倒木しております。
それによってあちこちの道路が通行止めになっています。
復興には1−2週間かかるとのこと。人間も冬支度を整えてなくて、除雪の機械を動かせるようにしていないのに、
ましてや動物たちはまだ冬眠のしたくも出来ないまま、
我が家の納屋にあった古新聞に、小獣がくるまって凍えていました。電気の生活、ガソリンに頼り切った暮らしをしていたことが露呈した日々でした。

10/20/2011

福島の被災高校生を受け入れに、仙台空港へ。

 一ヶ月半前のことです。福島市へ向かいました。
アメリカで教えている高校から、東日本震災で被災した高校生を受け入れたいとの依頼があり、
9月からの新学期に間に合う様、福島の高校生に決まって
迎えにいったのが第一理由でした。

また我が家の直線距離にして北30マイル(50キロ)にあるバーモント州ヤンキー原発の風下農民が、福島の農地土壌浄化で救援したいが、その可能性を探ってくれとの依頼もうけていたので、福島の農家の方に会いに行きました。

仙台空港に9月の初めに到着、
空港はもうすっかり復興したように見えました。
既に暗くなっていたので、宮城県を即通過して高速でそのまま福島入りし、農家の方々、メディアの方、NPO
の方が待っている福島市内の果樹園農家のお宅へ到着しました。

8/31/2011

日本のおへそ辺りで水のありがたさを実感


白山神社のおおもと、中居神社の懐にて

水田を眺めた墓地にお盆詣り
阿弥陀ケ滝下流
いつまでも、いつまでも清い水をいただきたいですね。そのためには滝に打たれてきましたが、自分に何ができるでしょう。ずっと後世代までも、この水が流れていますよう。涸れる事なく、民を獣を土壌を 潤しつづけてくれるよう祈るばかりです。

記紀・万葉の地へ、歴史を辿る旅 その2



雨が多かった夏休み、大和路へ足を運んだ。百済の地をちょっと訪れ、
その後日本へ帰ってきて訪れたい地。

昨年も近くまで行きながら訪れられなかった現在の奈良県桜井市、天理市、橿原市、明日香村へ赴いた。
震災後の復興、人々の安住の地であれとの祈りを胸に


石上神宮

石上神宮本殿門
黒塚古墳(柳本町)
箸墓古墳(昨年は卑弥呼の遺品出土と)





大神神社参道


石舞台古墳
橿原神宮

  
前方後円墳 崇神天皇陵 

いにしへの詩人は何を見、農民たちは自然と、どのように対話してきただろうか。自然の神は荒くれ河川の氾濫、橋の倒壊、家屋/田畑/雑木林をたちまちの飲み込んで行く。それでも豊穣の実りをもたらし、私達人類はおごらず、立て直してきたではないか。
三輪山、耳成山、天香久山を眺める
高松塚古墳

8/30/2011

古人の銘文に学ぶ、ユーロシア大陸端っこ日本の歴史を辿る旅 その1

鹿野政直氏著の「近代国家を構想した思想家たち」のページをふと開いた。アマースト、日本の明治期のつながりをや新島襄始め、明治初期の米国に渡った人々を調べるために手に入れた本の一冊。

幕末から明治期に1838-1906年にかけて、こんな主旨のことを語った思想家がいた。

今の日本は彼等の期待にそえたか、それとも憂い通りになったか、以下の思想家たちのことばをもういちど読み直し、自問してみたい。

江戸末期、渡辺華山は、1838年に「憤機論」の中で
「今天下五大州中、亜米利加、阿弗利加、オーストラリア 三州は既に欧羅巴諸国の有と成。亜細亜州といへども、僅かに我国、唐山、ペルシアの3国のみ。その三国の中、西人と通信せざるものは、唯我邦(くに)存するのみ。万万恐多き事なれども、実に杞憂に堪ず。論ずべきは、西人より一視せば、我邦は途上の遺肉の如し、餓虎渇狼の顧ざる事を得んや。」と語った。

中江兆民は1901年ごろ
「フランスでヴォルテールやルソー、モンテスキューを学び、帰国途中アフリカ、アジアの各地を回った。文明国人であるはずの英仏人らが、威張りちらし、その土地の人々を「犬豚」以下にしか扱っていないのを発見したことであった。前者は彼に、革命や人民主権についての明確な認識をはぐくんだ。後者は、いわゆる文明が侵略と裏腹の関係をなしていることを、その脳裏に刻み付け、アジアの人間としての自覚を深めた。帰国後、フランス学を教えるための学校仏学塾を開く一方、いくつもの漢学塾に入門し、漢学修行に精を出した。そこには、仏文を翻訳するにあたり訳語をみがくという意味と、儒教や漢訳仏典を主とする中国の伝統思想に、民権や自由への根を探ろうとする意志がはたらいていたに違いない。彼には、福沢のように西洋文明をモデルとせず、それを超えるより普遍的な文明をという志向が打ち立てられていた。」

1906年、岡倉天心は英文「茶の本」の中で
「平均的な西洋人は自己満足に安住して、自分たち以外の文化を理解しようとせず、茶道についても、例によって風変わりで子供じみた東洋のさまざまな奇習のひとつにすぎないと片付けてしまうことだろう。日本がこの平和でおだやかな技芸にふけっていた間は、西洋人は日本のことを野蛮な未開国だと見なしてきたものである。それが、近頃になって日本が満州を戦場にして敵の皆殺しに乗り出すと(日露戦争)、日本は文明国になったというのである。戦争という恐ろしい栄光によらねば文明国と認められないというのであれば、甘んじて野蛮国にとどまることにしよう。私たちの芸術と理想にしかるべき尊敬が払われる時をまつことにしよう。」

