4/22/2010

アメリカの大学受験事情と、大学訪問

さてさて、3日で1350マイル(約2000キロ)大学訪問へ息子と行ってきました。
5ヶ月前免許取り立ての息子に、最終日はほぼ7時間運転させ、私は岡目八目ならず
バックシートドライバーになって(後ろからアーダコーダと指図する)うるさがられながら、
無事自宅へ帰り着きました。

アメリカは日本ほど受験事情が熾烈でないと思われがちですが、
かなり親が真剣になってストレスをためこむ受験レースなるものがあります。
いわゆるカレッジアプリケーション・プロセスなるものがそうで、
まず高校に入るにも、どの高校が大学受験に有利かで選ばれる事も少なくありません。

しかし現実には多くの中学生が (とくに田舎では)
地元の学区や市町村の行政区で決められた地区に一校だけある公立校へ行きます。(高校2年まで義務教育)
この公立高校と並行して
プレップ高校(進学名門校)と呼ばれるお金をいっぱいかけた名門高校や
生徒の才能を重視したオールタナティブな中高がかなりの都市にあります。

この近辺は田舎ですが、全米でも教育熱が高いところなので
決められた公立高校へ満足しない親が近辺の4校あるプレップ高校や
2校のオールタナティブ校へ
さらに3校の州立演劇、音楽専門校へ
子どもを入れようとします。

我が家の中学生の娘も、高校生の息子もこのプロセスを最近とおっています。
高校選択の際、親にはこの進路説明に重心をおかれて説明される事が多くの私立高校では行われます。
「この学校を出たら、こうした大学に入っていますよ」というのはセールスポイントですから。

私たち夫婦は「この学校へ入ったら、こういった人間の形成を目的に、この様な授業の選択肢があり、こうした校風、教育理念のもとに先生・父兄が作り上げていますよ」とした学校側の教育理念と様子を信じて、
入学した後の高校4年間の事を考えて選びました。確かに授業のカリキュラムはとても充実していましたし、
SATなどの大学受験共通のテストを応募する時にどんな時に高校で勉強したかをチェックする項目は、
自然科学系、社会科学系、数学系、音楽/アート系はほぼ網羅し、なおかつ独自のカリキュラムをふくめ、かなり普通の公立高校よりカバーしていたかなとは思われました。
しかしガイダンスの先生は、高校11年生のはじめから高校卒業後の事も考えねばいけないとおっしゃいます。
私たち、親とてもちろん子どもたちの高校入学時に、全く大学進学を考えていなかった訳ではありませんが、それよりもその後の人生の糧となる高校4年間を充実して送ってもらいたいとの思いが強かったのは確かです)

どこの高校でも一般には高校1年生から進路指導の先生ガイダンスカウンセラーの説明が親を集めてなされ、
高校2年生から、全米共通大学入試テストSATの模試が受けられます。
このSATの点数は、大学応募のおり直接センターから各志望大学や奨学金センターに結果が送らますが、
何回受けてもよく、その内の最高点が希望大学へ報告されるようになっています。

ここマサチューセッツ州は中学2年、高校4年生制度で、
おとなりコネチカット州は、小学部は幼稚部Kから5年生で中学6−8年生、高校9−12の4年生制度です。
ともに高校4年間の
成績証明書transcriptionと(自分の得意分野を集めた)ポートフォリオ
そして先生の推薦状、面接や応募用紙が
大学を応募する際のプロセスです。

ジュニア学年の息子は春まで国際会議にボストンへいったり、日本の広島での国際会議に出席していたため
こうした事に親子共々まったく関心を払っていなかったというのが、正直なところです。

高校2年の息子の担当教官が
4月の春休みにあちこち大学訪問したらどうだと提案してきました。

今はどの大学もホームページをもっていて、ホテルのホームページ顔負けの
ヴァーチャル訪問がインターネットで行えます。
また我が家の場合いは、名門大学に囲まれていますから、
息子達も学校から大学にコンサートや演劇に出かけて行きます。
ですから
わざわざ足を運んで遠くの大学まで訪問しなくても、どこも似たり寄ったりだろうと
タカをくくっていました。

しかし実際、大学訪問を終えてみて、その成果は確かにありました。

及び腰だった息子を尻目に、さっさと授業参観とキャンパスガイドの予約をとってでかけてきました。
それが合計2000キロの旅です。
6時間かけて到着した最初の大学では、
親子ともども言葉をなくすほど、その施設の充実さのみならず
授業や大学生たちの学期末試験前の張りつめた、活き活きとした様子がうかがえました。
こうしてお客様として大学全体を見て回るのも
いいものです。
私自身、もう20年も全米の大小様々な大学や大学院にてコースを受講していますが、
学生として内部からの諸事情は見えてても、
ついつい全体像を忘れがちです。
 お客様として学生ガイドにざーっと説明され、
妙に納得したり、感心したりしました。

