1/12/2015

時代を語るその2 〜人種分離の壁と壁の狭間から


前回の記事 「アメリカの富裕層の集まるバグルの中から、バブルの外から」では、どうしてアメリカでは貧富の間に怒りが蔓延しているかを突っ込んで書かなかったが、これは人種間の隔たりといっても過言でない。

昨夜黒人の投票権獲得に焦点をあてたマルチンルサーキング牧師を指導者とした市民権運動の映画「Selma」を見て来た。それは現在あるアメリカ国内の諍いの始まりだ。


1960年代当時、肌が褐色で生まれ、黒人が多い住民区域に生まれ育ったばかりに
教育を受けられない、希望通りの職業に就けない、住民税を支払っても行政サービスを受けられない、個と個、群と群の争いや不公正を裁くための法や制度をつくる政治に参加できない、自分たちの声を届けるための代表者を選ぶ選挙に参加できない、よって司法にも陪審員としての参加も許されない。

こうした権利剥奪の生活は奴隷として、民主主義の国アメリカ合衆国に連れて来られた黒人のおかれた環境だった。映画「セルマ」では、市民権運動の闘争をピークとして有色人種の投票権の獲得が、キング牧師とジョンソン大統領との駆け引きで勝ち取られた様子が伺われる。しかしそれで全ての人種差別政策が取り払われ、人々の心の中の差別意識が静まった訳ではなかった。

映画「セルマ」では、憲法で基本的人権としての投票権登録が保証されているにも関わらず、黒人が選挙登録に行くとレジストラーが難癖をつけ、黒人の投票権を阻止していた様子が描かれていた。いくら法が改善されても、それを行使する人々の心が変わらなければ、そこには大きな壁が横たわっていることを如実に表していた。それは抑圧してきたもの、人の上にいたものの恐怖という形で表れる。


市民権運動の最後の要として住居区の隔離も1968年に禁じられた。しかし米国南部でなく ニューヨーク近くのコネチカット州の軍港の街に育った夫は、1970年代初頭に近所でおこった事件を覚えている。始めて白人ばかりが住んでいる居住地域に黒人の軍関係者の家庭が引っ越そうとした、すると白人の家庭が「この地域の平和が乱れる」という理由でその引っ越そうとした黒人家庭を追い出さんと署名に廻って来たのだ。その時、白人の父親は大声で署名に集めに来た近所の人を怒鳴り返し、その時やって来た黒人家ぞくと今でも、近所の幼馴染として家族ぐるみでつきあっている。

1/04/2015

時代を語る〜その1、アメリカの富裕層の集まるバブルの中から、バブルの外から

2015年の幕開けですな。ここのところ、フロリダに住みはじめてから、貧富の差や人種の隔たりを感じる。

一昨年の夏から夫とこどもを北部へ残し、単身リゾート地フロリダの大学で教えている。といっても去年から下の娘は大学寮生活をはじめ、今年大学卒業年の息子もNY市郊外で大学生生活を送っているから、残したというより巣立っていった。夫はマサチュセーッツ州でも全米中の裕福層が高等教育の充実さと住み易さで集まている大学町で、これも私学で教鞭をとっているから私の仕事先についてくる訳には行かない。私はここメキシコ湾を臨むビーチ沿いの街に全米中の億万長者が年に数週間過ごすための別荘億ションの並びで仕事をしている。


その富裕層の豪奢ぶりは、開発、観光という名の下に年々加速度がましている。物質面での豊かさは社会全体の豊かさの向上とは言えるだろうか。豊かさの 傍らで、連邦政府肝いりの医療制度が変革したものの、相変わらず貧者は生活苦からのがれられない。暮らしぶりを市町村の単位で守るはずの福利厚生は「福祉」「社会主義」という名目で、資本家同士の競争意識を削ぎ落とすとばかりに充実していない。だからますます富めるものは最先端の技術や医療等の恩恵を受けられるが、ほとんどのものが必ずしもそれらを受けられないし、貧富の溝は深まる一方だ。これら貧者の富裕層に対する怒りや憤懣が、この国には蔓延する。もうアメリカドリームというあこがれはない。それに輪をかけて、人種間のセグリゲーション、隔離化も広がり、もう一発触発の騒ぎを昨年も何度もおこした。ある大学の市民運動史を教える教授によれば、60年代の市民権運動が盛んだった頃より、現在はさらにセグリゲーションが浸透しているという。それはこの南部の中でも観光地フロリダにおいて、まさに肌で感じる。

