7/25/2015

北米東海岸ニューイングラン地方、森の村の行政サービス

カリブからまた夏限定でモンタギュー村に帰ってきた。ここは北米の田舎町でも、60年代の米国カウンターカルチャーの流れを組む村だと以前にも書いた。俗に言うヒッピーのコミューンがあり、車で2−3時間のボストンやニューヨークから流れてきた農村に帰ろうとするBack to the nature・  Protesting Vietnam Warの学生たちがきて農業と19世紀からの工場町に上記のように新たなコミューンが加わり2重構造の村になった。

1970年代当時だれも疑問視さえしなかった原発に、このコミューンの若者が村人の家一軒一軒をまわり近くに計画された原発とは一体何なのか、そしてその原料や機能の面で永久的なその危険性がつきまとうと反原発運動をおこした、という歴史をもつ村である。またそれに加えて近くには総合大学のマサチューセッツ州立大があったり、日本の歴史とも関係が深いウィリアムクラーク、新島襄、内村鑑三が卒業したアマースト大や、数々の大統領夫人が出た女子大スミス大、マウントホリヨーク大があったり、大学教授らが州のやり方に反発し自ら創設する学位取得があるハンプシャー大があるので、学生が多い一方、学生時代を終え、そのまま居座り家族をもったり、持たないままコミュニティーにいるものが多い一方、農民の子孫や工場労働者もいる。

村民の多くはプログレッシブ(革新)だからあらゆる人種も民族も文化も同性愛の人々も混在するが、その広がりは北部の大都市ほどない。というのも職がないから、住みたくても現金収入先が非常に少ない。最高峰の教育、博士号をもっていて農業を営みファーマーズマーケットに出店して僅かの身銭を稼いでいるというのも多い。細々とコミュニティー紙を発行している、普段はボストンやNYシティーで仕事をし週末だけ家族の元に帰ってくるものもいれば、2−3世代前におじいちゃんや曽祖父母が大金を元に財団を作ったので、そこから低収入をもらっているトランスとファンドつまりオールドマニー出身の住民もかなりの割合いる。昔から大金持ちでもないものや、新しく移民としてやってきたものもいるにはいるが、白人以外の人口

がいるにはいるが、ほとんどが近くの大学に通勤通学する住民であって、圧倒的な白人中心の村だ。白人の人たちは世代を超えて教育の場でも職業でも優先されてきたから、いくら数十年前から背景の多様な住民、革新的な住民が引っ越してきても、その子供たちが成人しても住民全体から見ればまだまだ目立たない。企業や大学の教授募集やスタッフの募集には百人という応募があるのは当たり前だと、友人の大学教授が嘆く。しかしこんな村にもここ数年、東南アジア系移民を中心に大学関係者でもない白人以外の住民が増加してきて目立つようになった。

市町村の収入は州のレベルから言ったら最下位であるが、その割に行政サービスが整っていて、環境もよい、文化もある程度享受できるそんな村の生活を紹介しよう。モンタギュー村のインターネットサイト

先ず村の予算は各戸に課せられる固定資産税と企業・事業種に課せられる企業税が主な収入源だ。ここに昔からある小規模の工業団地の隣にある小型飛行機専用の飛行場利用料が加わる。また州から各市町村への分配も多少ある。それ以外の収入税は国税だし、消費税は州の財源となるから、住民は確定申告を国用と州用に申告しなければならない。そして市町村からは固定資産税の請求が役場から送られてくる。また車庫税や犬の登録料、街灯や消防も市町村ごとに請求がくる。これらをモンタギュー村ではインターネットで支払うことが可能。大抵支払期限の3〜4ヶ月前に送付され、年に2分割されて請求される。
州の中では350ある市町村の中でも一人当たりの年収が316位と最下位にちかいが、全米的には平均的な年収といえよう。

市町村名  平均一人年収 各戸の年収 家庭の平均年収 人口 戸数  

Montague


$26,889   $45,342    $70,444  8,422 3,715
ちなみに米国全体の数値は

United States
Country$28,155$53,046$64,719311,536,594115,610,216

このほかに、モンタギューには図書館と19世紀の名残の工場街に運河がありその環境博物館が村の施設利用収入になる。市町村によってプールや運動施設からの収入があったりする。

この夏から来年の夏までモンタギュー村の収入の見積もりと予算の規模は:
Revenue Estimates for  FY2016
Tax Levy Prior Year Limit  $14,144,902 前年比2.5%増  $353,623
New Growth  (さらなる資産追加)$120,000
Debt Exclusion  (借金繰越)$677,864
Subtotal Tax Levy $15,296,389
各戸の平均年収の割には、村の収入源がかなりある。これはかなりの戸が広い家に住み固定資産税を支払っているからだろう。村の議会は無給の代議員・ボードメンバーが定期的に集まって決めているが、町民投票の議案もある。近隣の村には全村民が意思決定に加わる総議会によって決議される村もある。

次に北国には不可欠な冬の除雪や道路工事を司るハイウェーイ事業部、さらに住民の生活には欠かせない水道部(といっても村には上水道も一部を除いて下水道もないが、各戸の井戸が枯れないための水源地が村で確保されている)、そしてゴミ収集・資源リサイクル事業部、さらに土地の登録の不動産管理事業部などがある。村一番の大企業は日本の住友金属の子会社のみ、私立の病院以外は企業という企業はない。よって各戸の固定資産税が主収入源となる。書き忘れたが、具体的な数字は分かりかねるが、村唯一の工業団地のとなりに小型機専用飛行場があり、そこから空港使用料がわずかながら入る。

役場は週に1日住民の便宜をはかって夜間も開かれている代わりに金曜日は閉鎖される。週4日制である。公営図書館も週に三日〜四日開かれるだけで、その運営費も州から助成金をもらって、幼児たちへの読み聞かせなどのプログラムが開かれるのみである。

リサイクルステーション
リサイクル事業は近隣市町村より便利だと自負する。2〜3年に一度値上がりするゴミ収集のステッカーを大きなゴミ箱に貼って早朝に家の前にだしておけば、週一回取りに来てくれる。そして一週間おきに使用後のビン・缶・プラスチック、さらに一週間おきに紙類をリサイクルバケツに集め家の前に出しておくと、無料で収集される。もしこうした州一回家の前で収集してくれる日を忘れてしまうと、週に二日、リサイクル・ステーションセンターに、自分でリサイクル資材を持ち込む。車ごとトラックの脇に行き、仕分けされた大きなリサイクルトラックの荷台に放り込むシステムになっている。

