11/13/2012

民主主義と資本主義,相容れるか。一人の票がいかに反映されるかを見守った選挙でした

この町、隣の町、どこでも投票所は一杯でした。
町の新聞に依ると、となり町アマーストはどこも30−60分待ちだったそうです。そして投票結果は,オバマ候補が我が州選出マサチューセッツ州元知事に6倍差をつけ獲得し、さらに全米でも注目されていた上院議員(Senator)も民主党候補,エリザベス・ウオーレン氏が4倍差で,僅差になるかもと予想されていた共和党候補ブラウン氏を破りました。

高い投票率でした。フロリダでは投票終了までに並んでいる人全員が投票出来ないという騒ぎが出て、投票人は怒り狂っていました。民主主義の根幹が保証されないなんて、フロリダ州知事の臨機応変の無さ、決断力に欠いた現場の官僚が批判されています。それに比べ、コロラドや中西部では急遽投票所を教会やモールに作ったとも聞いています。





前回のブログにも書いたが、息子は18高校生の時町役場へいって選挙登録をし、他州の大学で暮らしているから、初めての選挙は不在者投票で早々と済ませた。娘の友人は、大学と実家とどちらが自分の一票に重みが出るか考え、大学のあるオハイオ州は民主党共和党接戦という事で、そちらで選挙登録を済ませました。選挙の始まるぎりぎりまで試験期間前休暇で実家に帰っていたので、選挙期間がはじまると大学のあるオハイオ州まで24時間以上も長距離バスを乗り換え、帰って行きました。

こんな盛り上がりは一部の報道機関では2008年のオバマ初戦の大統領選以上だとも言われています。

またある意味、それ以上に意義がある事だったと報道されていますが、こちらに暮らしてみるとそう実感します。

国が経済破綻しかけている、それを立て直す為にはどうしたらいいか、失業率問題、年金の前倒し、健康保険、などなど資本主義と民主主義がどう相容れていくか,一人一人が問われていたのだと思います。

10/07/2012

米国大統領選のカギとなるか、連邦健康保険制度とそのモデルとなったマサチューセッツ州健康保険制度

大統領選を控え、オバマ現大統領とロムニー候補の公開討論会があった。

日本の多くのメディアが 討論会後の世論調査でロムニーの優勢を伝えている。
ロムニーが以前、州知事をしていたマサチューセッツ州の地元をみるかぎり、必ずしも真実を伝えてはいない。
もともと有力な候補をたてていなかった共和党に対し、オバマ優勢を報道していた米国メディアにあって、今回の討論会で両党候補が接戦になったとは盛んに言われている。


   しかしいくらロムニー候補が討論会の戦法を知り尽くし、なおかつ討論するときの態度や素振り、表現方法がいいからといって、中道派や浮動票が彼を擁する共和党に動くだろうか。討論会のパフォーマンスでどちらが長けているかを判断するのが、今回の討論会の目的ではない。討論会を日常的に目にしている米国の投票者が、上辺だけの討論のパーフォンマンスだけに簡単に心が動くとは考えられないのだが。アメリカの選挙民は日本の選挙民よりもっと真剣に政策に耳を傾け、結果や数字を考慮して投票に臨む。 今日も大学生の息子が、18歳になって選挙登録をし、他州の大学へ行っているので(彼の友人には大学のあるところで選挙登録をしているものも多い)不在者投票の手続きをし、初めて挑む選挙に意気盛んに両候補の政治方針を吟味していた。


*しかし確かにNewsWeek 日本語版の冷泉氏のような意見もある
「(略)こうしたTV討論については、通常は「内容」にはそんなに注目がされる
ものではなく、どちらがミスをしたとか、攻撃が効果的か、防戦はできたかというよ
うな、いわば格闘技のような見方をすることになるわけです。TV討論というのは、そ
れ以上でも以下でもないというのが常識的なところでしょう。」これって選挙民を馬鹿にしていないか。TV討論会聴衆者は確かに論者がミスを犯すとおもしろがるし、揶揄もする。しかし話の内容もしっかり聞く。

ここで討論会の終盤に論じられたオバマ大統領率いる民主党懸案の国民健康保険が現在、どのように現行医療制度で、また税制で扱われているだろうか。

8/15/2012

空港、航空会社比較 マイレージをためるぞの旅 その2


July 17-18 Fin Air: Nagoya – Helsinki 
スリランカから日本に戻り、一週間後には予定通りFin AirとIceland Airを乗り継いで米国への帰路についた。日程を変更してまで日本に残りたかった予定があったが、帰路変更不可の航空券だった事が判明し,そうそうに米国に向かった。ヘルシンキでは郊外にて、世界で恐らく日本人とフィンランド人位にしか知られてないム−ミンに会えるかなと期待しつつ、森を散策したかった。しかし滞在日数が少ないので,とても効率よくできている列車に飛び乗った。森の国フィンランドなら、どこに向かってもすぐ森にぶちあたるだろう。と予想したが到達せず、世界デザイン博をやっている首都ヘルシンキあたりを廻って予定日数2日はあっという間にすぎてしまった。
しかしスニフキンが釣りをしていそうな水辺にはたどり着いたが、帰りのバスが時間通りやってこない。 しかたなく郊外では拾えないと言われていたタクシーで,一路飛行場行きのシャトルバスが出発するヘルシンキ中央駅へ向かった。ヘルシンキ市内には縦横にバス路線が張り巡らされているようだが、今ひとつどの路線でどのバス停かはっきりしなかった。ヘルシンキ空港へ向かうバス路線は2カ所あり、低額な方の市内バスに乗り無事空港へ2時間前に到着。そしてアイスランド空港エキスプレスにて、ヘルシンキよりレクキャビックへ到着。