内村鑑三も1892年に「日本国の天職」より
「自利を以て社会の中心と見認るの人は人類中最も小にして最も賎しきものなるが如く自国を以て万国の中華と見倣すものは亦国民中最も弱く最も進歩せざるものなり、自国の強大のみを求めて他国の利益を顧みざりし国民が永久の富強に達せし事あるは余輩歴史上未だ曾て之を見認めざるなり、(中略)日本はただに他国の文明を吸収し彼等の千辛万苦以て吾等に供へし文明の美菓に飽き以て満足すめきものなるや、或は日本国も他の強大国と等しく世界の進歩に対し為す処ありや。

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8/10/2011

広島記念式典に参列して。2011夏、旅日記その2

高校生が脱原発の署名を訴え、快く応じる市民の方












20年ぶりになる広島の原爆の日、8/6近辺の行事に参加して来ました。


3.11以来の脱原発の勢いでにぎやかなのか、ここ数年8.6の祈念式典自体がお祭り騒ぎの賑わいなのか、計りきれない広島の街。全国から集まった人の気に当てられ帰ってきました。

旧友から「今年は広島盛り上がるよ!!、ぜひ8・6は広島へ」との言葉に応じるように、広島へ舞い降りました。

まずは広島平和ドーム前に慰霊を捧げました。懐かしい顔、新しい顔を認め、旧友がソーラー電気で供給するコンサートに参加する前に、
まずは平和公園を一回り。
韓国、朝鮮人被爆者慰霊塔
韓国、朝鮮人被爆者慰霊塔が平和公園内に移動していました。さだこさんの折鶴塔のすぐ手前、諸宗派の墓前の隣へ。韓国朝鮮文化の死者を見送る亀の上に鎮座しています。


 
広島原爆の日の前日、被爆者の方が木陰で子どもたちに体験談を話して聞かせています


さらに目新しいのは、広島市立平和記念館が大きくなり隣のビルから入館して、体験談をかなり取り入れていること。子供が夏休みにもかかわらず、学校、自治体単位で見学に来ています。





ぜんぜん人気がなかったけど、平和記念館の裏あたりの平和公園内に国立被爆者慰霊館がありました。展示というよりは、ここで一時涼んであの日に思いを馳せてくださいといった感の建物には、瞑想の部屋のような遺影や故人のお名前が連ねてあります。
川沿いではあちこちで野外コンサートが8/5にあります。右翼も中革もいるようで、機動隊私服警官が暑苦しく平和公園を囲っています。

8/5夜には旧友の用意した市民運動の交流会会場で宿を借ります。
しかし交流会も各種講演会も、イベントにもいっぱい出席したかったのですが、時間がずれていたり、情報が入らなかったりと思い通り参加できませんでした。

こんなとき、広島駅前で広島市の職員が情報を集めておいてくれたらよかったのに。もっと駅前で資料をいただいたとき、強く要望すればよかったかな。それは広島市のみならず、ほかの市町村でも感じます。せっかくJR駅構内に市の観光案内があっても、市民の行事までは把握しておらず、もっと広く市制のみならず、住民の情報版の役割をすればといつも願っています。

各種行事に参加できなかったものの、交流会の様子は疲れて休んでいた部屋にも伝わってきます。翌朝早速の関西からやってきた若い方と長年さまざまな活動をしているという女性と情報交換しました。今日び、ビジネス界ならずとも、こうしたボランティアで手弁当でやってきている人々の交流会はアメリカでも日本でも盛んです。

8/6当日は昨夜遅くまで市民運動かの人々は交流会と称して飲み会が会ったようですが、私は早々と寝ました。が同室の大阪、東京、神奈川から来てた情勢たちは、今朝原爆投下同時刻の8時に平和ドーム前で座り込み、ダイインという我が友人らの団体の呼びかけに参加すると7時にはチェックアウトして、目の前の平和ドームへ向われたようです。一方、私は数十年ぶりの公式式典参加をしたかったので、彼女から遅れること数分、平和公園に向いました。式典会場のテント内に入るための列は7時半にはもういっぱいで、テント内に入れるか危ぶまれましたが、何とか強行突破ならず現地で出会った大阪からの別の旧友を見つけ何とか入りこみました、写真のような結構いい位置で、遺族、被爆者、認定外被爆者、来賓、外国客、一般客と区別された座席が整然と数百席あったでしょう。そのうち一般席をその場で落ち合わせた訳でもないのに、知り合いと確保できました。


7/26/2011

夏休み旅日記 〜韓国・百済の地を訪問

シンルル  チョッッスm .  カm사  보살핌 고마웠습니다. 즐거웠어요.


