2012夏・旅ジャーナル わずか一ヶ月で7つの航空会社、JAL系One Worldに怒り、スターアライアンスに勝算

JFK-Iceland -England-Oslo-Helsinki-Nagoya- Tokyo-Kuala  Lumpur -Sri Lanka - Helsinki -Rkajavic -Boston,-Victoria, Canada-Bainbridge Island-Seattle WA-Boston 

June 11  Mega Bus, Long Island Railway, Air Tran: Amherst-NY Manhattan-JFK 
 空港比較をするまえに、まずはグランドトランスポーテーション、空港までの交通手段から。自宅のあるマサチューセッツを出、最近でてきたヨーロッパ系格安長距離バス・メガバス(事前にネットで予約をいれると2−3ドルで普段30−40のバス路線が時間帯によって手に入る)で一日前にNY空港へ向かう。他のグレーハウンドやピ−ターパンバス等の集まるバスターミナル・バスターミナルでなく、SOHOちかくにおろされ、知人にマンハッタンのカラオケボックスへ連れてかれる。いやはやマンハッタンのカラオケはすごい、曲の充実さに驚かされる。日本人のいやアジア人の人口の多さの成せる技か、それともタイムズスクエア、しかもコーリアン通りの近場で韓国系移民の財源の豊かさなのか。とにかくマンハッタンにある3店のユニクロ店、イースト・ビレッジのラーメン、たこ焼き屋台とともに、日本が恋しくなったら車で3時間行き甲斐がありそうだ。などと考えながら、日本行きの旅がアイスランドから始まった。JFK空港までモノレール・エアートレインに乗る。ニューヨーク市長が躍起になって改築をはかる市内を縦横にはしる地下鉄メトロの乗り場と連結している各ターミナル行きのモノレールだ。これはシカゴ空港より、サンフランシスコ空港より、ワシントン空港より、ニューヨークの他の空港(ラガーディア空港、ニューアーク空港)工事中のロス空港より公共交通機関への連結が便利で標識も分かりやすい。


June 12 Iceland Air, JFK- KF , Iceland


 JFK空港から、一路アイスランドへ。国が経済破綻にあい、巻き返しをはかってか、米国のNYではメトロなどあちこちで自然の温泉写真と宣伝されているアイスランド空港に乗り込む。一日に2本もJFK空港ーレイクキャビック空港間を飛んでいる。安価の割にはまずまずの乗り心地とサービス。友人からアイスランド・エアーはあまりに前席とのスペースがないからどこかで訴訟を起こされたと聞いていたが、快適とは言い切れないがほぼ満席にも関わらずさほどの隔たりを感じない。
機内に持ち込もうと思っていた持ち込み手荷物のサイズに収まっている筈の小型スーツケースを預けさせられる。手荷物と飲み物、イヤーホーンは無料だったが、機内食は有料。現地の夜11時半に到着するものの空港の外はまだ明るい。クリフ国際空港もターミナルが大きくない割には 移民ブースも税関チェックも簡潔で私の搭乗した便も他にも何便か同時刻に到着した便も満席だった割には列に並ばず、すんなり深夜12:00入国完了。



June 13−14





ゲートの外には早速ネットで予約しておいた地元のレンタカーのお兄ちゃんが待っていてくれる。感じのよい気さくそうな若者が、ナビの使い方を親切に教えてくれ、空港近くの町のユースまで乗っけてくれる。夜中に着いたというのに、ホステルのおじさんからも親切な応対をうけ気をよくし、日没が12時過ぎ、日の出が早朝3時という白夜になんとか2−3時間眠る。いくらアイマスクをしてもやはり6時以降は眠れない。レンタカーに乗り込み、事前に調べておいたアイスランドの大自然満喫すべくレンタカーのお兄ちゃんやホステルのおじさんに確認しておいた滝、温泉巡りを始める。思いの外、快適な運転にむしろ最初の目的地を通り越していないか不安になものの、2時間で自然自噴水に到着。中国人観光客、ヨーロッパからの観光客の様々な言語を耳にする。そして大瀑布、秘境などの滝、どれも氷河期にできた滝だという。最終目的地のブルーラグーン温泉には営業時間ギリギリに入園しひとときの温泉気分を満喫。やはり日本の温泉とは違う、外には火山の溶岩が広がる露天風呂。広大な自然を利用した湯船に橋がかかり幻想的である。