July 19-20 Iceland Air Helsinki-Reykjavik-JFK

翌日、国際空港からwifiつき大型市営バスで首都レイクキャビック市内に到着。アイスランドもスマフォ普及率はすごい高い。空港内はもちろんバス内も大抵のホテル、安宿のホステルもwifiが使用可だった。
しかし宿は前回とは打って変わって実に不案内なホステルに宿泊。レイクキャビック市内は以前のアイスランド自然踏破の旅に比べ、いかにも退屈な旅となった。噂に聞いたシーフードの店を探し当てたが、予約がないとだめと足蹴にされる。ここは女一人旅、なんか嫌煙されているようだ。さらに2−3軒廻るが、どこも混んでいるか予約なしで受け入れられずなんか、しけた寿司屋にはいって翌朝、ニューヨークへ飛び立つ。朝、早く起きているにも関わらず、予約していた空港へのシャトルバスが全然出発しそうもない、バスの運転手はのんびりしている。こちらはだんだん焦りだし,いつレイクキャビック市内を出発して一時間弱かかる国際空港に行くのかと尋ねると,とても間に合わないと判明。しかたがないから宿にもどって急いでタクシーを呼んでもらって空港へ。北欧では、何事も最低2−3時間の余裕をもって動くべし、しかしまたここらへ戻って来るだろうか。

2012夏・旅ジャーナル わずか一ヶ月で7つの航空会社、JAL系One Worldに怒り、スターアライアンスに勝算

JFK-Iceland -England-Oslo-Helsinki-Nagoya- Tokyo-Kuala  Lumpur -Sri Lanka - Helsinki -Rkajavic -Boston,-Victoria, Canada-Bainbridge Island-Seattle WA-Boston 

June 11  Mega Bus, Long Island Railway, Air Tran: Amherst-NY Manhattan-JFK 
 空港比較をするまえに、まずはグランドトランスポーテーション、空港までの交通手段から。自宅のあるマサチューセッツを出、最近でてきたヨーロッパ系格安長距離バス・メガバス(事前にネットで予約をいれると2−3ドルで普段30−40のバス路線が時間帯によって手に入る)で一日前にNY空港へ向かう。他のグレーハウンドやピ−ターパンバス等の集まるバスターミナル・バスターミナルでなく、SOHOちかくにおろされ、知人にマンハッタンのカラオケボックスへ連れてかれる。いやはやマンハッタンのカラオケはすごい、曲の充実さに驚かされる。日本人のいやアジア人の人口の多さの成せる技か、それともタイムズスクエア、しかもコーリアン通りの近場で韓国系移民の財源の豊かさなのか。とにかくマンハッタンにある3店のユニクロ店、イースト・ビレッジのラーメン、たこ焼き屋台とともに、日本が恋しくなったら車で3時間行き甲斐がありそうだ。などと考えながら、日本行きの旅がアイスランドから始まった。JFK空港までモノレール・エアートレインに乗る。ニューヨーク市長が躍起になって改築をはかる市内を縦横にはしる地下鉄メトロの乗り場と連結している各ターミナル行きのモノレールだ。これはシカゴ空港より、サンフランシスコ空港より、ワシントン空港より、ニューヨークの他の空港(ラガーディア空港、ニューアーク空港)工事中のロス空港より公共交通機関への連結が便利で標識も分かりやすい。


June 12 Iceland Air, JFK- KF , Iceland


 JFK空港から、一路アイスランドへ。国が経済破綻にあい、巻き返しをはかってか、米国のNYではメトロなどあちこちで自然の温泉写真と宣伝されているアイスランド空港に乗り込む。一日に2本もJFK空港ーレイクキャビック空港間を飛んでいる。安価の割にはまずまずの乗り心地とサービス。友人からアイスランド・エアーはあまりに前席とのスペースがないからどこかで訴訟を起こされたと聞いていたが、快適とは言い切れないがほぼ満席にも関わらずさほどの隔たりを感じない。
機内に持ち込もうと思っていた持ち込み手荷物のサイズに収まっている筈の小型スーツケースを預けさせられる。手荷物と飲み物、イヤーホーンは無料だったが、機内食は有料。現地の夜11時半に到着するものの空港の外はまだ明るい。クリフ国際空港もターミナルが大きくない割には 移民ブースも税関チェックも簡潔で私の搭乗した便も他にも何便か同時刻に到着した便も満席だった割には列に並ばず、すんなり深夜12:00入国完了。



