9/19/2010

アメリカの共通大学入試と高校の心理学の授業

アメリカの大学入試をするには公立私立を問わず殆どの大学が、共通テストSATやACTの受験を要求して来ることは、以前に投稿した。
今回はこの共通テストを行う前のはなし。
テストを受ける以前にテストセンターへインターネットで登録しなくてはならない。
これがなかなかの大仕事。

高校四年間の3年生から受ける学生が多い。
個人情報の登録にはホームページ5−6頁に亘る。
高校でどんな授業を受けたか、
どんな課外授業、社会奉仕活動、生徒会活動、校外会議や討論会に出席したかをすべて
記入しなくてはならない。日本ではこれらは、すべて高校からの内申書にはいるのだろうが、
これがホームスクールの学生や小さな学校だと大変。それらが親なり、少人数の職員の肩にかかって来るからだ。

それでも
 みな我が子や我が生徒の為にとどんどん記入していく。
授業も数学のサブカテゴリーまで、どんな内容を履修したかを問われる
三角関数、図形、統計、微分析、積分など
自然科学では、
化学、遺伝子学、生物、物理、電子力学、地質学、天文学、心理学など
社会科学では、
アメリカ史、世界史、地理学、地誌学、政治学、公開討論など
芸術の分野
音楽史、彫刻、絵画、デッサン、演劇、木工、陶器、楽器演奏、合唱、美術史など、
文学の分野
アメリカ文学、ヨーロッパ文学、世界文学、文学史など、
言語学
外国語2年間の必須
などなど
よく日本からアメリカの高校へ来て、単純に方程式の計算だけをみて、アメリカの数学は簡単だという保護者や学生本人の意見を聞くが、これだけ羅列してあるとかなりの質量をマスターしなければ行けない事に目をまわす。

息子たちの学校は確かに、全校四年生(アメリカの多くの高校は4年制で中学は2年制)で50人そこそこの小さな私立高校だが、
よく網羅していると感心してしまった。
年間10ブロックに分け1ブロック大体3−4週間一日2時間かけ学習していく。
これを一つ一つ、大学入試センターへそれぞれの履修時間数を登録していく。
そして学校側から各科目の成績表と履修単位と先生の推薦状と一緒に、志望の大学へ高校事務局から送られていく。これがホームスクールや、認定されていない学校へ通っていると、親と本人が全て用意して、
大検だ、高校卒業認定試験だという資格試験を受けなければならないようだ。

しかし心理学までは高校で履修できないだろう と思っていたら、
学生街が近くにあるよしみで、大学から教えに来てくれるし、殆どの高校の先生が博士号までとって専門的に研究していたか、あちこちの分野を研究していて幅広く網羅している。
語学と自然科学系、芸術系は大学の先生の授業だ。

息子たちのクラスは今年最初のブロックに心理学と海洋生物学のクラスを履修している。
海洋生物学で今日からメイン州の離島に渡り、研究キャンプに1週間行った。
心理学では、トラウマへの記憶という講義があったようだった。

一つ感心したのは、17歳の生徒たちが自分の幼少時代を振り返るとき、
ショッキングな 出来事は鮮明に覚えているということを学んだ事実だった。たとえばあるクラスメートは
木登りをしていて、木から落ちた事までははっきり覚えているけど、そのあと気がついたら介抱されて車にのっていたとだけで、どうやって落ちた地点から車に移動したかが意識がないというトラウマをもった友人の話しをひと仕切りしてから、息子は自分の幼少は楽しかったと言い切ったのには驚いた。
人はそうしたトラウマを鮮明に覚えているもんだが、
自分はそうしたトラウマとしての記憶がなく、思い切り遊んだ楽しい時間ばかりしか思い出せないという。
一方、娘は同じ日本の保育園でも、そこで園児にぶたれたり、 自分が泣いてた記憶ばかりを思い出す様で、
トラウマの大きさや、ある出来事をショッキングとするかどうか、まったく個人差があり、振り返る年齢にも関連しているのではというのが、
息子が心理学を履修したあと、我が家の夕餉での結論になった。