 しかし多分、湯音は38度位だろうとぬるくて、外気13度位でなかなか湯からあがれない。湯船の真ん中に硫黄分を含んだ白いマッサージパックがおいてあり、そればかり顔全体、体全体に塗りたくる。男女混浴、水着使用なので、日本の温泉気分とは少々違うが、まずますの入浴後のさっぱり感はある。しかし期待していた魚料理は食べられず、喫茶コーナーで硬くなった サーモン寿司をほおばる。これじゃアメリカのスーパーの寿司と変わらないとこぼしながらも、絶景には文句は言えない。
ブルーラグーン温泉からのにち
June 14   Easy Jet KEF Iceland – LOT, England

 帰路ガソリンを満タンにして(イギリスより、日本より、スリランカより高かった、確かエコノミー車で日本円にして1万弱、レンタカーが一日半で5千円以下だったから、オプショナルツアー料金と変わらないが、総走行距離500km、南アイスランドの自然の見所をほぼカバーできた感はある)レンタカーの営業所に車を戻し、またまたお兄ちゃんに空港まで送ってもらって、事前チェックインをiphoneで済ませる筈が、EUパスポートでないので移民局手続きが要るので、チェックインカウンターに行った。アメリカ市民と住民、EUパスポート所持者、その他の外国人と出国もパスポートチェックが航空会社カウンターの他にも受ける。カウンターでは持ち込み規定サイズにスーツケースのハンドル分オーパーといわれ30ユーロ拠出。そして機内はまたしても満席。もちろん安価航空券なので食事も飲料も有料、しかも座席も早いもの順である。またランウェイに待機している飛行機まで歩きタラップを上らされる。




June 14  Eco Bus LUTON-London
初めてのルートン空港、でも入国は同じロンドンの悪評高きヒースロー空港より手軽だった。ロンドンには五つもの空港が点在するのには感心。搭乗する航空会社、路線によって分かれロンドン市内空港、ルートン空港、ヒースロー空港、スタンステッド空港、ガトウィック空港とロンドン近辺によく建てたもんだ。市内から一番離れているようだ ルートン空港から頻繁にでているロンドン市内ビクトリア駅行きのバスに乗り込む。ルートンからのバスはいくつもあって何度も何度も人に確認しながら乗り込む。誰もがロンドン人じゃないんだから。もう少し親切なサインが欲しいものだが。バスの中はアイスランドの市営バスのごとくwifiがない。しかし1時間ほどでロンドン市内あちこちで乗客をおろしながら最終目的地ビクトリア駅に到着。バタシー公園まで徒歩だったがここら近辺はアラブ、南アジアの住民、学校帰りの子が多いのに目をひく。

テームズ川沿いのロンドンでの目的地に到着すると、いきなり記念式の準備を手伝って欲しいと言い渡される。ミュージカル、マイフェアレディーの舞台、コベントガーデン卸市場に早朝3時には入場していないと朝4時頃に店じまいを始めるというのはどうも事実だと、3時半頃についてどんどん店じまいを始めている花屋の卸業者に冷たくあしらわれながら思う。花を片っ端からこれとこれとと注文していかないと、次から次へと巨大冷蔵庫に生花が収納されていってしまう。大口客でもなく年に一度だけ訪れる私たちは片付けている端から、程よい色合いと花弁の大きさ,茎の高さを選んでいかねばならない。
コベントガーデンの花市場
サーモンビンク、オレンジ、淡い黄、緑、紫、深紅、エメラルドブルー、と考えられる色が所狭しと通路を挟んで、こちらの業者あちらの業者と並んでいる。客を呼び込むわけでも、売り込むわけでもない。決まった顧客に売って、ときどきこうして飛び込み客を相手にする位で、オードリヘップバーンばりの女の子が花束片手に躍り回っているわけではもちろんない。そして朝4時ちょっとすぎにはもう市場を後にする。対面の野菜売り場はこれから始まるのだろう。しかしもう
車に野菜、果物を入れるスペースはない。
June 16  Oxford UK 
一般に閉ざされたオックスフォード大
オックスフォードに住む旧友がロンドンまで迎えに来てくれて、車で一時間ほど西北へ。早速、夕方オックスフォード市内を観光案内してくれる。そこでまず大学の閉塞さにアメリカの大学との違いを感じる。アメリカではどんな大学でもキャンパスには簡単に入れ、ハーバード大でも何でも観光ができる。ただコロンビア大などマンハッタン内にある大学は学生証カードがないと自由に図書館は入れないが、教室やカフェテリアにはカードがなくても入室出来る。しかしオックスフォード大はそれも無理との事。どこで夕食を食べたいかと尋ねられ、大学食堂と応えたがあっさり却下される。J.R.R. Tolkien や C.S. Lewis , W Yatesの通ったバーや、大学図書館を外観だけ眺める。私たちが訪れた1−2日後にビルマの自由の旗手アウン・サンスー・チーが自宅監禁されて死に目に会えなかった夫との母校、オックスフォード大を訪れたニュースを見る。そこではオックスフォード大は誰にも開かれたように映っていた。


