Vienese Ball ウィーン舞踏会デビュー


政治ネタから一休み

この間までスカートをはくのをいやがっていた我が娘が、学校の行事で舞踏会でワルツを踊ることに。最高学年の8年生が、修学旅行の資金集めにワルツを勉強し、親や先生やはては学校のPTAの協力を得て、チェンバープロの音楽の先生らの奏でる室内音楽とともに舞踏会をする。ウィーンのケーキを焼き、正装しておしゃれをし、一時のプチ社交会に興じる。 前に子どもの成長に関して、出産時を思い出して文章を書いたので、添付する。








母、父となる瞬時とき

犬の散歩を子育てに例えるのもなんだが、ふと信頼を子供に、犬におくというのは同じではないかと考えた。わが家の雑種犬マーリーはまだまだ子犬の遊びたい盛りの2歳半。人間でいうと思春期真っ只中だろう。ちょうど娘13歳、息子16歳にあたる。

マーリーと私は我が家の庭続きの森から裏山にかけ紐なしで散歩する。マーリーは公道を渡るときだけ、紐をつけてもらいに自らやってくるが、それ以外は、自由に私の回りを前後して1~3kmかけて歩く。時に全速力で走り、時に立ち止まり、時に姿を消す。裏の森には誘惑がいっぱい待ち受けている。一番の追いかけっこの相手はリスだ。からかいを真に受けてマーリーは、思いっきり追っかけていって、やがて木に登られ見失う。他にも誘惑は春が来たと盛んに告げる色とりどりの小鳥のさえずりだったり、前に埋めといた大事な骨だったり、野生の動物の食い散らかした獲物の臭いだったりする。これらのものが、森や裏山中、いたるところで嗅覚と聴覚で彼女に甘い誘いをかけてくる。また姉妹の犬や近所の犬が遊びに来ると、つるんでとんでもないところまで知らない間に出かけていくこともある。それでも、私たちは紐をつけて歩かない。マーリーは時々自分がどこにいる見失うほど遊びほうけて散歩にはぐれることもある。子犬の学校で一緒に訓練を受けた犬は、よほど飼い主に従順だったなと感心したことを思い出した。散歩からはぐれたとき、自分で出て行って姿が見えなくなったとき、まったく不安にならないと言えばうそになる。あれほど公道をうろつくなといっておいたのに、他の犬にたぶらかされたりして、渡っていけない道を横切り車に轢かれていないかしら、また追いかけっこや穴掘りに夢中になって迷っていないかしらと、悪いことばかり考え始める。すると2~3時間後に決まって何気ない顔で玄関先のポーチに一人で戻ってきて、頭を下に垂れて入れてくれと乞う。時には悪びれたそぶりをすることもある。そして、私はこのマーリーに親として当然のこと信頼しきると言うことを教わったりする。

このごろ
我が家の娘も息子も自我と言うものを確立しようともがいている。それは親としても同じことで、子供以上の葛藤に毎日エネルギーを使う。子どもたちは「僕のスペースでは何をしてもいいでしょ」とか「もっと私は信頼に値する人間なのだから、私の決定を尊重してくれる」、「親の境界線はここまで、これからは僕たちの領域だから、侵入しないで」、「もし間違った判断を僕たちがしたとしても、それは僕たちの責任において修正していくもので、親がどうのこうの立ち入る必要はないし、ましてやそれを強制することはできない」などとのたまわう。私も若いころはこんな生意気なことを言っていたのだろうか?一方、子どもには親を捕まえて何を言うのと、やりあう羽目になる。見るに見かねて子どもたちに部屋を掃除しろと言ったり、のこのこ世話やいて掃除しようものなら住居侵害だ、合衆国憲法の人権保障の項まで出してくる始末。宿題の提出期限や、友達づきあいに口を挟むのも、自分たちでちゃんと管理し、選択をしているとそれはそれは大きなリアクションが返ってくる。一指一指握り締めいていた手綱を徐々に緩めるときがやってきたようだ。

ふと子供を宿した時のことを思い出してみた。二人ともつわりがひどくて、何も手につかず、ひたすら元気な子どもが生まれますようにと祈っていたことが、脳裏にうかぶ。自分の親もこうして苦労して、わたしをこの世に送り出した事を思うと、手を合わせずに入られない毎日が続いた。上の息子の時は、いつもおなかに語りかけ、歌を歌ってつわりの気分を紛らわしていた。娘の時は、上の子と一緒に歌を歌い、お話を読み語り祈っていた。アメリカで宿した息子の妊娠5ヶ月目では、小さなアパートに日本から長老のお坊さんが我が家を訪れてくれた。彼はあまり多くを語らず、経本を読まれた。「心ある女人は、男子女をも知るなり。法華経と心に信じぬれば、心を宿として、釈迦仏懐まれ給う。」とあったところを、好奇心でたずねる「つまり精神修養をつめば、サルのような子でなくて人間の顔をした仏のような御子を授かると言うのですね。しかも男の子か女の子かも分かると」軽くそのお坊さんは微笑まれただけだった。私は早速、夫にこの自分勝手な解釈を告げ、少しでもつわりが和らぎ、生まれ来る子どものことを祈り、そして二人で心穏やかでいたいと語り合ったものだった。

すると彼は夢をいくつも見るようになった。そこにはいつもかわいらしい男の赤ちゃんがいたという。ちょうど今の息子にそっくりの子が語りかけようとしていたといっていた。時には名前を持っていることもあったようだが、彼にははっきり聞き取れなかった。でも一度は「う、し、ろ」と聞こえたそうだ。それは、今から解釈するにウシオ潮を意味していたと後日解釈する。出産の場にいた彼には、息子の誕生には、大きな水のうねりを感じたそうだ。

私も息子そっくりの笑みと好奇心旺盛な男の子の顔を感じ取っていた。またある晩は北米インディアンのログハウスにラテン系の恩師や、インディアンの長老たちに見守られた赤ん坊が楽しそうにあやつられている夢をみた。それは今でも明確な映像となって、脳裏に焼きついている。一才未満の息子は次から次へといろんな人に抱かれて、生後10ヶ月で誕生を祝ってもらった。世界を旅することがとても好きな青年に成長したことは、夢が暗示してくれたと思われる。また出産は予定日の一週間前と言う確信を いつごろからか持つようにもなった。予定日の一週間前の感謝祭の七面鳥にナイフを入れる場面と、私の陣痛が始まる場面が重なった夢となって表れもした。実際、この話を3人の助産婦たちにしても、私は初産なんだから予定日より遅れることの方が当たり前と、だれもこの夢を取り合ってはくれなかった。そしていよいよ感謝祭がやってくると、夫の実家へ行くのが例年の習いだが、その年は我が家で友人たちを招待して七面鳥を食べ、歌い、賑やかにすごした。しかしみなが三々五々帰って、床に着くと陣痛がはじまった。

妊娠中には、友人が一冊の本と一本のビデオを置いていった。本は半分以上お産と産後のケアーについて書かれていた「たのしいチベット医学」と称するもので、ビデオはブラジル原住民のしゃがみ産についてだった。これらに私はいたく感動し、また東京中野の産院へ助産婦の取材に付き添って行った時から、病院出産が医学の都合で行われていると言う話を聞いて、自分と子どもとの初対面の場を自宅と決めていた。

ーー続く


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