June 13−14





ゲートの外には早速ネットで予約しておいた地元のレンタカーのお兄ちゃんが待っていてくれる。感じのよい気さくそうな若者が、ナビの使い方を親切に教えてくれ、空港近くの町のユースまで乗っけてくれる。夜中に着いたというのに、ホステルのおじさんからも親切な応対をうけ気をよくし、日没が12時過ぎ、日の出が早朝3時という白夜になんとか2−3時間眠る。いくらアイマスクをしてもやはり6時以降は眠れない。レンタカーに乗り込み、事前に調べておいたアイスランドの大自然満喫すべくレンタカーのお兄ちゃんやホステルのおじさんに確認しておいた滝、温泉巡りを始める。思いの外、快適な運転にむしろ最初の目的地を通り越していないか不安になものの、2時間で自然自噴水に到着。中国人観光客、ヨーロッパからの観光客の様々な言語を耳にする。そして大瀑布、秘境などの滝、どれも氷河期にできた滝だという。最終目的地のブルーラグーン温泉には営業時間ギリギリに入園しひとときの温泉気分を満喫。やはり日本の温泉とは違う、外には火山の溶岩が広がる露天風呂。広大な自然を利用した湯船に橋がかかり幻想的である。

 しかし多分、湯音は38度位だろうとぬるくて、外気13度位でなかなか湯からあがれない。湯船の真ん中に硫黄分を含んだ白いマッサージパックがおいてあり、そればかり顔全体、体全体に塗りたくる。男女混浴、水着使用なので、日本の温泉気分とは少々違うが、まずますの入浴後のさっぱり感はある。しかし期待していた魚料理は食べられず、喫茶コーナーで硬くなった サーモン寿司をほおばる。これじゃアメリカのスーパーの寿司と変わらないとこぼしながらも、絶景には文句は言えない。
ブルーラグーン温泉からのにち
June 14   Easy Jet KEF Iceland – LOT, England

 帰路ガソリンを満タンにして(イギリスより、日本より、スリランカより高かった、確かエコノミー車で日本円にして1万弱、レンタカーが一日半で5千円以下だったから、オプショナルツアー料金と変わらないが、総走行距離500km、南アイスランドの自然の見所をほぼカバーできた感はある)レンタカーの営業所に車を戻し、またまたお兄ちゃんに空港まで送ってもらって、事前チェックインをiphoneで済ませる筈が、EUパスポートでないので移民局手続きが要るので、チェックインカウンターに行った。アメリカ市民と住民、EUパスポート所持者、その他の外国人と出国もパスポートチェックが航空会社カウンターの他にも受ける。カウンターでは持ち込み規定サイズにスーツケースのハンドル分オーパーといわれ30ユーロ拠出。そして機内はまたしても満席。もちろん安価航空券なので食事も飲料も有料、しかも座席も早いもの順である。またランウェイに待機している飛行機まで歩きタラップを上らされる。




June 14  Eco Bus LUTON-London
初めてのルートン空港、でも入国は同じロンドンの悪評高きヒースロー空港より手軽だった。ロンドンには五つもの空港が点在するのには感心。搭乗する航空会社、路線によって分かれロンドン市内空港、ルートン空港、ヒースロー空港、スタンステッド空港、ガトウィック空港とロンドン近辺によく建てたもんだ。市内から一番離れているようだ ルートン空港から頻繁にでているロンドン市内ビクトリア駅行きのバスに乗り込む。ルートンからのバスはいくつもあって何度も何度も人に確認しながら乗り込む。誰もがロンドン人じゃないんだから。もう少し親切なサインが欲しいものだが。バスの中はアイスランドの市営バスのごとくwifiがない。しかし1時間ほどでロンドン市内あちこちで乗客をおろしながら最終目的地ビクトリア駅に到着。バタシー公園まで徒歩だったがここら近辺はアラブ、南アジアの住民、学校帰りの子が多いのに目をひく。

テームズ川沿いのロンドンでの目的地に到着すると、いきなり記念式の準備を手伝って欲しいと言い渡される。ミュージカル、マイフェアレディーの舞台、コベントガーデン卸市場に早朝3時には入場していないと朝4時頃に店じまいを始めるというのはどうも事実だと、3時半頃についてどんどん店じまいを始めている花屋の卸業者に冷たくあしらわれながら思う。花を片っ端からこれとこれとと注文していかないと、次から次へと巨大冷蔵庫に生花が収納されていってしまう。大口客でもなく年に一度だけ訪れる私たちは片付けている端から、程よい色合いと花弁の大きさ,茎の高さを選んでいかねばならない。
コベントガーデンの花市場
サーモンビンク、オレンジ、淡い黄、緑、紫、深紅、エメラルドブルー、と考えられる色が所狭しと通路を挟んで、こちらの業者あちらの業者と並んでいる。客を呼び込むわけでも、売り込むわけでもない。決まった顧客に売って、ときどきこうして飛び込み客を相手にする位で、オードリヘップバーンばりの女の子が花束片手に躍り回っているわけではもちろんない。そして朝4時ちょっとすぎにはもう市場を後にする。対面の野菜売り場はこれから始まるのだろう。しかしもう
車に野菜、果物を入れるスペースはない。
June 16  Oxford UK 
一般に閉ざされたオックスフォード大
オックスフォードに住む旧友がロンドンまで迎えに来てくれて、車で一時間ほど西北へ。早速、夕方オックスフォード市内を観光案内してくれる。そこでまず大学の閉塞さにアメリカの大学との違いを感じる。アメリカではどんな大学でもキャンパスには簡単に入れ、ハーバード大でも何でも観光ができる。ただコロンビア大などマンハッタン内にある大学は学生証カードがないと自由に図書館は入れないが、教室やカフェテリアにはカードがなくても入室出来る。しかしオックスフォード大はそれも無理との事。どこで夕食を食べたいかと尋ねられ、大学食堂と応えたがあっさり却下される。J.R.R. Tolkien や C.S. Lewis , W Yatesの通ったバーや、大学図書館を外観だけ眺める。私たちが訪れた1−2日後にビルマの自由の旗手アウン・サンスー・チーが自宅監禁されて死に目に会えなかった夫との母校、オックスフォード大を訪れたニュースを見る。そこではオックスフォード大は誰にも開かれたように映っていた。