June 17-18   Rent-a Car: Miltonkeynes-Rollrite-Aveburry-Stonehenge-London UK 
新興工業都市ミルトンキーンズを訪れ地元の人々、日系人、インド、スリランカ系の移民や仏教徒が文化活動を披露していたが少し休憩。この町はもともと工業都市として開発されたおり、市当局からそこに日本庭園と平和塔を建立してほしいと依頼されたそうだ。この地を27年前に訪れた時とすっかり様相がかわり、市の景観と庭園、池、平和塔が妙になじんでいるのが興味深い。

地元イギリス人と楽しくかつ深い話で盛り上がったお疲れさん会に参加し、後始末をしながらも交流した翌朝、レンタカー会社に行って予約しておいた車に乗り込む。いかにも簡単な道順だが、この「ラウンドアバウト(ロータリー)」はいただけない。見知らぬ土地でもかなりの度合いで迷わない、土地勘というよりお天道様さえあれば自分がどこに居るか認識出来ると自認していたが、ロータリー内で急に標識が消える英国の道にはとうとう一日中、なじめなかった。フランスを訪ねていた娘の友達と父親がイギリスへ寄るというので一緒に観光する事になり、レンタカー営業所から10分の駅まで迎えにいくつもりが、予約しておいたナビがレンタカー会社の営業所から出払い、悪びれず代わりにこれ使えと使い古された地図帳をもらう。地図も詳細は掲載されていなくて、同乗者と四苦八苦して見つけた駅に1時間後に辿り着く。ロータリーを廻っているうちに方向感をなくしてしまったようだ。それでも地図帳で大体の位置を掴み、ナビもないのでどの道を通っていいかを予測しつつ進む。何度も戻り、違う経路を見つけだし、たどり着いた最初の目的地は大人の熊から小熊の大きさの岩で構成された、直径30m強のストーンサークル。
Rollriteのストーンサークル 
私たち4人は好きな岩を探して思い思いに抱いてみる。次の目的地はAveburry, こちらは一つの岩がヒト4人以上が楽に入る大きさで、ストーンサークルそのものも直径300m以上が螺旋状になっており、間にちょっとした集落まである。さらに付近には古墳のような丘があった。そしてストーンヘンジへと急ぐが、高いフェンスと周囲にはチェーンがあって、近づけない、岩に触れられない。何も感じられない。Rollriteでは磁場が高いせいかサークルの周りではコンパスが使えないが、サークルの中心でピタッとコンパスは北を指した。

Aveburryのストーンスパイラル
時は夏至の数日前、多少ずれがあるが、かなり正確な北をサークル30m直径の中心で指していたと思う。そしてAveburry ではダウジングを持ち歩いて磁場の高いところを探していた女性に遭遇する。私たちが彼女に近づくと多少短めの彼女のダウジング銅棒が交わってしまうほどの磁場の高さを表していた。
最後のストーンヘンジで出会ったのは、物々しい警備と夥しい観光客だった。そしてロンドンまでの帰路に着く。またまたロンドン市内で迷うこと一時間,途中同乗者を訳の分からないメトロ駅でおろして、無事宿泊先に到着。 