除雪や夏の道路の掃除は結構、こまめに公道で車が走りやすいよう除雪車と道路清掃車が巡回する。村にオンブズマンといった行政や村の運営を監督するプロはいないが、村でミニコミ誌 を発行しているし、民間ラジオならぬテレビ局があるので、悪政をすればすぐにここらで叩かれるし、批判の目にさらされることになる。

村には昔の工場街地区があり、社宅を改造したアパートが連立している直線で200mばかりダウンタウンがありスーパーや金物屋、ピザ屋、駄菓子屋などの商店、銀行、パン屋、郵便局、クリニック、歯医者、バー、レストランやアンティークストアが並ぶが商店街というほどでもない。しかしこの近辺の街にユニークなサービスもある。それは「サバイバル・センター」といって余剰の乾燥物や缶類の食品や衣服、処分に困った家庭用品をもちこみ、必要な人がそこからもらってくるというサービスである。運営はボランティアと寄付金・助成金で人事や施設運営が賄われる。

ユーニークなコミュティーシアターなる劇場が商店街の端に近年改築再開された。60年代には活気があったようだが、建物そのものが朽ち果てていたため、数年前に州に助成金を申請し改築され息を吹き返した。夏休みや年間を通して子供達の演劇活動に利用されている。

サバイバルセンター
すっかり観光の目玉になっている昔の水力製材小屋Book Mill が古本屋、カフェ、洒落たレストンラン、土産屋、中古CD、アートギャラリーが滝の周辺にあり人を集めている。
週末、週日大勢の地元民で賑わうBookMill
私は近所の路上においてある無人の24時間営業、25年前から延々と続く有機農法の路地野菜売り場で卵、野菜、ヨーグルト、牛乳を普段から購入。ここでは現金、小切手の他、クレジットカードが利用でき、今夏真っ盛りには豊富な野菜と近くから産みたての卵、メイプルシロップ、牛乳、生花、ヨーグルト、などが冷蔵庫に入って販売されている。小切手、カード、現金を自分で秤で測って、計算し、自己申告制でお金を置いておくシステムになっている。

そんな村に最近、ますます昔からの友人が近隣の市町村から越してきた。
村の中心のコモン付近には図書館と教会、むかし小学校だったGrangeがあり、そこを抜けると環境保護区が広がる。ここでは小川で人々が水浴をし、犬が鎖をつけずに散歩ができるため、多くの人々が訪れる。
近年、洒落たカフェが最近お目見えした。フォトギャラリーの横に一軒、コミュニティー野菜花畠の近くに一軒、10年ほど前からあるライブハウスの横に一軒できた。やはり町の住民というより近隣から犬を連れて、あるいは自転車で、ラップトップコンピューター片手に人々が訪れる。外のパテオで犬が日陰でのんびりと昼寝をし、美味なカフェオレを横にコンピューターを叩いている。今は工業用には利用されず水量を調節するためのみ利用される運河の横に自転車道も完備された。

そんなモンタギュー村は
近隣の市町村からの移住者にますます人気が出てきた。

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7/22/2015

アメリカの健康食品、サプリメントのからくり

今度はSpirulina (昔日本で流行ったクロロフィルに味が非常に酷似、世界の特定の湖に生息する藻の一種、フラミンゴはこれを主食にするからビンクだとか)ですと。

ここ数十年、日米いろいろな健康食品がブームになっては消えていく。アメリカではどこのオーガニック食品や自然食品店でもサプリや健康食品コーナーが棚を埋め尽くす。ここらモンタギューでは田舎の生協や雑貨屋さんにまで下記の健康食品やサプリがほとんど入手可

そのサイクルは日本での三日坊主飽きやすい健康オタクの人々の周期よりはるかに短期だったりする。ざっと覚えているだけでもこんなにもあった。そして効能も果てしなく続く。以前はこれらは食品とみなされ、このモンタギューのあるマサチューセッツ州では食品には消費税がかからないから、これら健康食品やサプリ栄養食品は関税の対象ではなかったが、数年前に州法で消費税の対象となった。

Kombu cha (どれにもこんぶ茶と書いてあるが原産ウクライナではコンプ茶といわれているそうだ。日本で40年ぐらい前に流行ったウクライナ産紅茶キノコ)
Flex Seed (フラックス・シード体内で作られないOmega を豊富に含んでいる)
Coconut Water (ココナッツの中身;ポタシアム、つまりカリウムが豊富に含む、こむら返りや急激なスポーツのあと足がつる時、筋肉の収縮をはやめるため即効)
Acai (ヒマラヤでとれる細胞活性化作用がおおきいミネラル含有)
Chia seed (中南米の山間が原産
Cacao Powder (チョコレートの原料、カカオ豆を粉末にした、血液をアルカリ性に替える)
Green Tea (緑茶のエッセンス、いわゆるお抹茶)
Wheat Grass (日本の青汁に相当するようだが、青汁ほど苦味はない、アルカリ性食品)
Tarmeric(ウコン、カレー粉の主原料、肝臓をきれいにする)
Whey Protein (乳酸食品からとられたタンパク質)
Ginger(生姜、血液をきれいにする)
Probiotic (乳酸菌、善玉菌として整腸の働きがある)
Fiber (繊維食品の粉末)
Bee Polen ( 蜂が集めてきた花粉;花粉アレルギーに効き目があるようだ)

我が家の棚には「体にいい」、「ダイエットに効果あり」いわれ、話がうますぎると思いつつも買ってしまった上記の健康食品の他に、下記のサプリメントも所狭しと並ぶ。これは友人たちの台所や洗面所の棚をも占有しているようだ。しかし日本の宣伝文句とちがうのは、「xxさんが試してとても効果がありましたよ、あなたも試してみませんか」だけではなく、ハーバード大学医学部で秘密裏に研究されていました。研究結果は門外不出でしたが、特別に皆さんだけにこの情報をあたえます。とアカデミックな研究結果で効能が保証されています。「しかもその研究機会はそんじょそこらの大学研究所じゃありません。」とアイビー大学の名前を織り込む。さらに「今日は特別、あなただけに教えましょう」と視聴者の選ばれたという優越感意識を煽る。 一度でも間違えてそのプログラムの宣伝ビデオがフェイスブックや無料メルアドのサイドバーに出てきたビデオをクリックしてしまうと、最後まで見ていないと、なぜか元の場面に戻せなかったりする。