全米の高校から、父親に、母親につれられて同年代の高校生が大学訪問にやってきます。
高校生らは目を輝かせて質問するもの、もくもくと親についてきているもの、
それぞれの親とあーだこーだと話しながら、中には両親とも付き添いで来ている高校生もいました。

ニューヨーク州、コーネル大にて大学生ガイドに引率されてのキャンパスツアー





(ペンシルバニア州のカーネギーメロン大学中庭風景)
     

教育ママは日本や韓国、アジアの特権だと思っていましたが、
やはり目の前に毎時あるキャンパスツアーに何10人と親と大学訪問をしている高校生をみていると、
あらためて親の熱心な大学受験への関心を伺わせます。

当たり前と言えば当たり前なのでしょう。
逆に、日本では子どもの教育を含めた子育ては母親の仕事、
父親は外で働いてお金を出していればいいといった風潮が未だに多いと見受けられます。

経済の上がり坂の時は
それでも、日本の社会全体がそうした風潮でありましたから、まかりとおったかもしれません。
でも、子供に老後世話になるからといった理由でなく、
子供が大人になって社会に出るまでが、親としての責任義務だとして、親権に関する法律が幅をきかす
この国は、父親も母親も仕事をしているけど、両親が仕事と家庭を両立させて、こどもの教育に積極的に関わって来ます。

親が奨学金の申請をします(親の収入、財産が細かく評価されるから)大学入学まで親が関わっているのが当然と行った社会だと思われます。


それは日本からアメリカへ来た家庭を長年、ここ地元でお世話をしている経験からいっても、日米の違いを感じさせます。

まず、小学校からはじまる親と生徒、教師の面談にはできるだけ父親の方も出席してくださいと説明しますと、不思議がられたり、仕事の都合が付かないという返答がきます。
実際にアメリカの平日の授業参観に来てみると、各種学校行事に父親の参加の多さに驚いているようです。

ちなみに我が子が行っている小中高では、当たり前のように父親が
授業参観、面談、
親と先生が集まっての月々の夜のクラスミーティング、
校外遠足、社会見学、
さらに授業の一部としての演劇,学芸会、キャンプ、アートクラス、農業実習、
とどんどん母親、父親が積極的に参加、協力しています。

日本の学校事情で育った私は、運動会の時ぐらいしか父親が学校へくることがなかったので、最初を面食らいました.

父親も親権を持ち、たとえ仕事で忙しくて
子供を育てる義務があることが法律でも課されています。
アメリカの小学校、中高で父親の学校参加を見なれているものの、
大学訪問でも父親が遠くまで足を運ぶのには
今更ながら驚きます。

これには、日本の職場事情も往々に関係してくるでしょう。
日本の経済を支えてきたと自負している
父親たち、男中心の社会は、大きなことを見落としていたと思います。

次世代の教育を学校の教師や、塾などの人事のみに任せてよかったのでしょうか。
子どもたちは放っといても育つ訳ではありません。
日本では親の後ろ姿を見て育つのは、美徳だと思っている人は多いはずです。
でも声をかけ,子供の教育にも積極的に参加し、
学校等いうコミュニティーを子供と作り関わっていく事で、子どもたちも安全な環境でのびのびと育ちます。

もちろんすべての人がこうした環境にある訳ではありません。
収入の差、健康いかんにもよるでしょう。
たとえば、農家の多い地域は農繁期には地域なりに一致協力できるし、
またはシングルペアレントでも、コミュニティーで手の届かないところを補っていけます。

我が子の学校では
友達のお母さんが入院したから、順番に夕食をもっていってあげようとか、
両親が別々に暮らしているから、何曜日はお父さんの家にいって子どもたちを一緒にあそばせようとか、
学校の配布物も離婚している両親には別々に配布されるが、それとて父親をないがしろにする訳でもなく、
父親はシングルファーザーとして学校のイベントに関わり、
大学訪問にも熱心に関わっています。


むしろ日本より、大学選択にアメリカの父親、母親の方が口出しするのではないでしょうか。
日本では本人の志望もありますが、
かなり進路指導の先生の意見が重視されているのではありませんか。
アメリカでは、大学受験は親の熱心さがとても際立ちます。
ポートフォリオの作成、奨学金の申請、
卒業後の進路について担当教官との話し合いは、
親が中心になって進められているように見受けられます。

