2/23/2009

Ted Kennedy -恵まれたケネディー家の末っ子テッド、その痛みと功績

以前にも紹介したが、よく聞いているインターネットラジオにLittle Radioがある。
そこで日本の政治体制について、マスコミが大衆をあおり立て、罪もない人をなじったりすると意見を述べたが。その延長戦をここで、

昨夜の近所の人々を呼んでの夕食の会話にこんな話題が突然出て来た。

地元紙ボストングローブ(アメリカには日本のような全国紙がない)に最近、テッド=ケネディー上院議員がシリーズで連載されているが本当に彼を、マサチューセッツ選出の上院議員として誇りに思うという話題だ。

ケネディー上院議員は政治的手腕はすごいが、スキャンダルがとても多い。
女癖、酒癖、数え上げたらきりがないぐらい。
それでも政治生命を絶たれなかった。
確かにやっかみもものすごく多い。
彼の二人の兄は大統領と、大統領候補だったが、二人とも暗殺された。またJFKの息子も飛行機事故でなくなったから、いろいろ憶測も出て来る。
テッドがハーバード大に入ったのも替え玉が入試をうけたのではという憶測が回ったと思えば、
別荘地で女性と酒酔い運転していて、そのまま崖に転落、彼のみ泳いで助かったニュースが広がった。

いつも保守派の野党のやり玉に上げられ、スキャンダルに事欠かない。しかし選挙民も地元マスコミも彼のゴシップ種を気にせず、彼の政治手腕を評価している。

テッドケネディー上院議員は、このオバマ大統領就任式を感慨深げに参加した後、倒れた。そして昨日が彼の77歳の誕生日、政治生命も危ぶまれたが、今の所まだ現役。  (追加文、この後まもなく他界された)

テッドとケネディー家のビデオ

地元紙、ボストングローブの連載記事より
'Let's stay out of gossip columns.'
In 1956, Teddy graduated from Harvard and enrolled in law school at the University of Virginia,

Ted Kennedy had a long list of bills that he wanted to get through the Senate, and he had spent decades mastering the multilayered negotiating

tactics needed to turn them into laws. § His high-powered staff, by the late 1990s, had become the body’s chief engine of legislation. It was like a school of government whose graduates included corporate leaders, senior White House aides, and a future Supreme Court justice, Stephen Breyer. § And by the start of 1997, Kennedy saw a chance to get Senate approval for one of his cherished goals: a new children’s healthcare program, funded by a hefty hike in the tobacco tax.

Kennedy's office has written about 2,500 bills, and more than 300 have become law. In addition, more than 550 bills Kennedy has cosponsored since 1973 — the first year Senate records showed lists of cosponsors — have been enacted.

Much of that hefty pile of legislation has involved healthcare, for which Kennedy has won, bit by bit, some of the elements of the sweeping national healthcare plan he has failed to accomplish in one omnibus program.

The list of healthcare programs Kennedy has pushed forward reads like alphabet soup.

In 1972, he was a chief architect of the Women, Infants, and Children (WIC) program, which provides food assistance and access to health services for low-income women and their children. That was followed by SCHIP in 1997, and in 2006, Kennedy further extended federal assistance for children's health, working with Republican Senator Charles Grassley of Iowa to pass the Family Opportunity Act, which expanded Medicaid coverage for children with special needs.

2/20/2009

ワシントンDCに向けて歩き始める NEW Spring Walk

2週間のご無沙汰でした。
先週は、日本の平和憲法の遵守と、地球上の完全なる戦争放棄と核武器の廃止をうたって、このモンタギュー近くから、ワシントンDCまでほぼ2ヶ月 かけ、桜が咲く頃のワシン トンDCにある国会議事堂へ向かいます。初日は近くの平和塔で出発式。そしてアマーストへ一日20マイルほど歩いた後、途中各地で地元の人々と交流しながら、毎日平均35キロほど進みます。


