夏休み旅日記 〜韓国・百済の地を訪問

シンルル  チョッッスm .  カm사  보살핌 고마웠습니다. 즐거웠어요.


日本へ帰る前に20時間たちよったソウルで、叔母と呼んでくれる韓国人で自称姪っ子のようにかわいがっていた元下宿人とその母親に市内案内を頼み、いざソウルへまいらん。

ソウルでは、1980年代オリンピック前に何回かわたったソウルの様子とは打って変わり、日本のバブル期を思わせる経済成長ぶりと、町の勢いに圧倒されました。しかしその間を縫うように息づいていた地方文化に安堵もした。また昨年訪ねた開発甚だしい沖縄の開発ぶりも脳裏に思い浮かべもしました。


今回案内を依頼したのは、百済、新羅、高句麗三国に由来した史跡観光もしくは、その時代のなごりのある仏像鑑賞。帰国の間に、地元ソウルの環境運動に関わっているという下宿人に韓国の環境問題の取り組みも尋ねた。

母親とやってきた私をアメリカのオンマとよぶ下宿人は、はしゃいであちこち案内すると躍起だった。





___埋め立て地である仁川空港前の米系ホテルの周辺は開発のまっただ中だった。
隣にある唯一のオフィスビルの中、懐かしさの漂う大衆食堂で朝の腹ごしらえ。日本の朝市場で大皿料理店に入ったといった様相だ。目前の線路/高速道路工事の土方風なお兄ちゃんらと、朝食をいただく。「二日酔いチゲ」なんて聞くと、どんなものだろうと興味をそそられるが売り切れ。早朝7時ごろにも関わらず集まった人々の温かみを感じ、アルコールを受け付けない私も、二日酔いチゲを食べそこねてしまったが、日本の朝市思い浮かべながら、大衆的な雰囲気の中、水餃子、ビビンバ、豆腐チゲをナムル、キムチ2種、獅子唐キムチなどともにたいらげ、一時の安らぎを覚える。

一路、湾岸道路を渡ってソウル市内へ。23年ぶりのソウル市内である。前回訪問の際は、ソウルオリンピックを前で開発ラッシュが一段落した後だった。しかしその当時の開発ラッシュなど、現在のビル建設ラッシュに比べものにならないぐらい、壮大なビル建設が所狭しとソウル市内を網羅する。遠くにも近くにもアパートとなる高層ビルが立ち並ぶ。地元の人いわく、オリンピックの開発は、ワールドカップサッカーの開発に比べたら大したことなかったとか。(大統領が違うのも原因では?)

その中を「一般的な宮殿などの観光地より、歴史博物館へ行こう」と案内を依頼したのを、迷惑なそぶりもせず、四苦八苦して母娘で探してくれるが、一向に目的地までたどり着けない。母親の車には最新式のナビを装着しているものの、2重3重になったソウル市内を たとえソウル市民であっても縦横に闊歩するのは至難の業らしい。

しかも驚いたことにホテルのコンサージュ案内係も、ソウル最高の教育を受けているこの母娘も自国の史跡のこととなると、どうも明るくないようだ。ソウルでも屈指のホテルの案内係に至っては、「ソウル市内にはそんなものはない!」と言ってのける。


旧市街の上を高速道路がまたぎ、その上をさらに建築中の高層ビルが覆いかぶさる。Uターンをして高架にあがり、さらに別車線に移動して左折なんて言うことをしたかと思うと、今度はいきなり踏切線路横断をGPSは指示してくる。2D(2次元)のナビでは間に合わないので、3Dに切り替えても、わからない。ようやく目的地近辺に近づいたかと思うと、駐車場探しに大わらわ。古い町とその間を縫うように歩く段ボール集めのおじいちゃん、おばあちゃんたちを横目に、巨大なゴミ資源回収車が小さな都市を我が物顔に走り回るNYの姿を思い浮かべ、この方がよっぼど地に足がついた資源回収だななんて、観察させてもらった。

一ついえるのは、この町には東京や日本の大都市、NY市をはじめとした全米の都市、コルカタやコロンビア、バンコックといった南アジアや東南アジアの都市、そしてロンドン等ヨーロッパで見かけた街の喧噪がちがうこと、それらの都市で見受けられた人々のイライラが感じられないことだろうか。

ここソウル市街地では、うろうろしていたらすぐ後ろから罵倒を浴びせられそうになることもなく、下宿人の母親は微笑みさえ浮かべながら「あらまた間違えたかしら」なんて調子で悠々と運転している。それをとがめる通行人もどやし立てるタクシーの運転手もいない。

そしてたどりついたのは、アート地区、古美術商に画廊が並ぶ界隈。そこで年代ものそうな石細工や灯籠をみつけては年代を聞いて回ったり、小道の奥の奥をさらにいった古い民家を改修した喫茶店にはいってお茶で涼む。案内人母娘もここは初めての事。日本語の看板が小道の入り口にあったため、日本人をあてこんだ観光地だろうと地元民である母娘はあえて入ろうともしなかった。しかしそこを強引にお願いして一緒にお茶を飲むと、下記の東屋ギャラリーが出現する。

一般旧家の画廊
ソウル市内ふと立ち寄った古美術商界隈の画廊茶店



さらに妹さんが近くで墨絵の展覧会オープニングをしているというので、観に行った。


そこには力強い筆運びによる松や梅、竹といった墨で描かれた屏風大の伝統絵画が、雑居ビルで所狭しと展示されていた。アーティストはみな60前後のご夫人たち。みな朗らかに笑い飛ばされるその笑みには伝統文化への自負と意気込みがみなぎっていた。墨の勢いや力強さに圧倒されたと、アーティストのご婦人らに伝えると、みな誇り高く応対してくれた。

昼食は是非、地元の焼き肉をと、考えていた私たちを客引きのおばちゃんがクーポンを片手にぐいぐい地下の怪しげなところへ引っ張っていってくれる。アメリカ暮らしの長い私と下宿人の娘は訝しげについていって、いつ引き返そうかなんて目で合図している。しかし母親はこれも楽しげに引っ張られていくままに料理屋のドアをくぐっていく。一歩その料理屋に入ると、そこはまさしく韓国ドラマにでて来そうな地元民の通う焼き肉屋だった。広大な店内にはコンロ付きテーブルがならび、お昼時で近隣のオフィス街から、買い物帰りの主婦らでごった返していた。早速、あまり空腹でないとしながらも、母親がカルビを2人前、かるく海鮮チゲを注文してくれた。またまたニンニクの芽キムチ、獅子唐と小魚のいため煮、各種ナムルにキムチが出てくるも、母親は毅然と一品をとりあげて「これは少し臭うから変えてちょうだい」
とのたまう。(えーそんな事言ったらもめるじゃない)と思って息をひそめるていると数秒後、奥から店の女主人らしき人が出てきて「すぐ変えます」といって一件落着。後はまたカルビを焼いてくれる女の人と、下働きにきている中国人の若い女の子と我ら3人で和気あいあいと食事をすませた。合計29000ウオン、これが安いのかは知る由もない。

空港への車中45分、せっかく案内してくれ、ソウル市内の開発状況や原発への人々の対応を話してくれる下宿人には申し訳ないが、うとうとしているうち空港へ到着。セキュリティーチェックで待つ事もなく、駐車場もアメリカのどこの空港でもターミナルにつくまでに大回りをしてこなくては行けないのとちがって、すぐターミナルチェックインを済ませてゲートに入って搭乗までわずか合計20分。駆け足の20時間ソウル滞在だったが、そこには確実に23年まえとは違った姿の近代都市が展開していた。


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