最近、学生が深く考えなくなっていると、私自身も若い学生と接してて感じるし、
この夏あちこちでそんな話しが聞こえて来た。
沈思黙考なんて聞いた事もない風な、若い学生達が
要領よく点数だけはとっていく。テスト慣れして、出題の傾向を教師ごとに分析した様な生徒だけが増え続けている。確かにアメリカもテストづくしになって、如何にそうしたテストで良い点数をとるかが評判のよい生徒であるかのように教育現場では見られているのは、日本でもアメリカでも同じようになりつつある。でも、考える力は点いているのだろうか。たとえばある留学生向きの共通テストでは、ある文章を一段落だけ、たとえば環境汚染について60秒で読んで、45秒で考えをまとめ、さらに90秒で自分の意見を一段落の文章にするという
分析力のテストも要求される。即考え、即頭を整理し、即文章にして自分の意見をまとめ表現する。こうした能力は発達したところで、深く考える思考力は養われるだろうか、そんなことを心理学ときいて考えていた。

親になっても、足腰が老化してきても、学ぶ事は果てしなくあり、
子どもに学ぶ事も日々増えていく事ばかりです。
「老いては子に従え」であっても「学成り難し」とはなりたくものですな。


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9/03/2010

Summer is over モンタギューにもどって

今年の夏は、ニューヨーク市中での講義のための6週間のアパート暮らしに、
さらに娘と娘の友達を連れての沖縄の離島へ足を伸ばしたり、日本中を飛び回って来た.

どこも暑い、暑い、経済もひどく貧窮しているのが眼に点いた.

ニューヨークも、雨の降っていたシカゴも、東京も、京都も、奈良も、名古屋も、国内最高気温の岐阜も、沖縄以上に猛暑と湿気でじっとしているだけでも汗が湧きでてくる。毎日の最高気温をチェックするのが日課となり、屋外の汗対策と同時に屋内の冷房対策に気をつける日々が続いた。

いやはや随分、エアコンと清涼飲料水、コンピニにお世話になりました。
食欲は減退し、体が悲鳴を上げている。暑いと汗の吸いきったシャツと、冷たい飲み物、さらにエアコンがないと暑さで夜中に目が覚めてしまう状態がつづいて、エアコンかけっぱなし状態が続いていた。
日頃の環境に優しい暮らしをめざす方針はどこへ行ってしまったのか。

どの空港におりたっても昔南国の空港で経験した
モアっとした空気が体をとりまく。

でも今モンタギューについて、エアコンもモアっとした空気もない
さらっとした空気が心地よい。エアコンの外気への影響がさらなるエアコンを必要とするその悪循環から抜け出た田舎暮らしもまんざらでもないと今更ながら堪能する。

さて昨日までいた日本では円高だから、輸出経済だけでなく、
滞日の会社はアウトソーシングを求め、雇用が低迷すると嘆いていた.
確かに店やモールや商店街を見る限り、消費も滞っているようだ。
低迷経済でも外食産業は、なぜか生き残れると聞いていたのに、
この外食産業も価格での競争を強いられているようだ。
地方都市の高級ブティックは軒並み廃業に追いやられ、
フリーコールでお繋げいたしますといって航空会社や大手企業の
問い合わせ電話は消費者に高くつく有料化し、
地方空港は一昔のプレペラ機をとばして、ゲートの節約か。
空港に活気がない。那覇空港と間もなく拡張オーピンされる羽田空港以外は、数年前の活気がない。
世界一と謳われたシカゴ空港も一部のターミナルを覗いて、なんとなく閑古鳥がないていた。

日本ではその他に銀行、証券、生命保険会社も雇用形態が変わった。新入社員はどこにもみられない。
大都市でも若者のスーツ姿はあまり見られなかった、新卒はどこへ行くんだろう。

これら新卒を送り出す大学側の悲惨な状況もあちこちで聞かされた。
今回、日本帰国便の機内で経済学会帰りの経営学者と同席した。
彼によれば日本のアカデミック界は悲惨だ、文部科学省の締め付けと見放されに喘いでいると嘆いていた。
同様な状況を何人かの日本の大学関係者から聞かされた。
大学募集人員が学齢の予備軍人口を上回ったと、どんどん大学、教育機関が潰されていく。
また日本へ来る留学生の質の低下、高等教育に関する限り日本はもはや韓国、中国にも見放されたようだ。

そんな中で唯一現時点で活気があったのが、
沖縄のビル開発(本土の20年前、一頃昔のビル乱開発をしのぐ)や
ニューヨーク市井での経済セミナールを牛耳るインド人のビジネスマンだった。
しかしこれらもどこまで続くのか、所詮どちらも一時の千金狙いのような観がある。

前に読んだ篠田節子の「静かなる黄昏の国」にでてくる一節をいつの間にか復唱していた。
「疲弊しきった老小国」の姿が今の日本や、小国ではないがアメリカの姿と重なる。
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