Zinc(亜鉛、風邪のひき始めなどに摂取、免疫力を高める、医学学会でもビタミンcより免疫力に効くということだ)
Echnesia (ムラサキバレンギク草、風邪を引いたときによいとされる)
Lysin(いわゆるアミノ酸で、口内炎などに よく効く)
Magnesium(筋肉の緊張をほぐす、これが不足すると不眠、糖尿病、頭痛、偏頭痛、高血圧、肥満、倦怠感、不安などになりやすい)
Vitamin B12(冬季日光照射時間が少ないとこれが少ないなり鬱状態になりやすい)
Vitamin D ( 骨や歯に重要なカルシウムの吸収をたすける、免疫力アップ 
Nettle (アザミ課の植物で、鉄分を多く含有)
Valerian Root (ストレス緊張をほぐす)
Ginko nut (銀杏の実、頭をクリアにして脳の働きをます)

ああ、また騙されたと反省することしきり、今回はEbookだったのですぐに読んで、すぐに半日後に返品した。そのデジタル本の内容やビデオになんら新しい情報はない。「血液をアルカリ性にするためのこれらの食品、サプリを摂取うしなさい。そうすれば免疫力アップ、化膿することもなく、アレルギー体質改善、さらに皮下脂肪が減少しますよ」とのこと、あなたは信じますか。
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7/15/2015

夜明け前のキューバ, Cuba: at the Crossroad to the Globalization. English is at the bottom.


初めてConventional Tourist (パッケージの海外旅行)キューバへ行ってきました。宿も交通機関もすべて自分で手配できたけど、国内移動はオプショナルツアーに参加し地方の海外旅行客専用のホテルに宿泊しました。


社会主義国キューバが生き残るために、盛んに外貨を取り入れ、現代ワイヤー文明にまもなく参入します。


1959年キューバ革命勃発。1961年米国政府はキューバとの外交関係を断絶し、少量ながら続けていたキューバ産砂糖の輸入も全面禁止した。CDA(Cuban Democracy Act、キューバ民主化法)が米国議会を可決。米国籍企業の海外支店がキューバと貿易することを禁止する。米国市民がキューバに旅行することを禁止。キューバ人亡命者が家族に送金することを禁止する法律ができ、キューバはますます窮地に追い込まれる。一方1962年キューバにおけるソ連のミサイル基地の建設とミサイルの搬入が明らかとなり、核戦争の危機寸前になったが危機を米国ケネディ政権とソ連でなんとか回避(キューバ危機)。これにより、アメリカとキューバの関係は一挙に悪化した。
キューバの暮らしは米国との貿易に支えられてきたが、その多大な生活物資の輸入先は米国からソ連、さらに反米の近隣ニカラグア・サンディニスタ政権、パナマのノリエガ政権とシフトしていった。物質経済は壊滅状態は免れたが、米国企業を排除し米国資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社、銀行・商業・工業の大企業を国有化していった。よって1973年までに26万人以上がキューバを去った。

しかし人民の生活レベルでは社会主義・共産主義同盟国の他国が崩壊していった1990年がある意味ターニングポイントであった。1989年ベルリンの壁崩壊、東西冷戦終了、 パナマ・ノリエガ大統領が米軍の侵攻にあい拿捕され、1990年2月ニカラグア共産党ダニエル・オルテガ選挙に敗れニカラグア共産党崩壊。ソ連崩壊後ゴルバチョフ大統領もキューバ訪問をして原油のキューバ向け輸出削減1989年以前の40%輸出からから1992年7%に削減。数少ない輸入先の経済が壊滅状態でキューバ国内の物質が欠乏し、電力源の頼みの綱であったソ連からの原発輸入もチュルノブイリ事故で原発建設計画が頓挫し、油がなくなって建設・工事・製造の電力も乏しくなった。そこへ新しく輸入先を南米に求めたが、ベネズエラとも雲行きが怪しくなり、さらにスペインとの外交政策を模索していたところ、国内の急進的な革命に反対していた知識階級をカステロ政権が首謀者4名を死刑宣告したために、反人道政権にスペインは支援できないと、国内の生活物質はますます貧窮。よって自給経済を推進し、一方、カストロ政権のこうしたやり方に反対する知識人たち2万以上の人々がマイアミに亡命していった。

貧窮は極めたキューバ人民の暮らしは、2度の経済措置緩和政策がとられ、2001年米国からの食糧輸入徐々に再開され、なんとか持ち直す。さらに2009年オバマ米大統領がCDAトリチェリ法の緩和(国内から一般市民への送金制限とキューバ市民の面会のための入国規制の撤廃)を決定。実質フェデロカストロは引退したため、弟が大統領職を継続する。昨年2014年12月後半に米国オバマ大統領がキューバとの国交を回復すると宣言した。この大統領宣言遡ること1ヶ月前に我が娘、キューバへ行きたいと言い始めた。「この目で資本主義とはどういったものか、それ以外の経済状況の国からながめてみたい」と申す。

一方、夫と私の新婚旅行をかねて1990年正月パナマでノリエガ米軍に拿捕されんとしている時、夫と私はニカラグアの首都マナグアにいた。そしてニカラグアの全国国民共産党大会になぜか参加しオルテガ大統領にであった。その彼もやがて大統領の席から引き摺り下ろされたわけだが、そんな思いをめぐらしながら母は娘の希望するキューバ旅行を計画。

アメリカ・フロリダ州マイアミやタンパ市からすでに直通の定期航路が再開されていた。が数ヶ月先までも航空券は売り切れなので、今回はジャマイカとキューバの間の小さな島国ケーマン諸島経由でキューバ首都ハバナ入りした。飛行場は首都にしては小さいが人でごった返していた。ケーマン諸島からの機内で同席したジャマイカからのビジネスマンに助けられ貨幣交換と宿泊先までのタクシーとの値段交渉成立。この若きジャマイカのビジネスマンはキューバ国相手に農業用の化学薬品を売っているという。日本ではキューバという国は農業自給自足国と言われているが、彼に外国人として農地や農政策を見て、農業は自給自足されていると賛成するかと聞いたら、「そうとも言えるかもしれないが、どこの基準で食糧が足りているとするか、スタンダードと定めるかが問題だ」と言われた。その後10日間キューバに滞在し、ツアーではあるが地方も回って確かに彼の回答は適切だと感じた。今まで回ってきたアジア諸国、北欧、北中米諸国国内では収入や資産で階級によって何をして不足するかはその尺度はまちまちだ。