日本へ帰る前に20時間たちよったソウルで、叔母と呼んでくれる韓国人で自称姪っ子のようにかわいがっていた元下宿人とその母親に市内案内を頼み、いざソウルへまいらん。

ソウルでは、1980年代オリンピック前に何回かわたったソウルの様子とは打って変わり、日本のバブル期を思わせる経済成長ぶりと、町の勢いに圧倒されました。しかしその間を縫うように息づいていた地方文化に安堵もした。また昨年訪ねた開発甚だしい沖縄の開発ぶりも脳裏に思い浮かべもしました。


今回案内を依頼したのは、百済、新羅、高句麗三国に由来した史跡観光もしくは、その時代のなごりのある仏像鑑賞。帰国の間に、地元ソウルの環境運動に関わっているという下宿人に韓国の環境問題の取り組みも尋ねた。

母親とやってきた私をアメリカのオンマとよぶ下宿人は、はしゃいであちこち案内すると躍起だった。




米国私立大学に子を入れてわかった全米大の高い授業料の裏事情、米国資本投資の奥深さ

6月には新年度(普通大学教育機関は9月から、しかし息子の大学は新入生には特別国際関係講習を必須で受講するため8月はじめ)大学側から学費の請求書が届きました。
以前に投稿した記事@「18歳の覚悟その2」最新コメントのその後の話です。

連邦政府への予備兵役登録にコンシエンシャスオブジェクター登録をしたためか、息子のソーシャルセキュリティー年金番号では、連邦政府年金コンピューターが連動されて大学の学生課、奨学金/学費徴収課に当初あがってきませんでした。
それでも大学で確保してあるendowmentより奨学金がおりる事になりました。

この基金endowment は恐ろしいほど各私立大で持っています。イウェール大など膨大なもので、軒並みいる企業をしのぎ投資運営しており、これが NPO 法人なのかと考えてしまいます。ある意味、企業だと投資すれば株主に還元されるけど、大学は学生や施設に還元するとも考えられます。

さて上記NYタイムズで取り上げられた6千万ドルの個人寄付が投資家で篤志家が息子の入る大学におり、そうした基金から理系を4年間専攻すれば授業料全額おりるとの朗報も聞こえてきました。アジア系の留学生に押され気味な理系をもり立てるためか、脳科学を専攻するという息子の大学のみならず、元女子大でも理系専攻学生には奨学金がかなりおりるようです。またAmherst College などでも学生が学部卒業時には、普通に4年間全額払えば20万ドルにもなる多額の借金を肩代わりする大学もあります。

よってたとえば、義妹家族のように夫婦で一番お金持ちな州コネチカット州の職員として働いていて娘を同州立大学へ行かせると逆にすごく学費がかかります。がこれが他州の私立大学へいくと中級階級でも奨学金がおりて比較的小額の学費で済むという図ができます。

このからくりをアメリカ市民でもかなり知られていないようです。厚遇で最大限の環境で学べる全米の私立大学も学生数確保に奔走しています。たとえ、名門であっても受験者数は多いにこした事はありません。より優秀な学生をもとめて、今後もアメリカでは教育産業が華やかになっていくことでしょう。

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6/20/2011

日本への共感から, 地球市民としての意識高まる

お久しぶりです。

東日本震災では、多大な被害を受けた地域の方々のみならず、皆様にお見舞い申し上げます。

こちらアメリカで3・11以来、日本への共感Empathyが高まっております。

このエンパシーという言葉は、日本の英語の授業でよく聞かれたシンパシーSympathyとはかなり様相を異にします。
シンパシーは同情と訳され、哀れみに近いことばです。
しかしエンパシーは最近でこそ日本語でも聞かれるようになった「共感」、つまり他人の悦びや悼みを共有すると云うことらしいです。アメリカでは話し合いをする際も、このエンパシーが出来る人がよく尊ばれます。つまり人の意見に十分に耳を貸し、聞く耳をもって話し合いに望む姿勢です。人の感情や境遇を共有しそれを受け止める事、反応して積極的に関わろう、相手の感情を和らげようとしたり、相手の感情や思いを慮るばかりに反応して、相手の思いを哀れむのは、むしろシンパシーという行為でしょう。

ここ北米で日本への共感が本当に如実に現れたのが、今回の3/11の震災でした。
それこそ、会う人ごとに「大丈夫か家族は、友人知人は皆無事か」
「自分に何が出来るか」「日本は大変な事態になっているから心配だろう」といった言葉が数週間にわたってほぼ毎日、世界中の友人からメールが届いたり、あるいは普段言葉も交わさない人々からも声がかけられた。
ある人はボストンでコンビニに入ったら、ラテン系のパートのおじさんから、「日本は大変だったな、何か欲しい物があったら何でももっていけ、俺がマネージャーに言っておくから」といったありがたい哀れみの申込もあったときく。またみそ汁を販売して救援基金に寄付したいという小学生の親からの申し出があったかと思えば、
千羽鶴をおってその鶴の数ぶんだけスポンサーを捜し、100万羽を集めた全米の有名大学を中心としたプロジェクトに我が校生徒にも参加を呼びかけたら、2−3週間であっと言う間に2千羽休み時間となしにおってしまった生徒達がいたり、授業をつぶしてクラスで参加したり、果ては我が家を提供してたとえ数ヶ月でも高校生を福島から引き受けたいというホストの申し出もあった。100日がすぎ、東日本が日本が元気になってくれるよう人々の祈りがひしひしと感じられる日々が続いた。