June 19 Scandinavian Air:  Heathrow- Oslo-Helsinki
長い一日が、早朝レンタカーを返すためヒースロー空港に向かうことから始まった。これがまたややこしい空港で、標識がほとんどない、各ターミナルが隣接していない、ターミナル4の高速降り口は別のところにあり、そこからレンタカーを返却と書かれてあるのに、結局ほかのターミナルの滑走路端っこまで運転し、さらにターミナル間のバスに乗る。そしてスカンジナビアク航空に乗り、オスロ経由でヘルシンキ、さらに日本を目指す。ニューヨークはJFK空港から直でやってくるはずの夫とヘルシンキで待ち合わせをして一緒に中部空港へ向かう予定が夫より一日早く、日本入り。

よく友人からヒースロー空港で荷物が紛失した話を聞くから、ヒースロー空港に荷物を預ける事に抵抗を感じるが、私の荷物は少しサイズ的にオーバーとここでもいわれ、渋々預ける。そしてまだ時間があると思っていたら、セキュリティから搭乗口ゲートまで長いショッピング街を抜けないと、たどり着けない、うかうかしていたら搭乗最終アナウンスをしていてぎりぎりセーフで他の飛行場とちがい搭乗開始時間にしか空かないゲートに走って入り、飛行機にまさに飛び乗った

オスロ空港ではだれもがiPhone 片手に搭乗券がわりにQRコードでゲートを闊歩している。ほほう、北欧でのスマフォが普及率はかなり高いとヘルシンキ(市内いたるところにアップルストアがあった)でも実感した。さらにオスロ空港内を空港職員はハンドル付きロングボードで移動したのには驚かされた。米国の空港にあるやたらとでかいリフトや音を立てながらの電気カートと大違い。なんとゲート内に回転寿司まであるではないか、ニューヨーク市内さえ日本語クラスの生徒の要望で探したのになかったのに、これにも感激して食べ過ぎる。あーもっとこの空港にいたいが次の経由地、ヘルシンキに向かう時間だ。

June 19−22   Fin Air: Helsinki-Nagoya 
ヘルシンキに着いた事をボストンから日本へ向かう予定の娘と、ニューヨークから日本へ向かっている夫にテキストメールを送ると、なんと娘がボストンから発てないと返事が来た。「えーーー」家族全員で今年の夏は日本へ行く事にしたのに、高校生、大学生の子、夫それぞれ日程が合わず、結果4人とも経路も日本入りの日程も別々に帰国することになったため、こんなハプニングがおこった。ヘルシンキから詳しい事情を聞くため、何度娘の携帯に電話をしても通じない、ようやく通じたと思ったら「こちらでなんとかするから心配するな」との返答があるのみ、娘をボストン空港まで送ってくれた知人に連絡が通じると「確かにチェックインをして十分な時間を残してゲート手前のセキュリティまで送った」と言う。何がおこったかさっぱり分からないまま、このまま日本へ先に帰国して、成田空港まで迎えにいく筈の息子と母に電話すべきか迷っていると、ニューヨークへ向かっている夫から電話で娘の搭乗する予定のカナディアンエアーに、娘のパスポート情報が入力間違えだったとテキストが入る。こちらはヘルシンキに居て何もやってあげられないから焦るばかり、娘は一人で数時間遅れて経路地のトロントに置いてきぼりにされるのだろうか、などと心配は募るばかりだが、こちらが日本へ行く直前、すべては解決したと連絡が入り日本行きのOne World 系のFin Airに乗り込む。航空券はFinAirサイトで直接購入し、マイレージをJALメンバーで登録しておいたにも関わらず、マイレージが一切つかない事が後で判明。