しかしあえて私的観察からモノ申せば、その物質供給具合は1990年当時のニカラグアよりはるかに豊富であった。しかし街を行く車や農作業、輸送手段、保存の技術は1960年代のままだった。街には50年代の排気ガス規制のなかった当時の米製シボレーが鼻先を右往左往に走り、その横を座席もないようなタクシーが我先に煙もうもうと過ぎ去り、そしてリキシャがその間を縫うように行き交う一方、外国人旅行者を乗せた中国製エアコンとテレビ付き大型バスが道を我が物顔で通っていく。それがハバナの街灯の当たり前の様子。そして田舎はこの大型バスかロバが人や荷物を運んでいる。

驚いたのは、米国ではよく悪天候によって電柱が倒れ停電なるが、少なくとも私たちが宿泊したハバナ居住区の住居やビーチの外国人専用ホテルや、エコツアーに利用した国立環境保護地区内の国立ホテルでは電気は常時流れていた。ないのはワイヤー、電信である。
電信インターネットが再開する
のをまつ銀行の客達
街頭で人が並んでいるのは食糧配給のマーケットかと思いきや、銀行の営業再開を待つ人だかりであった。人々は外国からの家族友人の送金を待っていたり、貨幣交換をしようとする一般キューバ人や外国人旅行者であった。スリランカでも東南アジアでも欧米系のvisa, mastercardは当たり前のようにある程度のホテル・レストラン・お店で使用できるが、まだまだクレジットカードをバリデートするのに不可欠な電信電話線が不安定なため、ファイブスター級の高級ホテルでもどこでも現金が売買手段である。また銀行もこの電信ワイヤーがないと仕事が滞ってしまう。「ただいま電信ストップしています」とガードマンに言われて、銀行の周りでたむろしながら待っている様子がハバナ市内のあちこちで見られた。

食糧:最初ハバナに到着してAir B & Bというネットで見つけた自宅を解放しますというサイトから一泊30ペソのアパートの一室に何泊した時は、決して品数が豊富と言えないスーパーで食料を買い込んで自炊した。三食とビーチバー初めすべての飲み物が無料の外国人旅行客のホテルにはブッフェがあった。ツアー中のレストランやトイレ休憩の土産屋で食事をした。その量やメニューの豊富さには驚かされた。しかし一般キューバ人はどんなものを食べているんだろうか。大家さんは退職した核物理学の大学教授であったが、電気は極力節電し、食糧は配給がある時に買うといった暮らしをしているようだった。
またハバナや地方都市の地元の人が行く食堂やカフェを覗いてみると白いコッペパンにハンバーガーが主であった。ちょっと洒落て首都ハバナのモールにはフライドチキンが売っていたが、その種類は2種類看板には6種類ぐらいから選択できたはずなのに、実際にカウンターに行くと大と中の2種類から選べるだけだったり、スーパーに電気が煌々とともっている割には食料の品数がなく一列7mすべて一種類のクッキー箱が陳列されていた。
3食豊富な食糧を提供する外国人旅行客用ホテル
そして出口でガードマンのチェックを受けるマーケットには、確かにコンビニや八百屋、路地売りより食品が多種あり肉売り場が別室になっていたが、野菜はすべて缶詰、そして肉魚類も冷凍されたものが陳列してのみであった。レストランで食す肉もそうだったが生であればほぼ塩漬けにされている。保存にはエネルギーがかかるし、輸送にもガソリンが必需であるため、その燃料が限られていれば、塩漬け、缶詰は当然の結果なのだろう。

 キューバュ人にも外国人旅行客にも人気のビーチ、バラデロに数泊し、そこを拠点にエコツアーやミュージックツアー、葉巻工場に植民地支配下時代の旧トリニダト市街、さらにいきなりカメラ持ち物はバスに置いていってくださいと前置きがあってチェ・ゲバラのお墓をお参りするハプニングがついた一泊二日のオプションに参加した。一人130ペソで1日目の昼、夕食、2日目の国立環境保護地区内の国営ホテルの朝食はとても美味ですべて食べ放題であった。すべての食事はオブションツアーの料金に含まれ、最低5回は止まったであろう土産屋やトイレ休憩での無料のウェルカムドリンク(最初のうちはどれにもラム酒が入っているのに気がつかず、コーラ、レモネード、ミントウオーターをごくごく飲んでいたら、後でアルコール飲料だと気づいた。どうりで頭がクラクラしてきた)の歓待をうける。
ホテル内のクリニック
社会主義と宣言したカストロ政権が最初に手をつけた事業の一つが、それまで米資本の企業や個人資産だったプライベートビーチを国有化したことだった。医療技術の向上にも務めた。ニカラグアをはじめとした諸外国からの医療研修先になっていたようだ。しかしそれは1980年代の話。今は病院や医師が特別に高度の医療技術を身につけているとは思われない。というか欧米の資本主義先進国の医療技術とは進歩の速度がちがうのであろう。国有化されたビーチにはたとえ一泊3食付き一部屋130ペソのキューバでは高額のホテルでもすべてのバーも含めたビーチ施設、カタマランヨット、カヤックなどマリーンスポーツは無料であった。


 私たち母娘が旅行していた週に中国の高官がキューバを表敬訪問をしていた、きっとキューバ市場に自国の商品を売り込みに来たのだろう。キューバに必要なのは、通信施設の安定、そして乗用車・作業トラックの輸入や、60年代のままになって潮風で傷んでいるコンクリート建築の改築が急務であることが見て取れる。その建築材料の輸入が優先課題と思われる。ハバナ市街の目抜き通りにある国会議事堂が急ピッチで改築されているのを見るにつけ、そう思われる。
ハバナ市内の目抜通りの建物がいかに60年代のまま傷んでいようと、レストランやホテルの食事が保存食であるため、塩辛かろうが、十分に綺麗な国で旅を堪能できたと自負する。そこはまだ外国人旅行客に最近開かれた国である。バックパック旅行や貧乏旅行の受け入れ皿はない。ある程度現金を落としていくことが不可欠な旅行であった。そういえ意味でConventional Tourでしか旅を許されない国でもあった。
それがこの国を支えていることが実感した。
最後にエコツアーでロシア製ジープにのって、コーヒープランテーションを案内し、滝下を先導してくれたガイド曰く、「キューバの最大の収入源は第一に海外からの送金です。これに国家はかなりのワイヤー送金税をかけます。そして第2が観光です。外国人観光客の慈悲で私たちの生活は成り立っています」とさらに具体的な数字として、キューバは識字教育が徹底しているその識字率は米国をしのぐと言われているが、そうした教師たちの平均月収は400−500ペソ(400−500米ドル)です。そのため教師たちの離職率が増加し、彼らは実入りのいい観光に転職しています。ツアーガイドのレンさんに10ペソ、エコツアーの案内人に10ペソのチップを私オプショナルツアーを後にした。
この国の貨幣は2種類ある。コンバーターブル外貨交換可能なキューバペソと国内ペソ。外国人旅行客はこの外貨交換可のペソをどこでも利用するが、国民は電気代などの支払いにはこの外貨効果ペソをそして一般生活物資は国内ペソで支払うようになっている。これらを一つの貨幣に統合するのが今、最大の政策課題だそうだ。そしてもう一つ気になったのが、このレンさんも他の数人か話した現地人もチェ・ゲバラをとても尊敬していて、いつの間にか国中央のサンタクレア市郊外の彼の棺が収めてある記念館に連れて行かれたが、同じ革命指導者であるフィドロ・カストロの名前は彼らからは聞かされなかった。これをして社会主義国が成功だったかどうかの判断にはならないかもしれないが、そん人々の心の内をみると、一抹にも社会主義経済の人々の心情を測れたが気がした。もちろん彼らは資本主義からやってきた旅行客の前線に立つものたちであるから、資本主義への憧れがさらに強かっただろう。