さらに、4/23の朝日新聞の記事を紹介したい
写真:「東日本大震災は私たちをどう変えるか」と問うマイケル・サンデル教授=22日午後、米ケンブリッジ市、春日写す東日本大震災は私たちをどう変えるか」と問うマイケル・サンデル教授=22日午後、米ケンブリッジ市、春日写す
東日本大震災後の世界のあり方をめぐって、対話型講座「正義」のテレビ放送や著書が爆発的人気となった米ハーバード大学のマイケル・サンデル教授 (58)が22日、同大の学生主催のシンポジウムで、参加者と議論を交わした。震災で生まれた日本への共感は、国境や文化を超えた共同体意識が芽生える きっかけになる――そう訴える教授に、参加者はそれぞれの意見をぶつけた。
サンデル教授はまず、日本へのかつてない共感を広げた東日本大震災で、国境や文化を超えて、他者の痛みや喜びを自分のことのように共有する「世界市民」 の意識が生まれるだろうかと問いかけた。答えは「共感だけでは変わらない。私たちが他者と持続的なかかわりを築くことができるかにかかっている」。そのた めには、他者と開かれた対話を続け、コミュニケーションを深めることが最も重要だと強調した。
「世界市民という考えに感動した」という女性には、自分の支持する政治哲学は「論理と理性」と「共感的理解」を分けるものではなく、双方を含んだものと 説明。世界中の人々が共同体の意識を深めるための議論も、感情や情熱と理性を切り離す必要はなく、むしろそれらを反映しながら、公の場で堂々と議論すべき だと提案した。

4/24/2011

18歳、米国市民としての責任と義務その2「覚悟」を決める

18歳、米国市民としての責任と義務として以前投稿しましたが、その後数ヶ月の歩みを記しておきたいと思います。
息子が18歳になる直前に、合衆国政府から封書が届きました。その封書は、彼宛に毎日束のようにやってくる数通の大学案内にまぎれていました。一通はセレクティブ・サービス(国の緊急時には徴兵に応じますという登録書)の封書、さらに無差別に選ばれた裁判陪審員への出頭要請もあります。ナショナルセキュリティー(国家安全委員会)からの外交、安全保障に関する青少年リーダー養成フォーラムつまりCIAへから、奨学金もだすからといった会議への参加招待も来ていました。

息子は陪審への出頭をとても誇りに思っていたようです。学校でも職場でも欠席扱いにならず、陪審員としての指定案件の審査を済ませて選ばれれば、裁判所から某の金一封も支給され、アメリカ国民としての義務を果たします。本人は一人前の、意志ある成人と扱われた気がするのか「誉れだ」として勇んで出かけました。

一方、セレクティブ・サービスこれこそが、米国で男子を生み18年間いつも、片時も母である私の頭から離れなかった徴兵制の予備登録書であります。セレクティブというからには選択制かなと思いますが、いやいやそれはお国の緊急時には、国の為に身を呈して尽力することを誓う徴兵登録であるところに間違いありません。登録書は運転免許書と連携し免許申請時に訊かれ、さらに大学の申請時にも、高額の授業料(全米学部に関わらず、授業料と初年度は近隣学生でも寮に入る事になっているから、すべてあわせて日本円500万円位、年間かかる)の免除、もしくは奨学金要請を行うのに、大学や私設の奨学金申請エージェーン トから、政府から徴兵登録はすませてあるか、済ませてなければ即刻するようにと促されます。

何人かの男子をもつ親にも聞いてみると、「これはいわゆる一般でいる徴兵制でない、悪魔で予備登録だから、署名したからといって即、軍隊にとられる訳ではない」ということで署名した。という弁護士の資格をもち、大学の法学部部長までしていた父親からの返答もありました。(それでも署名したら国の戦争行為そのものに協力したと私は解釈しますが) また即大学の授業料奨学金申請をしなくてはならないので、考えずにその場で息子の替わりに署名したという母親がいたり、そんなことは知らない、まだ運転免許をとったばかりだからかどうか、セレクティブサービス封書そのものを、18歳になっているがもらっていないというクラスメート男子も数人いました。

母親として息子には常々、徴兵拒否コンシエンシャス・オブジェクターとして登録してほしいと願っています。全ての生命を敬う人間になってほしいと日本の祖父母に命名してもらった「敬生」という名を持つ息子です。父親であるアメリカ人夫は、原子力潜水艦を製造する軍隊の町に育ち、父親も義父も軍の仕事に携わり、母親の夫義父はGEジェネラルエレクトリック社でも仕事をしていました。しかし夫は18歳の時、自分宛にコンシエンス・オブジェクターとして書類を送付し、自称コンシエンス・オブジェクターになっています。しかし息子には彼の人生なのだから本人の意思を尊重しようとの考えです。


このコンシエンシャス・オブジェクターということば、日本語では一般的に良心的徴兵拒否と訳されていますが、これでは本当の意味が薄れているのではないかと思われます。そう思い始めた背景として、ここ数ヶ月の息子との会話、家族の会話、周りの平和活動家の意見や、仏教僧と殺生について話し合ったことから、この言葉、そして徴兵登録の背景、意味について考えてみたいと思います。

2/28/2011

SNS 恐るべし。twitter 革命にfacebookに始まる一国の民主化へ。しかしブログは恐るに足らないと米国の外交誌

朝日新聞がよく引用する、米国の外交問題をリポートしたり、論評を書いている雑誌フォーリン・アフェアーズ。
すこし右寄りな記事も多いですが、興味深い論評が昨年の12月に掲載されていて、エジプトの民主化、中国政府の牽制をしる今、読むと面白いのでここに掲載します。


(世界的に影響力のあるフォーリン・アフェアーズ論文や発行元の米外交問題評議会(www.cfr.org)による分析の日本語訳の抜粋を掲載しています。)と朝日は書いていますが、