まだまだ雪が残る平和塔まえでこれから歩き続ける人、送る人々が集う。





日本でも世界9条会議に向けて広島ー東京間を通しで歩いたメンバーも迎え、常時20名ほどが歩いています。


初日の第一歩に参加して、昼ご飯を届けたところで、私は胃腸風邪になってダウン。情けな〜〜〜い。それでもなんとか風邪を治し、仕事も徹夜で片付けて、ボストンへ息子のパスポートの更新を理由に、行進参加したのが今週。当日は在ボストン領事館での用事を済ませたあと、近くのボストン市役所地図中Aからボストンコモン中央広場C(近くにアメリカ建国にゆかりのある州会議所、建国時の志士が眠るフリーダムトレイルがある)を通り抜け、目抜き通りの市立図書館前のオールドサウス教会でお昼とピアノ演奏を供され、さらにバークレー音楽院の前をアジア系留学生の横目でじろじろと見るのをやり過ごし、レッドソックスのホームグランドのボストンフェンウウェーイ野球場Cの前から、路上で若者の暴力闘争が絶えなかったジャマイカプレインまでの行程の一部を 息子と息子の友人たちと歩いた。平日だったので、若い人は少なかったが、それでも15人ほどのグループに、途中いつも近辺をさんぽしているというアラブ系の留学生やら、地元 の白人の若者も共に歩いた。日本からマサチューセッツ各地から老若男女が歩いた。北アフリカ出身のボストンのラップシンガーもベグウェイも、マサチューセッツのネイティブのワンパのグ族最高メディスンマン兄弟も行進団を迎え、昼 食を共にし、街行く人に笑顔をまき散らしていた。私の住む西部マサチューセッツほどではないが、みな好意的に受け止めてくれているとは、毎日歩いている人 の感想。


大きな地図で見る

何を訴えて歩いているというよりも、歩いている間に他の行進者の人となりに触れ、地元の人々に温かく迎え入れられ、また祈り歩いていることで、自分がこの大地に何が出来るかと自問できる時間を持てたということに感謝。(ただいま、カメラの接続線を探索中、見つからない、見つけ次第写真もアップロードしたいと思います)


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アフリカのブログ紹介・ アフリカつながり

  • 気がつけば、アフリカ大陸に縁ができていた。東、西、南アフリカについて気になりはじめた。一口にアフリカと言っても、ヨーロッパのように大きく文化をくくるのとは訳が違う、日本を始めとした極東アジアが中東や南アジアや東南アジアと一からげに出来ないのと同じようなものだ。

  • なぜこの大陸に縁が出来たかは、不思議なもので自分で選んだというより、縁が向こうから所変え、品を替えいろんな形でやって来たという方が的を得ているだろう。人類学をかじっていた学部のゼミの頃から、25年以上も前に留学先でお世話になったアフリカ系のホストファミリーに、このアメリカの黒人差別が色濃くのこる南部を意識させられ、日本で最初の仕事が東アフリカの駐日大使館で、日本の外交、アフリカのエリートの様を目の当たりにした。それから数年後、奴隷貿易の中間航路を歩いて遡る行脚の間、ここマサチュセーツから数々の奴隷の無名墓で祈りを捧げ、アメリカの東海岸をニューオリンズまで下り、カリブ海の島々の奴隷市場を経て、アフリカ元奴隷海岸から南アまで1年2ヶ月の行進の手伝いも気がついたらしていた。そして西アフリカの精神性を描いた半世紀でベストセラーになった著者に出会い、その翻訳を手がけてから、一昨年春に同民族のシャーマン女性と日本でワークショップを開催した。アメリカの大学院のプログラムでは、アフリカ大陸への開発教育に力をいれ、現地のNPOのリーダーたちのために奨学金を探してアメリカへ呼び、工業先進国のみた開発教育を受けてもらって、現地に返す仕事もして来た。さらにヨーロッパ、北米東海岸で、奴隷の子孫と自称する人々の癒しの儀式に参加したりもした。そしてとうとう、また何かを仕掛けようとしている。

  • その流れで、数あるアフリカ関連のブログの中で、サイドバーでも紹介しているが、以下のブログが面白いと掲載した。
アフリカの大陸には、物が豊かな私達の暮らしの縮図があるような気がする。砂漠で、草原で、ジャングルで、アフリカ各国の大都会で暮らしている人々の暮らしを見つめるとき、自分たちの暮らしを見つめ直すヒントがある様に思えてならない。

まず、小難しい政治が分からないと言う方も、地理的にも心理的も遠すぎて、身近に感じられないという人も、とにかくここに掲載されている写真を見てほしい。原色の色使い、自然の中の様々な色合いを。

西アフリカはブルキナファソの写真、
http://www.jtw.zaq.ne.jp/bando/1_1.htm

西アフリカの人のNPOグループのホームページ
Wisdom Spring
http://www.wisdomspringinc.org/
Sobonfu
http://www.sobonfu.com/pages/index.shtml


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2/09/2009

日本の最大の構造問題 - 池田信夫 blogより

日本の最大の構造問題 - 池田信夫 blog


地方の公共投資をその地域に限定したものと考えることができない、線路沿線整備のような問題と同じく、現在は一国の経済問題は、もうその国の問題としては解決できない。一般市民のお財布や、生活意欲まで繁栄してくるご時世になった、