June 17-18   Rent-a Car: Miltonkeynes-Rollrite-Aveburry-Stonehenge-London UK 
新興工業都市ミルトンキーンズを訪れ地元の人々、日系人、インド、スリランカ系の移民や仏教徒が文化活動を披露していたが少し休憩。この町はもともと工業都市として開発されたおり、市当局からそこに日本庭園と平和塔を建立してほしいと依頼されたそうだ。この地を27年前に訪れた時とすっかり様相がかわり、市の景観と庭園、池、平和塔が妙になじんでいるのが興味深い。

地元イギリス人と楽しくかつ深い話で盛り上がったお疲れさん会に参加し、後始末をしながらも交流した翌朝、レンタカー会社に行って予約しておいた車に乗り込む。いかにも簡単な道順だが、この「ラウンドアバウト(ロータリー)」はいただけない。見知らぬ土地でもかなりの度合いで迷わない、土地勘というよりお天道様さえあれば自分がどこに居るか認識出来ると自認していたが、ロータリー内で急に標識が消える英国の道にはとうとう一日中、なじめなかった。フランスを訪ねていた娘の友達と父親がイギリスへ寄るというので一緒に観光する事になり、レンタカー営業所から10分の駅まで迎えにいくつもりが、予約しておいたナビがレンタカー会社の営業所から出払い、悪びれず代わりにこれ使えと使い古された地図帳をもらう。地図も詳細は掲載されていなくて、同乗者と四苦八苦して見つけた駅に1時間後に辿り着く。ロータリーを廻っているうちに方向感をなくしてしまったようだ。それでも地図帳で大体の位置を掴み、ナビもないのでどの道を通っていいかを予測しつつ進む。何度も戻り、違う経路を見つけだし、たどり着いた最初の目的地は大人の熊から小熊の大きさの岩で構成された、直径30m強のストーンサークル。
Rollriteのストーンサークル 
私たち4人は好きな岩を探して思い思いに抱いてみる。次の目的地はAveburry, こちらは一つの岩がヒト4人以上が楽に入る大きさで、ストーンサークルそのものも直径300m以上が螺旋状になっており、間にちょっとした集落まである。さらに付近には古墳のような丘があった。そしてストーンヘンジへと急ぐが、高いフェンスと周囲にはチェーンがあって、近づけない、岩に触れられない。何も感じられない。Rollriteでは磁場が高いせいかサークルの周りではコンパスが使えないが、サークルの中心でピタッとコンパスは北を指した。

Aveburryのストーンスパイラル
時は夏至の数日前、多少ずれがあるが、かなり正確な北をサークル30m直径の中心で指していたと思う。そしてAveburry ではダウジングを持ち歩いて磁場の高いところを探していた女性に遭遇する。私たちが彼女に近づくと多少短めの彼女のダウジング銅棒が交わってしまうほどの磁場の高さを表していた。
最後のストーンヘンジで出会ったのは、物々しい警備と夥しい観光客だった。そしてロンドンまでの帰路に着く。またまたロンドン市内で迷うこと一時間,途中同乗者を訳の分からないメトロ駅でおろして、無事宿泊先に到着。 


7/23/2012

坂口安吾の「日本文化私観」を読みながら、スリランカの旅はつづくSri Pada Journal II

スリランカの旅は続く、

家族全員iphoneを携帯してスリランカの古代遺跡と仏教遺跡を廻った。
娘たちはiphoneから70年代以降の音楽をカーステレオで流したり、ラジオで地元の音楽を聴いたり、息子はiUniversityで英国や米国の有名大学の講義を聴き、私と仏教僧は日本のiBunko青空文庫書棚より、著作権の切れている日本の書物をネットで貪り読んだ。技術進化によって旅のスタイルは変わった。ビートルを聞きながら、シリギリヤ遺跡の標高500m以上もある岩山を目前に、道なきジャングルを砂嵐をあげながら軽自動車で走り回った。それもほとんどが数年前までは考えられない旅行者が狙われていた内線地であった。



マレーシアでも、スリランカでも日本より無料ネットアクセスWiFi が、ある程度のホテルカフェにあるので、それらに停車するたび音楽や書物をダウンロードして聞きまくり、読みまくった。ネットアクセスがないところでは、スリランカの書物、仏教書籍を手にホテルで、車内で読書を楽しんだ。時には地元の人に呼ばれて家や寺院を訪ね、お茶や飲食をごちそうになることもあったが、24年前と分と様変わりし、心の有り様も、遺跡の見方さえ変化した旅となった。

現地で勧められた日本の作家の書物に坂口安吾の「日本文化私観」があった。下記の文章が妙に訴えかける。「タウトが日本を発見し、その伝統の美を発見した事と、我々が日本の伝統を見失いながら、しかも現に日本人であることの間にはタウトが全然思いもよらぬ距りがあった。ー略ー我々は古代文化を見失っているかも知れぬが、日本を見失う筈はない。ー略ー湾曲した短い足にズボンをはき、洋服を着てチョコチョコ歩き、ダンスを踊り、畳をまくって安物の椅子、テーブルにふんぞり返って気取っている。それが欧米人の眼から見て滑稽千万である事と、我々自身がその便利に満足していることの間には、全然つながりが無いのであるあ。我々が彼らを憐れみ笑う立場と我々が生活しつつある立場には根底的に相違がある。我々の生活が正当な要求にもとづく限りは彼らの憫笑がはなはだ浅薄でしょうがないのである。」