個人的には最後の部分、この記事を書いた人のブログ掲載者にたいする意見は、賛成しかねます。

フォーリン・アフェアーズ リポート

インターネットは自由も統制も促進する —— 政治的諸刃の剣としてのインターネット

2010年12月10日発売号
イアン・ブレマー/ユーラシア・グループ代表
■テクノロジーは自由を拡散するか
「情報技術は時間と距離の制約を取り払った」。1997年に(フォーリン・アフェアーズ誌に寄せた論文でこう切り出した)シティコープ(現シティ・グ ループ)の元最高経営責任者ウォルター・リストンは次のように続けている。「独裁者が市民を支配するジョージ・オーウェルのビジョンが実現することはな く、(情報技術革命によって)市民が独裁者を監視できるようになる。そして、自由という解毒剤のないウイルスが、電子ネットワークをつうじて世界のあらゆ る地域に拡散されていく」

2/16/2011

エジプト民主化ニュース、ブログまとめその2

こちらのブログでも栞として、時々紹介している保坂さんのブログ
ヨーロッパから「エジプト民主化」コメントが掲載されていた。自分のメモの意味もあって、引用させて頂く。
さらにアメリカの労働史にでてくる工場の民主化への流れで起きたストライキの様子の比較が興味深いので文末に掲載。

 2011.2.12 飛幡祐規(たかはたゆうき)さんのブログより「アラブの春−チェニジアとエジプトの革命と民衆の力
チュニジアにつづきエジプトで起きた民衆革命、ヨルダンやイエメンなどアラブ世界に波及しつつある震動をヨーロッパから追いながら、いま歴史が動 いているのを感じる。2001年の9.11連続テロ以降、ブッシュ大統領のアメリカ合衆国が圧倒的な軍事力と資本によって国際社会に押しつけた不自由な世 界ーー自分と異なる人々や文化を危険なものとして疑い、敵視し、抑圧しようとした二元論の有害な嘘が暴かれ、崩れつつある。この動きが何をもたらすかはま だわからないが、世界が新しい時代に入ったのはたしかだ。めざましいと感じた点をいくつか記しておきたい。
まず、チュニジアとエジプトで起きている出来事は「革命」とよぶべきものだ(なぜ日本の主要メディアはこの言葉を使わないのか?)。予想できな かったありそうもないことが起きて、既成の秩序を覆すーーそれが革命だ。辞書には、「被支配階級が支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制 を根本的に変革すること」と定義されている。両国では、被支配階級の民衆が非暴力の抗議運動によって、政権を打倒するにいたった。この革命過程が成功すれ ば、体制が根本的に変革されて民主主義国家が築かれるだろう。挫折したり、真の変革が起きずに別の勢力に権力を握られたりすることもあるが、革命の精髄 は、思いもよらなかった民衆の行動が既成の体制を覆すという点にあると思う。その意味で、ベルリンの壁の崩壊につづく東欧諸国と旧ソ連の変革に匹敵する革 命が、アラブ世界で始まったといえるのではないだろうか。


これまで、いわゆる西欧先進国(自由世界)では、テロとイスラム原理主義の脅威を防ぐためには、アラブ諸国の 強権的あるいは独裁政権と協力し、その反民主主義的統治にも目をつぶる以外に道はないという理論が信じられ、実践されてきた。つまり、アラブ国家にはイス ラム原理主義か強権的政権のどちらかしかありえない、アラブ人は民主主義国家を建設できないという考え(偏見)が信じられていたのだ。ところが、チュニジ アとエジプトで起きたことはその理論をくつがえすものである。これらの専制政権は、イスラム原理主義と闘うという名目のもとに、ムスリムの組織に激しい弾 圧を加え、運動家を投獄し拷問にかけてきた(殺された人も多い)。その弾圧はブッシュの戦争と同様、テロを防ぐことはできなかった。、、、

 チュニジアとエジプトでの民衆デモの映像や報道を見ればわかるが、蜂起した人々の大多数は宗教団体に属さな い市民であり、抗議運動においてチュニジアのエンナーダとエジプトのムスリム同胞団が担った役割はとるにたりない。双方とも非宗教の民衆革命といえるの に、イラン革命のような宗教勢力が擡頭するのを怖れる声がただちに上がった。この恐怖も、原理主義の脅威という強迫観念(ほとんど妄想)が生み出したもの である。

、、、
ベンアリ失墜後に旧勢力への報復リンチはまったく行われなかった。
エジプトでは、ムバラク旧大統領がベンアリの二の舞を踏むまいと、2月2日に「親ムバラク派」と称する暴漢(主に政権に雇われた貧困層や警察官) をタハリール広場の反政権派に対して放ち、民衆に恐怖を植えつけて分断しようとした。抗議運動がつづいた18日間の死者は三百人以上にのぼるといわれ、多 数の市民が負傷し、逮捕・監禁された。しかし、暴挙を受けても彼らは自由の象徴となった広場から離れず、自警団を組織して混乱を阻止した。広場では、携帯 電話の充電、水・食料の配給、ゴミの処理、掃除などが自治によってオーガナイズされ、負傷者はボランティアの医者・看護士によって無料で治療された。ソー シャルメディアを駆使する若者とイスラム教徒、コプト(エジプトのキリスト教徒)、労働者、医者、弁護士、教師などさまざまな職業と階層の人々が共生し、 議論をたたかわせ、力を合わせ、助け合った。途中から家族連れや女性も大勢運動に参加し、男女を分離しようとした宗教者は一笑に付された。他者を尊重する 寛容な民主主義の理想が実践されたのだ。ムバラク辞任の後に、彼らは広場の片づけと清掃を行った。

彼らが求めるのは自由と公正な社会ーー民主主義の理想であり、人らしく生きること、つまり 人間としての尊厳である。抗議運動が広がり、大勢の人が同じ理想と希望を抱いているのを実感した彼らは、恐怖から解放された強靱な集団になった。