最後の晩はまたキューバのソーシャルクラブバンドを聴きにクラブへでかけた。スペイン植民地支配、奴隷繁盛時代から積み上げられた文化の濃厚さに驚かされた。国立キューバんアート美術館で音楽クラブでキューバの懐の深さに触れた。











Cuba: at the Crossroad to the Globalization.  

Cuba was my first conventional tourist destination with my daughter. Prior to visiting Cuba, I have been traveling around over 20 different countries.  When we travel to a foreign country, we always try to figure out how to stay in budget Room and Board, communicate with non-English speakers, interact local people, and accepting challenges all different food/music, and learn a few words in their native languages. 

Unfortunately, Cuba was not ready to have foreign tourists to travel alone, a trying keep low budget. They have built four- stars exclusive hotels to accommodate tourists in Havana, beaches, and old colonial cities.  There is no way for Cuba avoids exploring themselves in today’s World Economy.  Farewell to the economic system of socialism; Cuba is about to enter dawn of the Capitalism.  Everything is wired or virtually; banking system, social networks, and business.   The world today is fully wires. That’s what Cuba needed most to join the world community with globalized economy. 

In 1959: Cuba revolution, 1961 Cuban Democracy Act passed US Senate. Practically US government shut down people’s traveling, prohibiting any trading with Cuba, and sending money to Cuba from US.  In October 1962, the Cuba Missile Crisis, was close call for bring the world to the blink of nuclear war fare. Since then Cuban and US diplomatic and business relationship have been shut down completely.

Before the Cuba revolution, Cuban people’s living condition had been totally dependent on imported food/goods from US and exported sugar to the US. After this economic embargo, the biggest Cuba’s trading partner shifted to Soviet from US.  Soviet supplied Oil and imported sugar from Cuba.  Cuban revolution nationalized all American sugar factory, telephone provider, banks, manufacturer, industry, and private beaches.  This rapid switch to socialism cause many Cuban leave their country.  Dissidents, unemployed workers, homosexual were tortured and executed.  Because these difficult situation, 2 million upper-middle class1Cuban left the country between1959 and 1993. US agreed to receive political exile in 1965. 

People who stayed in Cuba had another life-threatening event, which happened between1989 and 1990. The Soviet Union collapsed. America invaded Panama in December 1989.  General Noriega, who had provided one of Cuba’s lifelines to the capitalist world, and was forced to hand himself over to the US authorities.  Worse was to come. In February 1990, Nicaragua, another close Cuban ally country, lost their socialist president in their national election.  The final and definitive blow for Cuba came on September 1991. Gorbachev giving into pressure from the United States, announced that the 7,000 Soviet troops stationed in Cuba would be withdrawn… The crisis of the Cuban people had begun in 1990 when the oil supplies from the Soviet Union failed to arrive…  In 1989 some 13 million tones of fuel had been imported at very favorable rates.  A year later, the figure had dropped to only 9.9 million tones. (Gotta; pg286-287)

 The public food distribution collapsed and inflation rate skyrocketed, transportation was cutback, and electricity was restricted. Food and fuel were both in desperately short supply, and although outright starvation was kept at bay, Malnutrition-unknown in Cuba for generations-became widespread. (According to Gotta: pg 288 Food imports were halved between 1989 and 1993. In the same period the imports of fuel declined by 72% and overall imports by 76%) Cuba refused to take US food donation.  In 1994, as a result Cuba opened the country to international tourism, entering into several joint venture hotels and tourist, agricultural, industrial projects, on top of legalized the use of US dollars.   There were two separate economies, US dollar-base economy and the peso-economy. Later in 2004, the Cuban government announced an end to this policy:
from November U.S. dollars would no longer be legal tender in Cuba, but would instead be exchanged for convertible pesos (since April 2005 at the exchange rate of $1.08) with a 10% tax payable to the state on the exchange of U.S. dollars cash.  This way they had international currency in US dollars.  The Cuba government started to charge large tax to wire money into Cuba.  This double economic system is maintained even now.
 
In December 2014, US President Barak Obama made executive order to lift the embargo against Cuba.  A few weeks before, my daughter had expressed her wishes to go to Cuba to observe their economy and see the differences between Capitalistic society and Socialistic society.  

To interject my personal experience, in 1990 on New Years Days, I had an opportunity to be sitting at the National Communist Convention in Managua, facing President Daniel Ortega, who a month later lost his re-election. This was at the same time Panama’s president, Manuel Noriega, was abducted by US.  My life experience happened to be close to these major events among those countries. Those countries collapsed their socialism.  Twenty-five years later, our very own daughter asked us if she could go to Cuba.  I thought that would be interesting comparison and addition to my observation.

Six months has passed since Obama lifted Cuban embargo. We as Japanese /US tourist did not see any problem to visit Cuba except the flight to Havana was sold out several months advance. So we flew from Florida to Havana via Cayman Island. 

Because there is strong resistance toward current Cuban government among Cubans living in Miami, Miami refused to have the Cuban Consulate.  Meanwhile, Tampa city, Florida invited to have the Cuban Consulate and plan to have a daily ferry route between Tampa and Havana. Fortunately we met a young Jamaican business man who comes to Havana four times a year to sell Agricultural chemistry to the Cuban government.  I was curious about his opinion regarding Cuban sustainability, about which I had read in the Japanese media and in writings from an American botanist. His answer was that Cuba has still long way to produce enough food to fulfill the standard of modern agriculture.   