確かに24年前スリランカを訪問したときより、サリーを着ている女性は少なくなった、南スリランカではむしろイスラム正装の女性が目だった。また都市部の住宅は近代化され、彼らの携帯電話使用率はアメリカのそれと、日本のそれを超えるとさえ思える。聖地に来て、お詣りの最中にも老いも若きも携帯を離さない。私たち外国人の旅行者がスリランカの伝統とはと語る資格はおそらく無いに等しい。
しかし伝統も現代の技術も混在しているスリランカを日本と同様、そのまま受けとめたい。

さらに坂口は続ける「力士の儀礼が国技館を圧倒しても、伝統の貫禄だけで力士が永遠の生命を維持するわけにはゆかない。貫禄を維持するだけの実質が無ければ、やがては亡びる外に仕方がない。」と言っているが、スリランカの仏教遺跡を巡り、人々の篤き信仰を目の当たりにすると、彼のことばに頷ける。いくら多くのスリランカの人々が、ヒンズー寺院で、仏教寺院で携帯電話を祈りの間でも離さなかったとしても、かれらの信仰の篤さは想像を絶する。それはまったく違う形、奴隷として人民の労働力を枷に作り上げたエジプトのピラミッドとは、趣を異にし、その前には何者も圧倒されるであろう。とアナダナプーリの直径、高さ100mを超す、仏塔を前に膝間づきながら思う。

to be continued.

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7/19/2012

Sri Lanka スリランカ 仏足山の月は語る


Galle, Sri Lanka

仏足山の月は語る
 
今夏 夫と成人前の息子と娘と日本で落ち合って スリランカへ佛教遺蹟を巡礼した。
スリランカへ発つ前に、「何故スリランカなのか」と問われても返答のしようがなかったが、今帰路に着き本当に来て良かったと実感する。
いつも自分のスケジュールは自分で立てるからと親の干渉に贖う子供らも  今回のスリランカ行は素直に従った
地元の仏教僧の案内で一枚岩の山を上ったり、つい一年前までとくに旅行者は足を踏み入れられなかったない地へ家族で回った。
海抜2200mにそびえ立つ聖山に暗がりの中登頂したり、小さなスズキのレンタカーにのって、未舗装の道を膝を抱え、荷物に潰されそうになりながら何日も揺れ続けた。
九州と四国を足した面積の島国を南は数千年以上も前から栄えた王朝があったゴールから 
北は仏教の聖地 スリランカ版竜宮城のナガディバ島まで走行距離2000kmを一週間半で走り抜いた。
 
私も夫も それぞれ1988年の平和行脚と奉仕活動や、1991年北インドのチベット仏教盛んなラダックへ来た際にランカへも来ている。また家族では  2004年のクリスマスに来る予定だったが直前 乗り継ぎ空港で津波のニュースを聞き、入れなかった地であった。
 
コロンボ空港に降り立つとそこは、もう20数年前のスリランカの様相からすっかり変わった近代空港になっていた。客の風貌も完全burkaに身を包んだイスラム教徒の母親が子どもを何人も従え闊歩しているかと思えば、中国人の子供の団体が我が物顔でゲートを乗っ取っていたり、 最近世界中の空港で見かける韓国人女子大生グループ旅行者や  ロシア人グループと、20年前のスリランカよりずっと多彩になっていた。しかも空港に降り立ってすぐ、スマフォでネットが使用できた。
電化製品の免税店が空港内を所狭しと軒を並べている。ネットで予約しておいたスリランカのレンタカー会社から迎えがきていたので、家族4人日本の予約した軽自動車に乗り込んだ。
空港から出ると 失礼ながら予想以上に様変わりした空港での驚きとは裏腹に  外は 25年前と寸分変わらぬスリランカの街の姿と喧騒があった。タイやインドではリキシャとかトゥクトゥクと呼ばれるオート三輪車が右往左往し  その間を3-4人乗りでオートバイが隙間を縫うように走り去って行く
近代空港と数百年いや数千年変わらぬスリランカの街並が混在していた。  to be continued, 
 
 
ゴールのお寺、1880年n欧米人で最初に五戒を授かった
古代仏教遺跡に地元の仏教尼の団体も登頂
Sri Pada, 仏教僧が通ると少女が家から出て来て挨拶をする
インドネシア沖地震の津波で倒壊された学校の復興後、
旅の加護を祈って

  Sri Pada, Maskelya, Sri Lanka





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5/28/2012

先生、77歳でご退官、ますますご活躍を







先週、昨年まで学んでいた大学院の教官先生の退官記念フォーラムがありました。77歳にして、ますますご活躍の恩師の姿を拝見し益々頭が下がりました。世界中の大学から諸先生方のお祝や論文発表を伺い、先生の長年のご努力や功績をさらに間見ることができました。数十年も世界中を飛び回り寸分惜しまず研究され、水泳も欠かされないことで健康を維持されていたんですね。自分を律する先生の跡についていければと願わずにはおれません。


4/13/2012

日米の税制のちがい? ソーシャルセキュリティー番号とは?