アメリカにはチュニジアの詳細はあまり入って来なかったが、両国の民主化運動のひろがりがが伝わって来た。

ちょうど高校の労働史の授業で
アメリカで起きたストライキの様子の詳細に触れる事があったので、ここに紹介したい。

2/12/2011

エジプトの人民自由を手に入れるか、フェイスブックが発端? 日米メディアの反応

エジプト・ムバラク大統領辞任、エジプトに民主化の波! 人々の歓喜の姿が米国でも流れています。
アメリカでは、オバマ大統領をはじめ、これを歓迎する声が大方ですが、なかにはFoxニュースなど保守でかなり右寄りなメディア(日本では、よくこのニュースも引用されるようですが)は中東への影響を懸念し、アラブが世界を制覇する幕開けだと、これをテロとくっつけ聴衆に恐怖をあおっている学者やニュースキャスターもいます。
MSNのニュースでは、エジプトのある青年が不当に投獄されたのをきっかけに、ムバラク政権を独裁だとして、フェイスブックで民主化を呼びかけたのが、今回のデモのきっかけだと、エジプトからのコメントを掲載している。もう世界中インターネット接続可能な携帯電話があれば、人々の声は上げられる。と言っていたがとても印象的だ。 
2−3日前、9人の犠牲者が出た時点で、米の報道人がエジプトの人々にマイクを向けると、「これは暴力に訴えた反政府デモではない。これだけの人が街頭に出て、むしろ犠牲者は最小限に食い止められているんじゃないか。海外のメディアは暴力に訴えたゲリラだと報道してほしくはない。われわれは平和裏に民主化を求めている」。メディアのありようで、エジプトの様子はどんな風にも報道される。
恐怖の対象となったり、ただの対岸の火だと決めつけられたりもする
一方日本のニュースはお祭り騒ぎだとか、他国の反応の報道ばかり目立って、その騒ぎがエジプトの一国の国のみならず世界に及ぼす影響や、歴史的な意義についてコメントを避けているようだ。

1/28/2011

2011年 オバマ大統領一般教書演説 私はこう聞いた 仮訳

ホワイトハウス大統領官邸サイトのビデオや
ニュース番組のオバマ大統領の演説を聞いた。

彼の演説の巧みさは、とにかくすごい。

人を鼓舞することを心得ている。
スピーチライターと共同作業で一ヶ月かけて作成したと言っていたが、
迫力と、説得力と、話しのまとめ方にかけて、群を抜いている。

保守派、革新派、右派、左派と別れ別れになっている現代の米国の政治色を立て直すべく、
中立色をだして、人々の一致団結を打ち出した内容になった。
これに、まずすごいと思う。

最後までもめていたけど結局、民主党の言い分から随分離れた共和党の当初の言い分に、妥協した保険制度の法案通過をあげるまでもなく、

オバマ大統領が演説最後に述べていた部分は特に印象的だった。

以下仮拙訳「法案一つ通過させるのも、法案の文字一つ一つをこねくり回し、アーダコーダと論争を繰り返し、引っ掻き回すのが各人の民意を尊重するいうデモクラシーかもしれない。が皆さんアメリカ市民は、この国を他のどんな国とも取り替えたくないはずです。

どんなに意見が違おうと、どんなに政治的立場を違えようと、憲法に称えられた権利に固守され、努力すれば何事も可能だと約束されている国だと、我々はこの国を信じているでしょう。一人一人の生い立ちが違おうと、出身がどこであろうと、何事も可能にならしめる国だって信じているはずです。

だから私も、こうして皆さんの前で演説していられるわけです。貧しい労働者の息子が僕の後ろ、副大統領の席に座っていられるんだ。オヤジさんの飲み屋の床を拭いていた息子が、下院議長として後ろに座っていられるんだ、それがわれわれのいいところじゃないか。(大拍手)」と、一緒に未来に希望をもち、できるだけ借金をのこさないようにして、乗り越えて行こうと奮い立たせる内容と成った。




  ホワイトハウス公式サイトより    We should have no illusions about the work ahead of us. Reforming our schools, changing the way we use energy, reducing our deficit –- none of this will be easy.  All of it will take time.  And it will be harder because we will argue about everything.  The costs.  The details.  The letter of every law.
  
      And yet, as contentious and frustrating and messy as our democracy can sometimes be, I know there isn’t a person here who would trade places with any other nation on Earth.  (Applause.)
      We may have differences in policy, but we all believe in the rights enshrined in our Constitution.  We may have different opinions, but we believe in the same promise that says this is a place where you can make it if you try.  We may have different backgrounds, but we believe in the same dream that says this is a country where anything is possible.  No matter who you are.  No matter where you come from.
      That dream is why I can stand here before you tonight.  That dream is why a working-class kid from Scranton can sit behind me.  (Laughter and applause.)  That dream is why someone who began by sweeping the floors of his father’s Cincinnati bar can preside as Speaker of the House in the greatest nation on Earth.  (Applause.)

18歳の息子たちは、この演説を夜遅くまで聴き、感激して昨日からハーバード大主催の模擬国連会議に出かけて行った。そこでまた世界中から集まった数千人の高校生とそれぞれの国の仮代表となり、環境問題、人口問題、軍縮問題、各国間の和平調整などを話し合い、resolution を採択していく。そんなことを高校生から、仕込まれて行く。私のつとめる公立学校でもこの一般教書(私はこれを施政演説と訳してよいのではと思うのだけど)演説について、生中継テレビで観る宿題があり、
その後、労働史の授業でそれぞれの意見をもとめる話し合いがあった。

1/26/2011

ヒトの退化? 

