4/10/2014

米国都市の中で最も変化発展のあった町、フロリダ州タンパ、1800年代末期の繁栄復活か

北米に足を踏み入れて、早30年。
その間、訪れた都市や空港は数知れず、
車で、または1日数10マイルも歩いて通過した町、飛行機の旅で必ずと言っていいほどに経由した町いろいろありました。いつも利用する都市ニューヨーク、ボストン、
そしてお客様をつれて観光にポーツマス、ケープタウン、ニューポート、ハートフォード、ニューベッドフォード、コンコード、ナイアガラの滝、バッファロー、ニューヘブン

そしてちょっと遠出してプリンストン、フィラデルフィア、ワシントンDC、シャーロット、
バーミンガム、アトランタ、マイアミ、キーウェスト、アパラチア山脈、モントリオール、シカゴ、ケベック、アーリントン、ボルダー、チューソン、フラッグスタッフ、グランドキャニオン=ノースリム、ロス、サンディエゴ、サンタクルーズ、ポーランド、シアトル、ソルトレーク、等等。これらの各都市は、米国に長く住んでおられる諸兄、諸姉であれば、位置とどこの州ぐらいはピンと来るであろう。

そう、一度ならずともこの30年で訪れた北米の都市は枚挙にいとまがない
その中でも、ここタンパ市の最近30年の発展には目をみはるものがある。タンパベイからメキシコ湾岸にかかる小さなタバコ産業と軍港だったタンパが、現在ではフロリダ第2の都市になり、高層ビルが立て並び、四六時中渋滞が続く町に発展、拡大するなんてだれが想像しただろう。まるで新興国の大都市の開発を思わせる。

もともと、キューバと行き来の多かった港町で、葉巻やタバコ産業が1890年頃にさかんであった。その後、マイアミがコカイン他薬物輸入で1960年から1970年とボストン、サンフランシスコ、コロラドはボルダー等ではじまったカウンターカルチャーの隆盛にのってフロリダの文化の中心がマイアミに移ると、タンパの繁栄は色褪せていった。
そしてシニア市民の保養ぐらいの産業が残っていなかったこの町に何がおこったか。
1890年代の隆盛の面影、当時はホテルだった建物が現タンパ大学

1800年代末期の貿易、交易事情をものがたる地図



バンクオブアメリカのカスタマーセンター本部ビル


隣町の観光ビーチの町、セントピーターズバーグは私自身33年前、出来るだけ日本から離れて気候がいい留学先として選択した町だが、タンパはその東隣の町だった。そしてディズニーワールドのあるオーランドが東にあり、フロリダ州の首都テラハッシ市から車で5時間、そしてマイアミから車で3時間に囲まれた町だ。そんな30年前は目立った都市ではなかったタンパは、今はフロリダ州第2の都市となり、空港もずいぶん大きくなった。地元史を紐解くと1980年代後半から1990年代に莫大な都市開発をはかったとは、国際ビジネスと行政法を勉強する生徒の弁。そしてNYヤンキーズが春季キャンプ場にタンパを選んだの大きな理由だと、先日タンパでヤンキーズvsボストンレッドソックス戦を見て実感した。












新しく始める事業にも、大々的に事業の本部を移入する企業には、税金の優遇をすすめる、そして市をあげて事業開発に取り組んで来た足跡が見られる。








ランキングに参加中です。こちらもお願いします。 にほんブログ村 海外生活ブログへ