My short observation:  As of June 2015, Cuba has more materials than Nicaragua had in January 1990 after ten years of the Sandinista administration. Havana city in 2015 had many 1950’s convertible Chevrolets spreading tons of exhaust.  Seatless Taxis with passengers squatting on the floor ran between those Chevrolets.  Of course, lots of bicycle-driven rickshaws were crisscrossing through the vehicular traffic. One big difference in the Havana of 2015 is the presence of huge Chinese AC tourist buses occupying many sight seeing spots. Meanwhile in the countryside these large Chinese tourist buses are the only form of transportation found on the roads alongside the donkey carriages.

To be honest I was a little surprised that we did not experience any power shortage.  Yes, communication or wire service is a big problem in hotels, restaurants, banks, telephone, and WIFI service.   Wherever you see a crowd of people waiting in a line or wandering around, that people must be waiting for banks to reopen.    

Food:  We stayed at a private apartment which we have found via Air B & B Internet site service.  We bought food at the super market or mall and cooked ourselves.  In downtown Havana,  super market selling cans of vegetablefrozen meat/ fish, and dry products.  I could not find a single store selling fresh vegetable and fruits.  Meanwhile the restaurants and hotels have variety of food and fresh vegetable/ fruits.  I wonder where they get their ingredients; there must be special route to get food. For instance, a few stores, markets, and groceries where we stopped there were beautifully decorated isles of same cookie cans on the entire shelf.  We also stopped by the local café a few times.  They only served hamburger with very salty meat on hamburger buns. There was virtually no variety on the menu. It was a quite contrast to see how rich and varied foreign tourist restaurant menus were. Our landlord was a retired university professor.  He showed us how rarely he could get a chicken and a bottle of water from the store. As foreign tourists, such things were much more available to us. He told us we should conserve the electric power due to the price of electricity was enormously expensive for residents. Later I heard the average monthly salary of teachers was 300~400 peso, so lots of teachers leave there job and become tourist guides which gives easy access to have cash flow.  

Preserving and transporting food uses lots of oil and energy.  We, as coming from US, are used to having refrigerated trucks carrying fresh produce or frozen meat. But in Cuba it is very expensive to have fresh meat or bring fresh food to the store /residence.  If you have limited sources of oil or electricity, the food preservation is a big issue. Most of meat we ate was preserved with a very high degree of salt.

Varadero Beach was very popular among Cuban and foreign tourists. It located one hour drive from Havana.  Castro had taken this beach away from the American private owner and nationalized it.  All the beach facilities were accessible to anyone without fee. Sailing boats, sea kayaks, paddle boats, beach parasols, beach chairs, and even beach bars were included in the hotel fee. Recently, four-star and five-star hotels have been quickly built along the beach road.  100 peso to 250 peso per nights and per room was charged included three meals and all the drinks and snacks and above mentioned facility.  National tourist bureau offers dozens of exclusive tours.  These beach hotels have delicious buffet food all the time in their main cafeteria, or beach snack bar.  During optional tours, whenever we stopped for the washing room, snacking, or sightseeing, and adventure, we were welcomed with complementary rum drinks and free delicious local food. 

While we were traveling in Cuba, high rankings Chinese government officials also visited Havana.  They must have been trying to make trade and manufacturing agreements with the Cuban government.  Current needs that I see in Cuba are: a secured telecom /wire system, automobiles/trucks for transport and infrastructure of buildings, roads, and residences in addition to the current tourist facilities.   

Well no matter how salty the meat is, and no matter the lack of emission controls for the cars, we certainly enjoyed the rich Cuban culture and beautiful landscape.  Cuba surely has much to offer to visitors.

Regarding the renown Cuban medical system of education and practice: Cuba 
Today has not been able to keep up with contemporary trends in medicine due to economic constraints. We shall see what Cuba decides to do with their historic commitment to medicine as they assess their overall economic challenges.

As I have mentioned above, the political leadership of Cuba has decided to first open the country for tourists who can afford those fancy hotels and restaurants. It will take time to open the country for more backpackers or budget travellers.  This could be one factor, which would cultivate a more consumer-culture like we see in the US.

However, my biologist friend told me that she learned from a recent environmental conference, Cuba has most non-contaminated water in the world.  I wish they would keep these beautiful waters and land, even while welcoming massive number of visitors to the country and develop the cities.

One thing I was puzzled about was that all tourists guide we met, talked only about Che Guevara not Fidelo Castro, actual implementer of socialism, and all the monuments are Che’s statues, who started their revolution from foregin country, not Fidelo.  Che was their hero, but not Fidelo.  People extended their affection to the heroic figure of Che, but not as much toward Fidelo Castro. I am not entitled to evaluate whether the socialistic economy succeeded or not from my own traveling experience.  However, I noticed there was an envious and sour feeling among people.  Who face the tourist from the wealth capitalistic country. 


Bibliography:
Gott, Richard: Cuba A new history; Yale University Press 2004, New Haven,

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol45/


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5/03/2015

日本の一首相が米国国会で演説。1875年福沢諭吉が著した「文明論概略」から検証


先月, 同僚の東洋史研究家の韓国人教授が、日本の近代史で一番注目すべき図書は福沢諭吉の「文明論概略」だといってきた。
自分のクラスでは世界現代史でもアジア史のクラスでも生徒にこれを読ませ、アジアの近代を考えさせているというのだ。彼女は上海で東大でNY大で東洋近代史の研究をしてきており博士号をもち、大学で中国・朝鮮半島・日本を中心に近代史や文化史を教えている。

私は岡倉天心の「茶の本」が近代アジアを語るには以前から重要だと考えていた。同僚教授は自分も岡倉天心とターゴルの交流も研究したこともあるが、韓国や中国の知識人の間では少なくとも福沢の著書はそう考えているという。そんな「文明論の概略」を再読してみた。若い頃に授業で「学問のススメ」を読まされた経験があるが、これはあまりに前で「記憶にない。また川端康成の文学が好きで日本語を習い始めた昔の教え子が、大学で日本文学をとっているが福沢諭吉を担当教官に勧められて読み始めたが、どれか彼の代表作を紹介してほしいと連絡してきたので、ますます身を入れて「文明論概略」を読み始めた。

時も時、先週、戦後首相の孫である安倍が米国議会演説をすることになりその内容と彼の主義主張がどのようなものであるか、140年前のこの本が諭すところがまるで反映されているかを検証してみた。