一月ほど前に、米国確定申告をEファイルした。

毎年ソフトウエアー会社から、今年の税制を盛り込んで修正したソフトは要りませんかと
無料でTurbo Taxなど送られてくる。(連邦政府への申告ファイルは無料だが、各州税務局への納税は有料、よって州も電子申告したい場合は、そのファイルをいれた後、州をネットで選択して注文)。

今年はその外にも、一昨年2010年の連邦政府への確定申告に修正が必要と昨年末に通達されたので、それを60日の期限内にPast Taxというソフトを使用して2月上旬に提出していたから、そちらからも割引ソフトが来ていた。

どちらか迷った末、2010年の1月末に提出したものと同じTurboを今年も使用した。

まず、ここで米国の納税期限を紹介しよう。
前年度の確定申告の期限は連邦政府へは毎年3月15日前後、そして州政府へは4月15日前後になる。しかし今年は連邦政府への申告期限が4月の中旬に食い込んだ。

かといって大学や私立の高校へ授業料の助成、エイドを申請する場合、もしくは(新しく導入された米国健康保険制度のもとで保険請求をする場合も、家計を報告する義務があり、そうした場合はそれぞれの機関へ家計の報告として確定申告書を提出することが求められており、それらへの期限が実質確定納税申告の期限になる。


自営のみでなく、雇用されているものでも雇用主が、従業員の代わりに税務署へ各人の申告を肩代わりするわけではない。夫婦としての共同申告、もしくは夫婦でも独り者でも個人申告を選択して申告する。それは、各家庭の収支を報告する税金申告には 給料明細の他に、各家庭で銀行、証券会社、保険料、不動産固定資産税などを申請したり控除が発生し、それらを含めた収支を申告しなければ行けないからであろう。雇用主が従業員の給料は把握していても、個人にかかる預金や証券、保険等の動産や、不動産所有は各自でつかんではいない。


3/27/2012

脳の刺激、それともボケ防止のため

中学高校、大学生の子供たちの過去とった講義のノートや自作の教科書、レポートを整理していると下記のようなものが出てきた。その中でも面白そうなものを引っ張りだすと、
「フェボナッチ理論」「シュロディンガー猫と量子力学、平行にある現実』
ちょうど、思考を司る部分の脳が退化してきたのだろうか、と思うような出来事が頻繁し、
記憶力も衰えたかと思える日常を過ごしていたので、こんなことを考えてみると面白いかもと、自身へのメモとしても皆さんへのチャレンジとしてもここで紹介したい。

もともと「ソフィーの世界(哲学の歴史のざっと紹介)」のオーディオ本を聞き始めたのが、そもそもの始まりだった。哲学やこうした理論は、それまでの私にとって、論を論で打ち負かすための手段だったり、思考にチャレンジして時間を無駄にし、頭を空回りさせるだけのものと考えがちだった。しかしこうした理論を理解しよう、その理論の視点を実生活で応用しようとしてみるのも、おもしろい。こうした理論に触れることで、思考力の柔軟性がうまれ、物事をある側面から見ようと試みたり、統合的にみるのは己を見つめることにも十分応用できるし、世界への目の向け方もかわるような気がしてきた。人との関係にも影響し、さらには生活の中で問題に面したときにも、物事の見方がふえるのは解決方法も増えることにもなると考えるようになった。

まずは
フェボナッチ理論(数学から建築、音楽、生物等に応用)

3/11/2012

東日本震災あれから1年を迎え、未来に希望を残したいと霊前で誓った。


ボストンのジャパンソサエティーから以下の電子カードが送られてきた。

たしかに犠牲者の数を見ると夥しい、夥しい原発事故のことを勘定にいれれば、もっと多くの命が今でも危険にさらされているだろう。それを思うと、胸が締め付けられる。

震災一回忌なので、お線香と草餅を作りみ霊に慰霊の祈りを捧げた。今でも福島の方、近辺の方はとても不安な中日々を、暮らしておられるだろう。震災で直接命を絶たれなくとも、放射能がすぐに健康に影響を与えなくとも、不安な中での暮らしは病を併発することも多いに考えられる。とくに老いた方や子供には、こうした不安の中でどうすれば生きる糧となる希望をあたえられるだろうか。

私たちは未来の世代に何がのこせるのか、年金も前倒し、空気や土壌といった生活
環境も決して安全といえず、海産物も不安だ。そんな中で暮らしていかねばならない
未来の世代に私は謝りたい。
そしてもっと人を信頼すること、自分にも人にも慈しみと愛情がかけられる世の中にしていかねば、そう希望がもてる暮らしを設計していける社会にどうすればよいか。政治家や企業に怒りを表してばかりいても、前には進めない。個人として、また社会の一員としての家族や個としてなにが寄与出来るか考える機会を得た。

Tohoku, Japan 


19,057 Lives lost


26,992 people severely injured


129,101 houses totally destroyed




THEY SHALL NEVER BE FORGOTTEN . .