このテーマについて長いこと書こうと思っていた。
 すると、先先回の投稿での
クロスカントリースキーでも
また最近自分の足の指について考える機会があった。

先回での投稿は半世紀に思いを馳せてほしいと書いた。
今回はいや数百年に、2000年前に思いを馳せてもらいたい。
いやいや、さらに有史以前の2足歩行を始めたばかりの頃にもどって、
ヒトの足の動き、特にその先、足指の動きに注意を払ってほしい。

私たちがこの靴を履き出したのは、いつのころだろうか。
なつでも草履、下駄をやめてしまったのは、
特に私のように田舎に住んでいると、自然に囲まれているので、余計に生活のなかで車に頼る生活になってしまう、犬と散歩したりする以外、歩かなくなった。

クロスカントリースキーは足の先に力を入れてはかないと、スキー靴がスキー板にカチッと装着してくれない。
外反母趾のヒトも多い。
足の指を蹴って歩く事がなくなった為に、私の場合、足の爪に異常、巻き爪が出て来た。、、
ふりむけば結構まわりに同病の人があちらにもこちらにもいた。
とにかく、足の先に力が入らなくなった。

つま先立って歩く事も、全速力でダッシュして走る事もない、乗馬だってやれば別なのか、、
こちら米国で初めて暮らしたホストファミリーの黒人の女性も靴ばかりはいていて、いつも足がかわいそうなくらい固くなっていた。そして20年前、白人の夫の親の足を見て思った事があった。これが半世紀以上、何10年も靴を履き続けて来たあしなのか、
こんなに足が冷たい、靴ばかりはいて足が麻痺したのか。


我が子どもは日本で、この足の指と発達が大いに関係ありとした進化論者井尻正二や、脳科学者の指導をうけた保育、さくらんぼ保育をたまたま近所で縁あって通わせた。

這い這いする時に、この足の指を蹴らないで発達してきた幼児もいる。
またタカツキ這いをする時に、足の指がうまく機能しない乳児もいる。
ヒトが、両生類から、は虫類と進化するとき後ろ足、人では足の指が鍵となると説く。
ヒトが胎児からの成長は、人類の発達進化を繰り替えすと説き、毎日この発達進化を、なまピアノに合わせてリズム運動に誘う。

1/17/2011

あれから半世紀、人類は進化したか、

ケネディー大統領の就任演説で「地球市民のみなさん!ともに手を携え、一歩一歩未来へ前進して行こうではありませんか。」(拙訳)といってからこの一月でちょうど50年。私たち人類はどう歩んで来たか。


キング牧師の誕生日(1/15)を祝う祭日の今日,考えてみたい。

それから3年8ヶ月後、同じ首府ワシントンDCの
リンカーンメモリアルからキング牧師が訴えた
名演説「I have a dream」の中の、彼の夢は
実現出来ただろうか。










アメリカでは、アフリカ系移民と白人の両親をもつ、バラク・オバマ大統領として選出された。

1/13/2011

アメリカの銃規制最新速報、近くの少年の死から考える

先ずは日本からのインターネット版新聞の引用で、12日前時点での概要を

米国:アリゾナ州銃乱射 事件受け、銃規制の議論高まる

毎日新聞 2011年1月12日 東京夕刊

【ロサンゼルス吉富裕倫】米アリゾナ州で米下院議員を狙った8日の銃乱射事件を受けて、米メディアやインターネット上で銃規制の是非を問う声が高まっている。しかし、銃を持つことが憲法上の権利とされる米国で、規制強化が実際に進むかどうかは不透明だ。
ジャレド・ロフナー容疑者(22)は昨年11月、半自動式拳銃を銃器店で購入し、少なくとも31発を続けざまに発射し一気に20人を死傷させた。 弾倉の交換時に周囲の人に取り押さえられており、弾倉に込められた弾数が少なければ、犠牲者は少なかったはずだとみられている。
このため銃規制推進派の複数の上院、下院議員らは、事件で使われたのと同じタイプの大容量弾倉の販売を禁止する法案の作成を始めた。ほかにも国会議員や政府職員の近くで銃を携帯することを禁じる法案が検討されている。
事件のあったアリゾナ州は銃規制緩和の方向に進み、昨年、21歳以上の成人が許可なく銃を隠し持って携帯することを認める法律を成立させた。どこでも誰でも銃が持てる状態に近く、事件を捜査する同州ピマ郡の保安官は「新法が事件の一因となった」と指摘する。
81年のレーガン大統領暗殺未遂事件をきっかけに銃規制強化法が成立したが、州ごとに規制の厳しさは異なり、銃規制推進団体はアリゾナ州をユタ州 に次いで全米で2番目に「緩い州」と位置づけている。アリゾナ州議会には昨年の新法に加え、大学構内で教授や学生が銃を携帯できるようにする法案も提出さ れている。


*追加情報、
6年前に改変された銃規制によると、連発銃の弾倉の販売が緩和される。 文末のビデオ参照。
 ビデオの中で、司会のレイチェルは訴える。どうして弾倉の販売が規制されないかと。どんな事でも法できせいできないものか。

追追加:
又今回アリゾナ州、国境近くの街の乱射事件をとりあげて、
アリゾナは、宗教、人種、政治的な立場の溝が深いところだがとして、ある日本人ジャーナリストは、下記のようにまとめています。