日本で公営企業、公社を民営化して、国家財政の赤字を少しでも減らす一策として、飼い犬を自由経済の競争の海に、後押しをした。
個人主義のアメリカで自由経済の下、今まで散々資財を増やし続けた企業のトップ、銀行、保険、証券、果ては自動車産業までが、ブッシュ政権の末期に、ニッチもサッチも行かなくなったと、個人所有のジェットで、高級車で国の助成をあてにして首府に群がってきた。
今度は現在の経済危機を招いた、焦げ付きやばらまきすぎたからだと批判を受けているアメリカの住宅ローンを オバマ政権が「収入の少ない人から、すこしづつ肩代わりしていきますよ」と言ったとたん、先ほどの公営ラジオでは、その収入の少ない部類に入らない納税者が怒りまくっていた。



彼らの気持ちがわからないではないが、もうみな自分の欲のことしか、道徳理念は後回しになるのだろうか、ここでhypocrat 偽善者は慈善者と一字違うだけでこんなにちがうものか。

2/03/2009

アメリカの公共投資II  地方自治編

今日は朝から田舎道を車で走る。

田舎の村々をいくつも通ると、道路状況でその町の市制の違いを漠然と目にする。

先ず、このモンタギューは農業・酪農をやっている農民、通勤/通学住民区域、近くの大学街の事務業に通う住民区域がある。50年代からの様々な共同体、そしてインデイアンの漁場だった滝タナーズフオールの区域に運河が流れカナダから流れてくるコネチカット川を塞き止め、今は閉鎖された工場が広がっている。築100年以上の煉瓦作りのアパートが並び、現在低収入住居となっている。(なんとフォードが昔から鉄鋼産業の工場と運河がある、この近くの川沿いに初期の自動車工場を戦前つくろうとしたが、結局、反対にあい元地域にしたという逸話がある。それでもこの町が好きだからと、フォード自動車工場のある町は、ここらあたりの名前にちなんでGreenfield とつけたそうだ。反原発の映画が最初につくられたコミュニティーもモンタギューにある)ここは固定資産税も安いが、税収入が無いから町の財政は破綻しており 道路はひどいお粗末。除雪には全然やって来ない。

http://maps.google.com/maps?f=q&source=s_q&hl=en&geocode=&ie=UTF8&layer=xt&g=montague,+MA&ll=42.50754,-72.321625&spn=0.433296,1.060181&t=h&z=10

一方、となりのレベレットは近くの大学で教えている教授陣が多く、いわゆるリベラルな町。固定資産税も高い。村の公立小学校に税金を積込んでも構わないという人も多いから、小学校の施設も先生のレベルもかなりいい。また道路も町の境から、きれいに除雪されている。山の上でも、州立道路でも、どこもしっかり目が行き届いている。警察のパトカーの台数も、常駐の警察官の数も人口の割にやたらと多い。

そこを通り抜けて湖のあるウェンデルは、村の大半が州立公園なので歳入の住民税が入って来ないので、結構田舎の割に土地税が高いが、この町こそ何を隠そう70年代にはヒッピーが大挙をなして住んでいた。その名残でそんな彼らが家族をつくって、トレーラーハウスや手作りの家や、工夫を凝らした家に住んでいる。いまでも毎月満月には「フルムーンカフェ」が町役場で主催される。いきなり森のまっただ中に、いきなり70年代に迷い込んだような気分になる。しかし道路は、全く整備されて居らずとても危険。冬中除雪しなかった道路なんてのもある。もうそんなことにはお金をかける気なしって感じで、ダウンヒルで曲がりくねった道路ばかりで、個人個人が気をつけろって言うことらしい。
でも、いざという時は村の住民間には団結力があるようで、先日もアメリカではめずらしく建て前のような集まりがあって、村人みんなで助け合って新しい家の棟を上げていた。

さらに離れて、もう少し人口の密度の高いホリヨークだと、お年寄りとプエルトリコの人口が多い。昼間の就労時間に選挙が行われるため、低賃金の仕事しか無い彼らには選挙にいく余裕がない。選挙に行かれる年寄りは、教育より福祉を優先しろと、市民投票をかけると、教育費に全くお金がまわらない。昔から学校が退廃していると評判だ。

結局、各町村の住民たちは、自分さえ良ければ自分の税金が直接、自らに降り掛かる暮らしを良くしてくれればよいと、目先ばかりにこだわった民主主義の究極の有様になった。将来を見据え、自分だけじゃなく、自分の子どもだけでもなく、全ての人が幸せに暮らせるようになるには、一人一人がこうした意識を持たねばならないだろう。自分だけがよくてもどこかで行き詰まっていく姿が、この近辺の町の姿に見た。

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