確かにこの福沢諭吉の本は日本のアカデミック界ではアジア蔑視の思想だ、いやそうじゃないと論争を醸し出している。しかし私はギリシャ哲学者のプラトンが「Repubulic 共和国」で各種の政治体系を分類した章との類似を認める。似ていると思って読んだ。福沢の国家の成り立ち発展度はその国の市民の文明度や政治家の文明度と大いに相関関係にあると言っている。されば日本の首相演説を聞きイデオロギーを見る限り、まだまだ半文明国だと言わざる得ない。
福沢曰く「物事の道理を知るものは道理を知れば知るほど、自国の様子を明らかに知ろうとする、、
(しかし半文明国は)物事の道理を議論する際は、疑いをもってわからないところについては聞き出すという勇気を持たない。、、、社会にルールがないわけではないが、習慣の力が強くてルールとして機能していない。文明には外に現れる「事物」と内側に存在する「精神」の2種類がある。では、その「文明の精神」をはなにか、これは人民の「気風」である。この「気風」を高め国として真の文明国になるには、人間の本性にしたがって、それを妨げるものを覗くことによって、自ずから人民一般の知徳を発達させてその意見を高尚な境地に進めることである」云々。つまり、慰安婦問題を一つをとっても安部は国外で遺憾だといっていても、国内では右翼のバッシングをおそれてか、そうしたことを漏らしていない。国外では2枚舌だ建前論者だと批判されてもおかしくない。
阿部のスピーチは独創性に欠け、具体的な有形な意見の言及を避け、一国の代表としての責任ある意見は見られなかった。こんな首相を出した国民が知徳を発達させた国と言えるだろうか。


これをアメリカの政治ドラマと比較するには規模がちがうだろうが。住民の意気込みとそれをうけて政治の舞台にたつものとのやりとりという点でここに人口25万都市のフロリダの中小都市での大がかりな政治ラリーの様子を例に検証したい。政治ラリーは超党派の教会などが連携して、政治家に要求をのませ、具体的な数字をあげて今後の都市計画に盛り込ませる集会だった。そして聴衆はそれを証言するというものだった。バルティモアの黒人男性が警察に発砲され亡くなった事件に抗議し、民衆が街頭にでて暴動化した日と同じ時刻だった。1500マイル以上離れているバルティモアの怒りが南部のここまで波紋が広がったかと思わせた人数だった。いくらバルティモアの一連の事件に端を発しているといえ、暴動とはおおよそ正反対の平和裡なしかも主に社会的に地位のある人々が数百に集まったラリーだった。しかし実情は人種問題と深く関わっている「教育、住居、失業問題、若者の更正」など一つ一つの問題を黒人が多くいるこの街で住民が訴え、それを市長、市議長をよんで公約させるのだ。

例えば、現在この町には15000人の失業者と、6000人のホームレスがいるという。街は低所得者収入家庭の為の公営住宅が慢性的に不足しており、入居希望が5年待ちの状態である。この公営住宅入居を待っているあいだホームレスになる人、精神を煩う人がでてくる。そうした人々が軽犯罪を繰り返すという状態がつづく。それらをどうやって 公的に支援するかが課題とする。市議会議長や市長が演題に呼ばれる。本人前に具体的要求を突きつける「2018年までに低所得者向けの公営住宅を20%引け上げるよう」。そして市長等はそれを力強く正々堂々と政治家声明をかけて約束するといったやりとりが繰り広げられていた。
たしかにこれも政治のパーフォーマンスもしくは、政治家は投票数を広げるための取引と言えるかもしれない。しかしもしその約束が守らなければ、政治の舞台から引きづり下ろされる覚悟が投票者にも、政治家側にもあるのがわかる。

ここで言われる責任ある姿勢が政治や法律を作る側の日本の政治家にもそれを選ぶ選挙民にあるだろうか。いままでの慣習ばかりがはびこって、それらを打ち破れる勇気が、具体的な計画、視野をもつ政治家がいるだろうか。そしてそれらを育てる住民がどれほどいるか。
最後にもうひとつ福沢の著書「文明論之概略」から引用したい
ーーーー『文明の年齢』には3段階ある。
第一段階;便利だからといって群れは作っているけれども、用がなければさっさとバラバラになって跡形もなくなる。或は衣食住に不足はないと家道具を工夫することはない。自然の力をおそれ、権力恩恵や威光に批判的になることもない。
第二段階:農業が大いに盛んになって衣食は足りている。都市を造って外形としては「国」だけれども、内実を見てみると不足しているものははなはだ多い。。。人間の交際に着いては、猜疑心と嫉妬心が強いくせに、物事の道理を議論する際には、。人の意見を鵜呑みにしてしまう。
第三段階:自然界の事物を法則としてとらえる一方で、その世界の中でみずから積極的に活動し、人間の気風としては活発で古い習慣にとらわれず、自分で自分を支配して他人の恩恵や権威に頼らない。自信で徳をおさめ、知性を発達させ、過去をむやみにもちあげず現状にも満足しない。小さな処で満足せず、将来の大きな成果を目指して、進むことはあっても退くことは、達成することがあってもそこにとどまることはない。」と果たして、
ここでいう第三段階の文明を有しているだろうか。それは住民一人一人によるところが多い、つまり阿部の演説聞いて落胆ばかりで、それ以上変えようとしないのではなく、それを明日への励みとして、そんなことしか言えない首相を攻めるばかりでなく、一人一人知性を発達させる様にはげまねば地域、国全体が野蛮化してしまうぞといった警告としたい。
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1/12/2015

時代を語るその2 〜人種分離の壁と壁の狭間から


前回の記事 「アメリカの富裕層の集まるバグルの中から、バブルの外から」では、どうしてアメリカでは貧富の間に怒りが蔓延しているかを突っ込んで書かなかったが、これは人種間の隔たりといっても過言でない。

昨夜黒人の投票権獲得に焦点をあてたマルチンルサーキング牧師を指導者とした市民権運動の映画「Selma」を見て来た。それは現在あるアメリカ国内の諍いの始まりだ。


1960年代当時、肌が褐色で生まれ、黒人が多い住民区域に生まれ育ったばかりに
教育を受けられない、希望通りの職業に就けない、住民税を支払っても行政サービスを受けられない、個と個、群と群の争いや不公正を裁くための法や制度をつくる政治に参加できない、自分たちの声を届けるための代表者を選ぶ選挙に参加できない、よって司法にも陪審員としての参加も許されない。

こうした権利剥奪の生活は奴隷として、民主主義の国アメリカ合衆国に連れて来られた黒人のおかれた環境だった。映画「セルマ」では、市民権運動の闘争をピークとして有色人種の投票権の獲得が、キング牧師とジョンソン大統領との駆け引きで勝ち取られた様子が伺われる。しかしそれで全ての人種差別政策が取り払われ、人々の心の中の差別意識が静まった訳ではなかった。