大学の研究所
 上記の写真は近所にある富裕層の別荘地、街の中心にあるヨットハーバー、下段の写真は私学の大学の寮や構内の様子である。娘達の友達の話を聞かされると、その桁外れの豪華さには驚かされる。例えば、同室学生はカリフォルニア州マリブ出身(豊かな家並みはハリウッドを勝る)で高校時代にBMWを親を買ってもらい乗り回し、それを大学まで宅配便で運んでもらったり、息子の下宿先の友人はロックフェラー家(その資産は国家予算をしのぐ)のライバル家の子女であったり、他にも卒業式にはホテル丸ごと借り切ってしまったといった話は枚挙にいとまがない。息子が漸く探して来た近所で数少ない下宿先をシェアする際、ある親は掃除夫を雇いたいと言って来た。私はその甘やかし加減に怒り丁重にお断りしたが、結局他の親が勝手に掃除夫をたまに雇っているという話を聞かされた。こどもは自分の暮らしを初めてもずっとそうやって金銭的世話をやきつづけるのだろうか。答えは"yes'だ。もっと功名に家族から直接小遣いとしてもらうのでなく、家族が経営する財団から給料として収入を得るようになっているらしい。

これもある大学の図書館
もう、際限をしらずどこまでも豊かさを享受する家族がいる、どうなったいるんだこの国は。これでもか、これでもかと、貧者の鼻先で富めるものがその富を謳歌している。

自由経済といわれるアメリカの国の富裕層がすべてこうしたオールドマニー 数世代前からの遺産を享受し、現代で豊かになっている訳ではない、確かに自分の世代で働いて資金を確立してきたものも多いが、それはそれなりの教育を受け、そしてネットワークを築きあげたものに許されるステータスだったりする。

しかし、、
日本では上流階級の仲間入りをすると同意にとられる「エリートになる」と言うが、元々の英語のElite と異なった解釈を日本では和製英語にして使っているようだ。少なくとも米国社会では「エリート」はなるものでなく、「エリート」の家に生まれるから「エリート」の素質があるのだととられ、努力し経済的に成功し、社会的地位を上り詰めたからといって、イコール「エリート」の地位を得ることはできない。とは米人夫の弁。つまり米国が植民地として支配されていた時代、ゴールドラッシュ時代、産業革命や鉄道時代に築きあげた富を、代々享受している旧家の家々がこうした富裕層の礎を築いているから。今でもリゾート地などへ行けば、閉鎖的な社会の名残がみられる。

例えば、先日家族構成員全員が億万長者である旧友が、年末に全米に散らばる所有地の一つフロリダの豪華リゾート別荘に来たので、旧交を温めに彼の属するヨットクラブへ招待された。彼の仕事は家族が所有するボストンのある大学の理事としての肩書きと、億万長者が集って毎年多額の助成金を申請団体に与える財団Threshhold for Millionearの審査理事をしているという。こういった財団いわゆるトラスト・ファンドこそがアメリカを世界一の富めるものを持つ国にした理由だろう。

この税金を功名に操るファンド・システムが継続し、国内の遺産相続が温存される限り、アメリカにはとてもつもない資産家が途絶えない。ニュー・マニー新興の資産家は「成金」と言われ、オールド・マニー旧家から一歩ひけをとってもいる。また旧家オールドマニーの人種構成もその資産の古さ故に、先にこの北米大陸にいる住民をないがしろにして、天然資材やリソースをむさぼって来た最初の移民としてきた白人中心になってくる。