2月はあっという間にすぎていった。一月の終わりに福島の農家、大内さんからご連絡をいただいた。夏に福島へ留学生を迎えにいったおり、お宅へお邪魔して、おいしい梨をごちそうになった果樹園農家の方だ。

ここモンタギューの地元、バーモント州ヤンキー原発の風下農家が福島の農家と連帯したいと希望され、そのお手伝いを引き受けたこともあって、大内家に招待をうけた。大内さんの他、一緒に土壌改良を試行錯誤されている農家の方や、NGOの技術者として福島入りした人、そうした農家の方を記録映画にとアメリカからやって来たスタッフにお目にかかった。バーモント州の農家は共通の懸案事項、土壌改良について意見交換をしたい、チェルノブイリで既に成功例をおさめている鉱石を利用した土壌改良の提案をしたいとのことだったので、 それらを皆さんに伝えたにとどまった。一方、農業以外のことで、大内さん夫婦共々シュタイナー教育や、自然の恵みと霊性などと私と共通の興味があり、語り明かした。

今回は、大内さんが国連で日本の女性NGOグループとしてご自身の被災の経験、福島の現状、さらにご自分たちの農園の土壌改良の試みをスピーチをされるとのこと、せっかくNYへ行くのだから、ぜひ地元の人々と交流したいということで連絡をうけた。

早速、彼女のプロフィールを作り、大内さんらが10年来試されている微生物刺激菌を
利用しての土壌改良の話を バイオダイナミック農法や土壌作りを小中高生に教えている我が校の農業指導の先生に話したら、学校にも彼女を呼んでぜひ話してもらおうということになった。

驚いたことに大内さんらの農園では土壌の線量がたかくても、作物にはガイガーカウンターで線量が検出されなかったという例が検証されている。微生物が放射線の中に含まれているセシウムを食べてしまうようだ。こうした試みが本年から県のモデル農家に指定されたそうだ。そういったことをふまえて、『Hope from Fukushima〜福島の大地より希望を』と題して講演を計画した。直前になって大内さんのご家族が倒れられ来れなくなったが、そのまま彼女たちの農業活動や、消費者との交流を記録映画にした映画制作者をよんで、会はNew Jersey, Massachusetts州と4カ所で開催した。結果、思いもよらぬ反応があった。

1/14/2012

キング牧師の最後のスピーチ「Mountaintop」スピーチ

明日はキング牧師の誕生日にちなんで米国は祝日になります。
キング師の’I have a dream' はあまりにも有名なスピーチですが、彼が暗殺で倒れる前日
、体調を崩して演説の代打をたてていたのに、集まった人数があまりに多いからと、急遽原稿なしで、テネシー州メンフィスのゴミ清掃員のストライクにおいてスピーチしました。そしてこれが最後となりました。



このスピーチは今のOWSを思わせます。キング牧師は1968年ベトナム戦争に巨額の税金が使われていることを指弾し、すぐさま'Poor People's Campaign'(貧民大キャンペーン)を展開します。これは現在の米国や世界の若者を中心とした金融街占拠に通じると考えさせられます。


そこへ1963年ジョンFケネディー大統領の暗殺がおこり、65年には最終的にキング牧師と手をつないで市民権運動を進めて行こうとした矢先にマルコムXが暗殺され、さらに68年に、憲法の保証する言論の自由の権利、印字の権利など合衆国政府の弾圧は自国の 憲法違反だとして、戦争問題と貧困問題を指弾したキング牧師も暗殺されました。そして69年にこのキング牧師に「アメリカ中の貧者をDCに集めては」と提案していたケネディー大統領の兄、ロバート・ケネディー上院議員も暗殺されます。


キング牧師最後のスピーチでは暴力に訴えるのではなく、経済産業界に消費者である市民に公平な扱いをするように求めました。60年代に今でも米国を蝕む産業界の不平等、経済社会の不均衡を、すでに指摘していたのでしょう。これらを是正するにはある程度の自己犠牲をも甘んじて払わなくてはいけないといっています。

 unconstitutional injunction. All we say to America is, "Be true to what you said on paper." somewhere I read of the freedom of assembly. Somewhere I read of the freedom of speech. Somewhere I read of the freedom of the press. Somewhere I read that the greatness of America is the right to protest for right. And so just as I say, we aren't going to let any injunction turn us around. We are going on.

We need all of you. And you know what's beautiful tome, is to see all of these ministers of the Gospel. It's a marvelous picture. Who is it that is supposed to articulate the longings and aspirations of the people more than the preacher? Somehow, the preacher must say with Jesus, "The spirit of the Lord is upon me, because he hath anointed me to deal with the problems of the poor."

We don't have to argue with anybody. We don't have to curse and go around acting bad with our words. We don't need any bricks and bottles, we don't need any Molotov cocktails, we just need to go around to these stores, and to these massive industries in our country, and say, "God sent us by here, to say to you that you're not treating his children right. And we've come by here to ask you to make the first item on your agenda fair treatment, where God's children are concerned. Now, if you are not prepared to do that, we do have an agenda that we must follow. And our agenda calls for withdrawing economic support from you."
 
Let us develop a kind of dangerous unselfishness.危険を伴う自己犠牲の行為
One day a man came to Jesus; and he wanted to raise some questions about some vital matters in life. At points, he wanted to trick Jesus, and show him that he knew a little more than Jesus knew, and through this, throw him off base. Maybe they felt that it was better to deal with the problem from the causal root, rather than to get bogged down with an individual effort.

キング牧師は、不買い運動、ストライキなどは危険を伴う自己犠牲の行為が必要だとしています。現在、ウオール街を占拠している人々は、少しもよくならない経済の低迷を政治のせいにし、自己の生活を替えようとはしていないでしょう。自分の生活も見直す必要があると、今日改めてこのピデオをみて自分を諌めました。

1/08/2012

年末、年始ニューヨークとボストンで過ごす。個性の反映した旅のあり方?

