3/15/2009

いやー 続編、すばらしいミュージカルで感動

感動でドキドキが止まらなかったミュージカルが、いつまでも脳裏を離れない。
いまだにコーラスを口ずさみ、
一緒に踊ってしまう。

Guy and Dolls というブロードウェイのショーを高校生が好演した。
彼らの舞台を観ていると、ブロードウェイのショーも、近隣の大学や、プロのショーも陳腐に見えてしまう。
高校の講堂なので、小規模でマイクを一切使わないから、手に取る様に見える臨場感からかもしれない。

シンプルだが、
よく工夫を凝らした舞台デザインのせいかもしれない。また照明デザインもよく出来ていた。
オーケストラ=ピットまで舞台上に作り上げ、さらに女子生徒が20人
ラインダンスをして舞台せましと踊り回り、
場面に応じて場末の踊り子の舞台になったり、
救世軍の教会になったり、地下の賭場になったり、すっかりストーリーに入り込んでしまった。

とくに1年生の頃から知っている15−18歳の大人顔負けの体つきと、お色気いっぱいの迫真の演技には圧巻で、、、もうもう男の子のスーツ姿で舞台の上からウィンクを投げる様は、クラクラするほど。 男子生徒までこんなに成長したかとただただ驚きである。

確かに中には、演技もまあまあ、台詞も間違いも抑揚もなくこなす子がいて、学芸会にふと戻る瞬間もあるが、しかしそこは全体でカバーしてしまうのが、高校演劇の醍醐味。コラボレーションの固まりといった感じ。また舞台監督も音楽監督もすごい、
本場、NYのブロードウェーイで長年演劇にかかわり、妻と小劇団を作ってしまったTim Holcom監督は配役は、最高だった。演出から、照明といった細々としたことまで全て2ヶ月で仕上げてしまった。

音楽も18歳と思えない卒業生がピアノを担当しながら、指揮をし、声楽監督とボイスドレーナーはあの巨匠バーンスタインとオペラのプロダクションに関わったというコーラスの先生だったり、親で他校でコーラス教師をしている父親だったりした。

こまかな説明にはきりがない。ただただ、17歳の高校生が隠しきれない湧き出る色気と、天然に備わった勘でギャンプラー好きのヤクザな野郎に恋心を抱き続け、16歳の下級生扮するヤクザ野郎がそれをどう扱ったらよいかと、どぎまぎしながら歌に踊りにあわせていく。

高2の小柄な男子生徒がいつの間にか身に付けてしまった、男の色気で救世軍に成り済ました女子生徒を賭けで落とそうとするが、相手にされず、やがてウブな
キスから、真剣なキスシーンに持っていく技術には舌をまいた。一方周りをとりまく、15〜18歳の高校生扮するギャンブラーたちは、ゴッドファーザーのアルパチーノ並のイタリア系アクセントを折りませ、ヤクザぶりを演じる。

一方オーケストラ=ピットの中高生のジャズマンたちの音楽も、心ニクいほど過剰も過小もしない見事な脇役演奏だった。dd

ああ、もっともっと観ていたかった。



にほんブログ村 海外生活ブログ 国際生活へ

にほんブログ村 海外生活ブログへ


3/14/2009

いやー いいドラマに心じんわり

見終えた充実感がじわーと味合えたドラマを3本紹介。最近はアメリカでも日本のドラマがほぼ同時的にコンピューターさえあれば、見られるのはありがたい。

まだ放映中のドラマから,

「ありふれた奇跡」山田太一脚本
山田太一が数年ぶりに、しかもこれを最後にしたいというドラマ

鳴り物入りのドラマでした。
「ふぞろいの林檎たち」で育った私としても思い入れが多いので、楽しみだった。

もう、じっくり観てしまう。演技のいいの,ストリーの展開がいいのと、ごたごたいってられないぐらい、総合的によかった。最近は、最後の顛末が分かってしまうドラマが多いなか、新鮮なストリー。何がおこるか分からない。しかも心情が丁寧に描かれている。はまりきってしまうドラマですぜひおすすめです。
このドラマに出会ったきっかけは、脇役からだった。
脇役のどの一人をとっても、観るだろうキャストだった。しかも主演男優の加瀬君は、「それでも ボクはやってない」をインターネットで観て以来の注目株。。
風間杜夫、
八千草薫
陣内孝則  。。。等

あらすじ

とある日の夕方、駅のホームに立っている中年男・藤本。たまたまその場に居合わせた女・加奈と男・翔太は、藤本が列車に飛び込もうとしていると感じ、咄嗟に突き飛ばす。しかし、藤本は死ぬつもりなどまったくなかったと言い、ふたりを強く非難する。ふたりが、藤本が死のうとしていると感じたのには訳があった。翔太と加奈には互いに人には言えない心の傷があったのだ。それでもふたりの距離は少し ずつ近づいていく。そして、それぞれの家族――加奈はその両親と祖母の4人家族。翔太の方は父と祖父の男三人所帯。どちらも一見普通で、それほどの苦労も 抱えていないように穏やかに見える。しかし、それぞれの登場人物には心の傷があり、家族にも言えない秘密があった。