June 19 Canadian Air/JAL : Boston-Narita,  

娘の搭乗予定のAir Canadaは機体に不具合が生じ、結果、正規の値段で提携会社でない航空会社JALのボストンー成田直行便の座席を用意し、そして出発時間が遅れたからと昼食代として現金をくれたそうだ。到着予定地の成田空港へは、経路こそ違え、到着予定時間一時間まえに到着した。そしてそこではJALのマイレージまでつけた。そうした一連のAir Canada の対応に舌を巻く。一方、私自身は空席が目立つFin Airで中部国際空港入りを果たす。閑古鳥の鳴いている中部国際空港の移民ブースを通って、唯一の公共交通機関の改札口まで、わずか40分とスイスイと渡って来た。鳴り物入りで建てられた中部国際空港だが、オープンわずか数年で早くも賑わいがなくなった空港は寂しいものである。しかし空港内は北欧の空港と同様Wifiが使用可能。成田へ迎えに行った息子がまた中部国際空港へ今度は父親を迎えに行き、父親がFacebookで名古屋入りしたことを知ったので日本の携帯も持ち合わせていない二人もwifiの便利さ享受した。
一方日本入りした夫からFinAirでの一悶着を聞き、ますますFinAirの対応にいらだちを覚える。夫の航空券も私の航空券同様、FinAirのサイトで直接購入したにも関わらず、彼の航空券は確認コンファームされていないから前日にキャンセルになったという、そんな馬鹿な、自分のも彼のもクレジットカードを払った時点でコンファームはされるベキだ。そのせいか前日に私が日本から彼がアメリカから彼のNY-Helsinki便をネットでチェックインをしようとしてもできない筈。彼の航空券が会社によって勝手にキャンセルされていたので、渋々その場で正規の値段を払ったそうだ。しかもこの航空券、JAL系のワンワールドにはマイレージが付かないとの回答をもらうのには、納得出来ない。何の為の提携会社だろう、客の利便性、お得だと思わせる企業努力が全然見られない。

JALが倒産した後、会社更生法が適応されて国の財源で更生し、今は企業利益がでたから株式上場するニュースにも納得が行かなかったが、スターアライアンスという飛行機会社の系列に対抗しようとするなら、提携会社間の利便性をもっと考え、客の利益も考えてほしい。マイレージ互換性があって当たり前だと思っている客はすくなくないだろう、コードシェアー便はあっても乗り換えの連結がさほどある便利でなく、前も娘がカンタス空港でシドニーへ交換留学した時も、ほぼ正規の値段を買わされても提携会社のメンバーとして何のベネフィットもないのは、まったく憤慨させられる。

June 25  Haneda - Kuala Lumpur-Colombo
新幹線で羽田空港へ行くのも随分便利になった。成田空港へ行くのに東京駅構内で成田エクスプレスに乗り込む為に地下3階のホームまで行くのは、いかにも手間がかかりすぎる。しかも日本語の分かる私でもウロウロしてしまうのだから、日本語話者でない旅行客には標識も不案内な分不便だろう。それに比べ、品川で乗り換え羽田空港へ行くのは時間も手間も短縮され簡単だ。ただ品川駅構内や新幹線構内にはそれほどの標識がなく京浜急行も不親切なサインなので残念だが、乗り換えはあまり大きな荷物をもって歩く必要はない。羽田空港出発ターミナルへの乗り入れも便利で、羽田空港はさすがに新しいターミナルだけあって、工夫が凝らされている。

夜行便スリランカにむけてAsian Airで日本を出国。事前に自宅でチェックインをしておき、搭乗券も自宅で数日前にプリントしておいたので、預ける荷物さえなければそのままセキュリティを通ってゲートにさえ行ける。Air Asiaは搭乗数日前に食事をネットで予約しておかなければ往々にして売れきれになる事がままあったが、ほとんどの客がゲートでテイクアウトの食事を買って乗り込んでいた。Air Asia初心者の私たちは出発時間夜の11時半、到着時間翌朝6時半の間、ひたすら寝ようと心みたが無理だった。

初めての地マレーシアの空港は、どうもAir Asiaとわずかの航空会社専用の空港らしい。タラップをおりていきなりゲートまでタクシーウェイを横断するはめに。そしてターミナルといっても簡単なものだが、wifiはしっかり使用出来る。しかも日本やアメリカのように猥雑な手間をかけなくて、簡単につながりターミナル外のカフェでもみなiPhoneを使ってネット利用していた。マレーシア、首都クアラルンプールでは、ネットで探していた空港送迎シャトル有りとしたホテルを予約したが、実際には有料送迎でタクシーより高いと言う期待外れだ。これはコロンボでもヘルシンキ、レイクキャビックでも同様で、空港送迎無料シャトルと勘違いした私のミスだ。この路線はヨーロッパの格安航空会社と同様、お互い提携していないのでスターアライアンス系もワンワールド系のマイレージが付かないのは分かっていたが、惜しいほどのマイレージ数であった。スリランカ国内の旅は別に掲載していくのでここでは省略。





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