辰年の年頭におきまして、初春のご挨拶申し上げます。
今年はマクロなビジョン大局的な視野に立ち、地産地消に加え足下からの平和を打ち立てていければと抱負をたてました。どうなることでしょう。辰年ですから、舞い上がりやすい私ですが、地に足をつけられるでしょうか。


私達夫婦は、まったく対照的な旅の過ごし方をします。
私は日本人によくありがちに、まず初めての土地へ行ったら、事前に、もしくは到着した空港で集めたガイドを眺めて、行きたい場所やレストランをチェックをして行きます。

観光地だったり、美術館だったり、はてはネットで見つけた穴場だったりします。

仕事でいっても、仕事の後にしっかり観光やおいしい穴場を必ずチェックします。
お金をかけて現地まで行ったのだから、その分、元をとろうとするのが魂胆です。

最近「いつもパワフルで」と、年賀のコメントやfacebookでよくささやかれておりますが、自身は「そんなにパワフルにあちこち動き回っているように見えるかな」と首をひねってもおります。いつも自然体でいるつもりなのに、その私の自然体こそがあちこち駆け回っていることに気づかされもします。

しかし夫はのんびりするために旅行するので、 欲張りにあちこち回ろうとはせず、気が向いたら観光でも穴場でも回ろうかというスタンスです。

この年始、年末は我が家に来ていたオーストラリアからの留学生とNY、ボストンへ泊まりがけで行って来ました。これら車で2−3時間の街には、いまではよく日帰りで食料品買いに出かける位です。

今回のNYとボストンは、留学生の希望通り動こうと予定を組まず、家族4人プラス留学生で出かけました。事前の用意は、宿の手配とブロードウェイショーのチケットを手に入れた位でした。

 これがオーストラリア人や娘、息子、夫の旅の過ごし方です。
せっかくクリスマスにNYへ来たからと、ゴスペルをハーレムの教会で聴こうと誘っても反応なし。

ではクリスマスの時期に有名なロックフェラーセンター前のアイスリンクでスケートをしようとしても、ヨーロッパやアジア諸国の観光客が黒山の人だかり、5番街から リンクのあるロックフェラーセンターまで身動きできないお上りさんの長蛇の列で「またにしよう」とすぐあきらめます。

結局、世界一の舞台の広さを誇るメトロポリタンオベラ劇場まで行っても、しかもその有名なオペラ劇場の全面に掲げてあるシャガールの特大絵画もカーテンがかかっていて見れずに、また肝心なオベラも観ずに近くのリンカーンセンターで映画を観ることになりました。これもチケット売り切れで、またとぼとぼ人ごみにもまれながらカーネギーホールやNBCテレビ スタジオ横を通ってブロードウェーを歩いてとぼとぼホテルへ帰ってきました。それでも、わざわざオーストラリア組んだリから来たのだから、せめてNYのアイコン、タイムズスクエアーの劇場街を歩いても、2−3枚「ライオンキング」「メアリーポピンズ」を演じている劇場で写真をとって、さっさと人ごみを避けホテルに帰って来る始末

それでも、翌日は娘たちテイーンエージャーの好みそうなブランドの店がならぶ、SOHOに出かけ、セントラルパークを歩いてメトロポリタン美術館へ繰り出しました。でも、館内はヨーロッパのお上りさんばかりで混んでいたので、早々に出てきました。

エンパイヤーステートビルより混んでおらず、眺めのいいといわれるロックフェラーの最上階から夜景を見たり、

ジョンレノンとヨーコが住んでいた「ダコタハウス」マンションと横にあるセントラルパーク内のジョンレノンの哀悼碑「ストロベリーフィールド」を回ったり

ワールドトレードセンター跡を周り、すっかり観光地化したウオール街占拠デモが散らされた跡を見学しました。

自由の女神の島へ行くには身分証明書がいるのに、パスポートを忘れてしまったので対岸のバッテリー公園で自由の女神を眺め帰って来ました。しかし肝心の女神は、向こう向いてお尻だけでしたが。



こうやって列挙すると、やはりあちこち連れて行ったなと思いもしますが、その時はあれも連れて行けなかった、これも連れて行ってあげたかったとの思いが募るばかりでした。



「せっかく」行ったメトロポリタン美術館も人が多くてすぐ出て来てしまったし。他の美術館や、クロイスター屋外彫刻展だの、現代美術館MOMAだの、国連本部の本会議場や、アメリカ移民史の要、エリス島や、インディアン博物館なども見せたかった。

しかしそれらは私の見せたいと云う思いでしかありません。
オーストラリアからの留学生はそれを望んでいなかったでしょう。


年明けて、いよいよ交換留学最後の日はボストンへ繰り出した。が当日は海風が身にしみる寒さで、結局クインシーマーケットに繰り出しただけでした。オーストラリアにいる両親が新婚旅行でやってきて、よく話を聞かされたボストン市内の今はアラブ商店街になった地区のオイスターバーに、土産話に行っただけでした。そこで生ガキに舌鼓をうってホテルへ早くも直行。それでも翌日朝早く発つため、予約した空港近くのホテルからは、きれいなボストン港と市景が夕日に映えていました。
そして、
彼女はどんなアメリカをもって帰ってくれただろうか。