噂に聞いていた「ライスカレー」1985年制作も観た。倉本聰脚本、ドラマ全盛時代。金妻に移行していく前のよき時代のドラマはよかったな。この話は、「北の国から」の倉本聰らしい展開だった。しかし彼のキャラが出て来たストリー内容、やっばアメリカに長い間いる私としては、主人公の高校野球で燃え尽きてしまったあとに、何か燃えるものを探しにカナダまで行くのはいい。しかし幼なじみとの婚約、親から結婚を反対されるとしおれた、中井貴一扮するメインキャラが恋愛を抑えてしまうなんて、ゼーーーたいアメリカやカナダではありえない。時任君の好演は清々しかった。また陣内の出たての頃、初々しい。


ストーリー展開がとても新鮮で、キャラクターといい情景がユニークなドラマは「下北沢サンデーズ」1990年代制作
これも面白かった。70年代の新宿赤テント時代を再来かと思うほど。どたばたバラエティーの私的には第一号の「ゲバゲバ」を思い出させてくれた情景背景。どたばた喜劇と貧乏演劇人の裏舞台を一気に見せます。 東京乾電池とか、天井座敷といってピンと来た方は、これがとても身近に感じられます。地方の旅館のお嬢さんが、何を間違ったか、勉学より下北の芝居小屋に入り浸り、いつの間にか劇団員になって、貧乏演劇人にならなくても良い環境なのに、好き好んで頭から足までどっぷり浸かり、終いには大手プロダクションのメジャーなテレビ局のオーディションまでうけてしまう。。。。




読み終えたら、こちらをクリックしていただくと光栄です。
ランク参加中。


にほんブログ村 海外生活ブログ 国際生活へ

にほんブログ村 海外生活ブログへ


3/09/2009

母となる瞬時(とき)II 自宅出産編

出産は自宅と決めていた。しかも「たのしいチベット医学の本」をたまたま出産前に訪ねて来てくれた友人にもらった本を一気読みした。それによれば、生まれでて来る赤ちゃんに出来るだけ刺激(目にそして全ての感覚に)をあたえないように、さらに母体を守るため、暗がりで4週間過ごすことに、大賛同して、励行すると固く心に誓っていた。

陣痛といっても七面鳥を食べ過ぎた程度に夫は考えていて、朝をまって感謝祭の祝いで散らばっている助産婦を呼び集めた。

まず一番遠くにいた夫の母が最初に駆けつけ、メキシコ国境で助産婦の訓練を受けたドイツ人助産婦が、人類学者で各国のお産を研究しているもう一人の助産婦を携えやってきた。一度も超音波の診察も受けず、しかも胎児の呼吸を聴診器に毛がはえたもので聞いただけだったが、子どもは何事もなく生まれてくると疑わなかったのは、今から思えば不思議と言えば不思議だ。

そして子どもを宿している間に、助産婦の自宅への定期健診と同時に、お産介添え人の訪問も何度か受けた。私たちがどういう精神状態になるかを予測し、お産を無事に乗り越えられるよう母となる、父となる準備や生まれ出る生命との出会いの心構えみたいなものをいろいろサポートしてくれた。また私が意識を平静状態から脱したとき、どうなるだろうと相談にのってくれ「きっと日本の童謡を歌いだすかもしれない」という突拍子もない提案に、では自分も日本の童謡に付き合うから、練習のためテープに吹き込んでおいてくれと、ご親切に申し出る始末。数ヶ月も続いたつらいつわりを、童謡はいつも私の心を和ませてくれた。そこには妊娠中に一度激励に訪ねてくれた実家の母も、いつも心の支えとなってくれてた叔母たちもいなかったのに、初産への不安がなかったのは、この出産介添人の友人と、助産婦や義母の温かい励ましがあったからだろう。

こどもとの初対面のドラマは半日が過ぎようとしていた、翌日の昼過ぎにしらせを聞きつけた友人が握り飯と弁当を持参してくれた。助産婦たちは相変わらずのんびりとお茶を別室で飲み、初産の長丁場に構えて、みなリラックスしたものだった。夫や義母、介添え人に腰をさすってもらいながら、定期的にやってくる陣痛をやり過ごしている。このときの私の顔は、痛みに多少引き連れこそすれ常時笑っていて、後で写真をみると生まれてきた赤子そっくりの顔で輝いていた。やがて私のうなっていた声色がぐっと低音になり、英語から日本語で喚きだしたのをきっかけに、助産婦2名、介添え人、夫、義母はそれぞれ定位置についた。義母は薄暗い母屋にあつらえた寝室の隅に、いつの間にか椅子を持ち出し、いつでも何か必要なものがあったら準備できるように特等席でちょこっと座っている。