911/USAレポート』第493回「アリゾナ乱射事件の影にある「宗教、人種、銃規制、
イデオロギー」を乗り越えたオバマ」 冷泉彰彦(米国ニュージャージー州在住)の記事より抜粋

アリゾナは人種問題
でも厳しい対立を抱えています。一番の問題は、現職の共和党知事のジャン・ブリュ
ワー女史の施政下で打ち出された「不法移民取締法」です。「英語が話せないヒスパ
ニック」と見られたら警官は職務質問をしても良く、そこで身分証明ができないと即
座に逮捕できるという法律は、全米から激しい批判を浴びていますし、州内を二分す
る論争になっています。今回の事件の背後にそうした問題があったとなれば、それこ
そ大変な問題になるのです。というのは狙撃されたギフォーズ議員は「取締法反対派」
の急先鋒だったからです。
又彼女は穏健派ユダヤ教徒でもありました。
狙撃犯が彼女を狙ってしまったことで、
ユダヤ系の人々は静かに深く怒っており、
また警戒の感覚も持っています。今週の前半には、連邦議会全体が厳戒態勢を取った
というのは、その一つの反映と見ることができます。そして穏健ユダヤ系を核に、あ
るいは接着剤としてきたリベラル系のエスタブリッシュメントも激しい不快感を持っ
ているように思います。CNNやNBCなどそうしたグループに近いメディアは本当
に本腰を入れて「徹底追求」の構えになっていたのには、アンチ「右派」というセン
チメントだけでなく、この問題もあるのです。

ある意味では地下水流というべきこのトレンドには、共和党の穏健保守派も加わっ
ています。勿論、その中心にはオバマ大統領を中心とした穏健リベラルの「本流」が
あります。そして、今度という今度は、病的な「アンチ・ユダヤ」「アンチ・カトリ
ック」は許さない、それがほとんど国家意思になってきている、そこまで言っても良
いぐらいのモメンタムが動いています。例えば、ブッシュ大統領を支持した福音派な
ども、移民取締法を作ったアリゾナの州政府などもこの「乱射事件を許さない」とい
う大きな流れに合流していると言って良いと思います。

捜査はまだ初期なので、何とも言えないのですが、ロフナーという狙撃犯は、実は
政治や宗教には関心の薄い人物という説もあり、反ユダヤとか反リベラルいう問題は
動機でも何でもない可能性はあるのです。ですが、他でもない「西部のアリゾナで果
敢に頑張っていた穏健ユダヤの民主党議員への暗殺未遂が起きた」というだけで、こ
うしたモメンタムはストップできないものになったということです
今回の追悼式は人種、宗教、政治右派左派の壁を越え、共通の目的の下に「和解」の演出の場となりました。

Defense Rests In Mass. Uzi Death Trial - Courant.com 

昨年、ここリベラルとされるマサチューセッツ州 でも信じられない8歳の少年の銃事故がおこった。

そして、

8歳の少年を銃の事故で死なせたのはだれの責任かと

裁判がおこなわれた。

1/09/2011

クロスカントリースキーを雑木林で

この冬はじめてのクロスカントリースキーに森へでかけた。


昨日のどか雪で積雪80cm!!
近くのクロスカントリースキー場(というか、杜を切り開いて巾2〜5mのコースが小山をリフトなしでスキーやスノーシューズで巡る)のレンタルスキーで始めたクロスカントリーであるが、今は冬期唯一の運動。
去年中古を買い、犬の散歩も兼ね、さっそく庭からスキー靴とスキーをつけて、意気込んででかけた。
除雪した車置きをぬけると、もうそこは犬が埋まる位の銀色世界。

さすがの犬も「イーーーヌはヨロコビ、庭かけまわり」とはいかぬらしい。大人しく私がつけたスキーの轍をついてくるだけ。犬も普段なら大喜びで、雪の上を駆け回るのに、さすがに自分の背丈より積雪があるとびびるのだろうか。そんな事では犬ぞりにとうていなれないよ。


子どもたちは冬の体育の授業でクロスカントリースキーを始めたものの、今は専らゲレンデスキー場ばかり、
地元の風車発電でリフトを動かす家族経営のゲレンデスキー場に興じるが、
こちとら車で50分送り迎えはしても、高所恐怖症の上に金額的にもかさむので、専ら裏庭のクロスカントリー。

初日の今日は、まずはコース作り。雑木林の中を、小さな木や枝が突き出ているのを避け、
巾40cmのスキーあとをつけていく。
機械でばしばし木々をとりさらい、乗り越えるでもなく、
獣道のような全長2キロぐらいのスキーコースを
下のビデオの様な土地につくっていく。
ふと日本の歴史ファンタジーの物語の一節をおもいだしていた。

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1/04/2011

新春第一報、東アジアの緊張を憂う

ある方の東シナ海の状況意見ブログをみて、コメントを以下のように書きました。
転載します。

東シナ海の一発触発の緊張の原因が
「中国や朝鮮半島の地域で、限定地域に日本や各国が工場進出し、それによって
所得の地域格差ができ」そこから緊張がでてきたというお話しでした。

東シナ海の緊張をほぐすため、
日本が出来ることは、
日本が現地にいって何かをすることよりも、現地に何かを送ることという意見もありますが、

私は中国、韓国の人々を日本に招待することが重要だと考えます。

そのため、日本のアカデミ界や、経済界での受け入れを、政府が後押しするのも手だてではないでしょうか。

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