映画「セルマ」では、憲法で基本的人権としての投票権登録が保証されているにも関わらず、黒人が選挙登録に行くとレジストラーが難癖をつけ、黒人の投票権を阻止していた様子が描かれていた。いくら法が改善されても、それを行使する人々の心が変わらなければ、そこには大きな壁が横たわっていることを如実に表していた。それは抑圧してきたもの、人の上にいたものの恐怖という形で表れる。


市民権運動の最後の要として住居区の隔離も1968年に禁じられた。しかし米国南部でなく ニューヨーク近くのコネチカット州の軍港の街に育った夫は、1970年代初頭に近所でおこった事件を覚えている。始めて白人ばかりが住んでいる居住地域に黒人の軍関係者の家庭が引っ越そうとした、すると白人の家庭が「この地域の平和が乱れる」という理由でその引っ越そうとした黒人家庭を追い出さんと署名に廻って来たのだ。その時、白人の父親は大声で署名に集めに来た近所の人を怒鳴り返し、その時やって来た黒人家ぞくと今でも、近所の幼馴染として家族ぐるみでつきあっている。

1/04/2015

時代を語る〜その1、アメリカの富裕層の集まるバブルの中から、バブルの外から

2015年の幕開けですな。ここのところ、フロリダに住みはじめてから、貧富の差や人種の隔たりを感じる。

一昨年の夏から夫とこどもを北部へ残し、単身リゾート地フロリダの大学で教えている。といっても去年から下の娘は大学寮生活をはじめ、今年大学卒業年の息子もNY市郊外で大学生生活を送っているから、残したというより巣立っていった。夫はマサチュセーッツ州でも全米中の裕福層が高等教育の充実さと住み易さで集まている大学町で、これも私学で教鞭をとっているから私の仕事先についてくる訳には行かない。私はここメキシコ湾を臨むビーチ沿いの街に全米中の億万長者が年に数週間過ごすための別荘億ションの並びで仕事をしている。


その富裕層の豪奢ぶりは、開発、観光という名の下に年々加速度がましている。物質面での豊かさは社会全体の豊かさの向上とは言えるだろうか。豊かさの 傍らで、連邦政府肝いりの医療制度が変革したものの、相変わらず貧者は生活苦からのがれられない。暮らしぶりを市町村の単位で守るはずの福利厚生は「福祉」「社会主義」という名目で、資本家同士の競争意識を削ぎ落とすとばかりに充実していない。だからますます富めるものは最先端の技術や医療等の恩恵を受けられるが、ほとんどのものが必ずしもそれらを受けられないし、貧富の溝は深まる一方だ。これら貧者の富裕層に対する怒りや憤懣が、この国には蔓延する。もうアメリカドリームというあこがれはない。それに輪をかけて、人種間のセグリゲーション、隔離化も広がり、もう一発触発の騒ぎを昨年も何度もおこした。ある大学の市民運動史を教える教授によれば、60年代の市民権運動が盛んだった頃より、現在はさらにセグリゲーションが浸透しているという。それはこの南部の中でも観光地フロリダにおいて、まさに肌で感じる。

大学の研究所
 上記の写真は近所にある富裕層の別荘地、街の中心にあるヨットハーバー、下段の写真は私学の大学の寮や構内の様子である。娘達の友達の話を聞かされると、その桁外れの豪華さには驚かされる。例えば、同室学生はカリフォルニア州マリブ出身(豊かな家並みはハリウッドを勝る)で高校時代にBMWを親を買ってもらい乗り回し、それを大学まで宅配便で運んでもらったり、息子の下宿先の友人はロックフェラー家(その資産は国家予算をしのぐ)のライバル家の子女であったり、他にも卒業式にはホテル丸ごと借り切ってしまったといった話は枚挙にいとまがない。息子が漸く探して来た近所で数少ない下宿先をシェアする際、ある親は掃除夫を雇いたいと言って来た。私はその甘やかし加減に怒り丁重にお断りしたが、結局他の親が勝手に掃除夫をたまに雇っているという話を聞かされた。こどもは自分の暮らしを初めてもずっとそうやって金銭的世話をやきつづけるのだろうか。答えは"yes'だ。もっと功名に家族から直接小遣いとしてもらうのでなく、家族が経営する財団から給料として収入を得るようになっているらしい。

これもある大学の図書館
もう、際限をしらずどこまでも豊かさを享受する家族がいる、どうなったいるんだこの国は。これでもか、これでもかと、貧者の鼻先で富めるものがその富を謳歌している。

自由経済といわれるアメリカの国の富裕層がすべてこうしたオールドマニー 数世代前からの遺産を享受し、現代で豊かになっている訳ではない、確かに自分の世代で働いて資金を確立してきたものも多いが、それはそれなりの教育を受け、そしてネットワークを築きあげたものに許されるステータスだったりする。

しかし、、
日本では上流階級の仲間入りをすると同意にとられる「エリートになる」と言うが、元々の英語のElite と異なった解釈を日本では和製英語にして使っているようだ。少なくとも米国社会では「エリート」はなるものでなく、「エリート」の家に生まれるから「エリート」の素質があるのだととられ、努力し経済的に成功し、社会的地位を上り詰めたからといって、イコール「エリート」の地位を得ることはできない。とは米人夫の弁。つまり米国が植民地として支配されていた時代、ゴールドラッシュ時代、産業革命や鉄道時代に築きあげた富を、代々享受している旧家の家々がこうした富裕層の礎を築いているから。今でもリゾート地などへ行けば、閉鎖的な社会の名残がみられる。

例えば、先日家族構成員全員が億万長者である旧友が、年末に全米に散らばる所有地の一つフロリダの豪華リゾート別荘に来たので、旧交を温めに彼の属するヨットクラブへ招待された。彼の仕事は家族が所有するボストンのある大学の理事としての肩書きと、億万長者が集って毎年多額の助成金を申請団体に与える財団Threshhold for Millionearの審査理事をしているという。こういった財団いわゆるトラスト・ファンドこそがアメリカを世界一の富めるものを持つ国にした理由だろう。

この税金を功名に操るファンド・システムが継続し、国内の遺産相続が温存される限り、アメリカにはとてもつもない資産家が途絶えない。ニュー・マニー新興の資産家は「成金」と言われ、オールド・マニー旧家から一歩ひけをとってもいる。また旧家オールドマニーの人種構成もその資産の古さ故に、先にこの北米大陸にいる住民をないがしろにして、天然資材やリソースをむさぼって来た最初の移民としてきた白人中心になってくる。