お釈迦様の御母堂マーヤに倣って立ち産でと意識のどこかで自分に言い聞かせながら、立ち尽くしている、急におなかの奥からひきずられるようにしゃがんでしまった。「この位置ではうまく赤ん坊が受け取れない、もう一度立ち上がって」と助産婦の一人がリクエスト。
そんな事いわれても、『無理』だとばかりにいやいやをしている私。今度は;身体の奥からセンセーションが巻き起こり、私は童謡ではなくベートーベンの第九交響曲、「歓びんの歌」を内側から押しだされるまま無意識に口づさんでいた。すると受けをねらった訳でないので,一同、どっと笑ってリラックス。

立ったり、しゃがんだりで賛美歌ハレルヤやジョンレノンのDon’t Let me down愛の歌を歌いだした。誰が予想しただろうか。私の右左に夫と介添人、前後に「暗すぎる」とも「しゃがみ産では赤子が見えにくい」とも言わず、私の希望を叶えてくれた助産婦たちが馬だちだったり、しゃがんで用意していたりしたなか、無事息子はこの世に誕生した。

それはそれは、とても神々しかった。ことばで語ろうとすると、陳腐になってしまう。義母は暗がりのはずなのに、部屋の角でこれらの光景をつぶさに見守っていた。息子はするすると目前に待機していた助産婦から夫へ、私の腕にやってきた。ローソク一本の暗がりであるのに、すべてが感覚で伝わってくる。そのとき、介添人の友人は真っ青に光り輝くSoul Light 真っ青な魂の光が赤ん坊の口の中へ、部屋中をぐるぐる回ってから入っていくのを見たという。彼女に言わせると、赤チャンそれぞれ魂の色が違っていて、お母さんの胎内からオレンジ色を発している子もいたりするそうだ。

3/02/2009

Vienese Ball ウィーン舞踏会デビュー


政治ネタから一休み

この間までスカートをはくのをいやがっていた我が娘が、学校の行事で舞踏会でワルツを踊ることに。最高学年の8年生が、修学旅行の資金集めにワルツを勉強し、親や先生やはては学校のPTAの協力を得て、チェンバープロの音楽の先生らの奏でる室内音楽とともに舞踏会をする。ウィーンのケーキを焼き、正装しておしゃれをし、一時のプチ社交会に興じる。 前に子どもの成長に関して、出産時を思い出して文章を書いたので、添付する。








母、父となる瞬時とき

犬の散歩を子育てに例えるのもなんだが、ふと信頼を子供に、犬におくというのは同じではないかと考えた。わが家の雑種犬マーリーはまだまだ子犬の遊びたい盛りの2歳半。人間でいうと思春期真っ只中だろう。ちょうど娘13歳、息子16歳にあたる。

マーリーと私は我が家の庭続きの森から裏山にかけ紐なしで散歩する。マーリーは公道を渡るときだけ、紐をつけてもらいに自らやってくるが、それ以外は、自由に私の回りを前後して1~3kmかけて歩く。時に全速力で走り、時に立ち止まり、時に姿を消す。裏の森には誘惑がいっぱい待ち受けている。一番の追いかけっこの相手はリスだ。からかいを真に受けてマーリーは、思いっきり追っかけていって、やがて木に登られ見失う。他にも誘惑は春が来たと盛んに告げる色とりどりの小鳥のさえずりだったり、前に埋めといた大事な骨だったり、野生の動物の食い散らかした獲物の臭いだったりする。これらのものが、森や裏山中、いたるところで嗅覚と聴覚で彼女に甘い誘いをかけてくる。また姉妹の犬や近所の犬が遊びに来ると、つるんでとんでもないところまで知らない間に出かけていくこともある。それでも、私たちは紐をつけて歩かない。マーリーは時々自分がどこにいる見失うほど遊びほうけて散歩にはぐれることもある。子犬の学校で一緒に訓練を受けた犬は、よほど飼い主に従順だったなと感心したことを思い出した。散歩からはぐれたとき、自分で出て行って姿が見えなくなったとき、まったく不安にならないと言えばうそになる。あれほど公道をうろつくなといっておいたのに、他の犬にたぶらかされたりして、渡っていけない道を横切り車に轢かれていないかしら、また追いかけっこや穴掘りに夢中になって迷っていないかしらと、悪いことばかり考え始める。すると2~3時間後に決まって何気ない顔で玄関先のポーチに一人で戻ってきて、頭を下に垂れて入れてくれと乞う。時には悪びれたそぶりをすることもある。そして、私はこのマーリーに親として当然のこと信頼しきると言うことを教わったりする。

このごろ
我が家の娘も息子も自我と言うものを確立しようともがいている。それは親としても同じことで、子供以上の葛藤に毎日エネルギーを使う。子どもたちは「僕のスペースでは何をしてもいいでしょ」とか「もっと私は信頼に値する人間なのだから、私の決定を尊重してくれる」、「親の境界線はここまで、これからは僕たちの領域だから、侵入しないで」、「もし間違った判断を僕たちがしたとしても、それは僕たちの責任において修正していくもので、親がどうのこうの立ち入る必要はないし、ましてやそれを強制することはできない」などとのたまわう。私も若いころはこんな生意気なことを言っていたのだろうか?一方、子どもには親を捕まえて何を言うのと、やりあう羽目になる。見るに見かねて子どもたちに部屋を掃除しろと言ったり、のこのこ世話やいて掃除しようものなら住居侵害だ、合衆国憲法の人権保障の項まで出してくる始末。宿題の提出期限や、友達づきあいに口を挟むのも、自分たちでちゃんと管理し、選択をしているとそれはそれは大きなリアクションが返ってくる。一指一指握り締めいていた手綱を徐々に緩めるときがやってきたようだ。

ふと子供を宿した時のことを思い出してみた。二人ともつわりがひどくて、何も手につかず、ひたすら元気な子どもが生まれますようにと祈っていたことが、脳裏にうかぶ。自分の親もこうして苦労して、わたしをこの世に送り出した事を思うと、手を合わせずに入られない毎日が続いた。上の息子の時は、いつもおなかに語りかけ、歌を歌ってつわりの気分を紛らわしていた。娘の時は、上の子と一緒に歌を歌い、お話を読み語り祈っていた。アメリカで宿した息子の妊娠5ヶ月目では、小さなアパートに日本から長老のお坊さんが我が家を訪れてくれた。彼はあまり多くを語らず、経本を読まれた。「心ある女人は、男子女をも知るなり。法華経と心に信じぬれば、心を宿として、釈迦仏懐まれ給う。」とあったところを、好奇心でたずねる「つまり精神修養をつめば、サルのような子でなくて人間の顔をした仏のような御子を授かると言うのですね。しかも男の子か女の子かも分かると」軽くそのお坊さんは微笑まれただけだった。私は早速、夫にこの自分勝手な解釈を告げ、少しでもつわりが和らぎ、生まれ来る子どものことを祈り、そして二人で心穏やかでいたいと語り合ったものだった。

すると彼は夢をいくつも見るようになった。そこにはいつもかわいらしい男の赤ちゃんがいたという。ちょうど今の息子にそっくりの子が語りかけようとしていたといっていた。時には名前を持っていることもあったようだが、彼にははっきり聞き取れなかった。でも一度は「う、し、ろ」と聞こえたそうだ。それは、今から解釈するにウシオ潮を意味していたと後日解釈する。出産の場にいた彼には、息子の誕生には、大きな水のうねりを感じたそうだ。

私も息子そっくりの笑みと好奇心旺盛な男の子の顔を感じ取っていた。またある晩は北米インディアンのログハウスにラテン系の恩師や、インディアンの長老たちに見守られた赤ん坊が楽しそうにあやつられている夢をみた。それは今でも明確な映像となって、脳裏に焼きついている。一才未満の息子は次から次へといろんな人に抱かれて、生後10ヶ月で誕生を祝ってもらった。世界を旅することがとても好きな青年に成長したことは、夢が暗示してくれたと思われる。また出産は予定日の一週間前と言う確信を いつごろからか持つようにもなった。予定日の一週間前の感謝祭の七面鳥にナイフを入れる場面と、私の陣痛が始まる場面が重なった夢となって表れもした。実際、この話を3人の助産婦たちにしても、私は初産なんだから予定日より遅れることの方が当たり前と、だれもこの夢を取り合ってはくれなかった。そしていよいよ感謝祭がやってくると、夫の実家へ行くのが例年の習いだが、その年は我が家で友人たちを招待して七面鳥を食べ、歌い、賑やかにすごした。しかしみなが三々五々帰って、床に着くと陣痛がはじまった。

妊娠中には、友人が一冊の本と一本のビデオを置いていった。本は半分以上お産と産後のケアーについて書かれていた「たのしいチベット医学」と称するもので、ビデオはブラジル原住民のしゃがみ産についてだった。これらに私はいたく感動し、また東京中野の産院へ助産婦の取材に付き添って行った時から、病院出産が医学の都合で行われていると言う話を聞いて、自分と子どもとの初対面の場を自宅と決めていた。

ーー続く


読み終えたら、こちらをクリックしていただくと光栄です。
ランク参加中。


にほんブログ村 海外生活ブログ 国際生活へ

にほんブログ村 海外生活ブログへ

にほんブログ村 教育ブログ 海外教育へ
にほんブログ村