学校から送られてくる様々なメールも授業に関しての連絡事項は直接生徒に、
進路指導、親やコミュニティーの協力がないといけない対外試合の運転、
社会見学、校外授業のドライバー要請、寄付金の要請などは、
生徒にはいかず、直接親に連絡がいきます。
とにかく写真にあるように、父親母親、ともに大学を真剣に見て回ります。
私たち20人位のグループ(毎日1日3回、定期ガイドがあって、私たちのときは一回の人数が多かったため、2グループに分かれた、一回のコースは大学全体を歩いてまわって約80分のコース)学生ガイドも「どうしてこの大学を選択しましたか」との高校生からの質問に「母親の強いすすめがあったから」とてらいもなく話していました。

また夏には大学受験前の高校生を対象にしたプレカレッジサマープログラムがどこの大学でも盛りだくさんあります。
かなりの金銭もしくは、親の収入と生徒の普段の成績や応募課題作文にて決められる助成金が関わっていますので、
親がどれに子供を入れさせようかと血眼になって探す風景もみられます。


こうしてかなりの親が積極的にすすめている大学訪問で
様々な大学へ足をはこびますが、
大学のある都市も、またそれまでに至る地形も本当に多彩で、
あらためて、アメリカの広さを思い知りました。

1000キロ(車で10時間)も走るととアメリカの大地の様相がこんなに変わろうとは。
緑の木々が多いマサチューセッツ州は、起伏がおおく、まっすぐな道にはなかなか出あいません。
しかしニューヨーク州もペンシルバニア州も、道がどこまで続き、山並みはとても滑らかでした。
各都市にしろ、20年前には元製鉄の街ピッツバーグ市がゴーストタウンと化していたのに、
今はすっかり立ち直ってルネッサンスシティーと呼ばれるほど、NYやボストン、ロサンゼルスよりずっと活気がある街に変身していたのに驚きでした。


また初めて行ったニューヨーク州イセカ市にしても、環境再資源、健康にとても意識が高い街と見受けました。街のあちこちに国内産コーンを再生利用した
分別ゴミ箱が整然と配布され、こぎれいな商店街と、自然食の店、カフェが散在する街で、決して大きくはないけど
さすが3万人以上の学生をもつコーネル大などの3つの大学がある街だなと感じて帰ってきました。

4/15/2010

犬と山道を散策、ベトナム帰還兵のフラッシュバック revisedしました。

春というより、夏のような陽気に犬と近くの山々を散策した。

友人と話しながら山路をのぼっていたので、散策というよりトレッキングになり、山中をドンドン入り込んで、しまいにはトレスバッシング(民家の為進入禁止)の標識に囲まれてしまった。
そして断崖絶壁の岩をよじ上るというおまけまでついて来た。
このよじ上っている最中に自分が高所恐怖症だったことを思い出し、
急にフラッシュバックに襲われ、足が震えだす始末。
前にも後にも戻れないところで、
犬のマーリーは
平気な顔で何度もずり落ちながら、崖をあぶなげに行き来するから、
こちらも余計に焦ってきた。

山路を友人と花を愛でながら歩いていると、



断崖をよじ上っている最中に、
10数年前に道なき山を松茸を探しながら、親族総出でよじ上った
松茸狩りのイベントを思い出した。
子どもの頃から山歩きで鍛えている足腰が丈夫な叔父叔母らは、松茸のためなら、ずり落ちても
また這い上がって、どんどん尾根伝いに赤松の根っこのあたりを探りながら、山の急斜面をのぼっていく。

そんな松茸狩りにさそった
黒人ベトナム帰還兵の友人の事を思い出した。
アレン・ネルソンはベトナムで米陸軍としてベトコンと闘っていた。

アレンは何の気なしに参加した松茸狩りに冷や汗もので帰って来た。
日本の道なき道をよじ上って、ジャングルでの体験を思い出させたようだった。
人を人を思わないように洗脳されたときのこと。
アレンのように貧しい家庭に育ったものにとって
お腹いっぱいご飯を食べさせてくれるという理由で
従軍し、果てはベトナムの前線に送られた。
しかし実際にベトナムのジャングルで対峙したのは、
れっきとした
血も涙も家族もある敵兵だった。

何十年も離れないトラウマをアレンらは深く深く埋め込んで行った
戦争という名の体験は、こんな時にフラッシュバックとしてやって来る。

しかしアレンは、その後毎年日本の多くの都市で
自分の戦争体験を語り、最近他界した。
息を引き取る前にNYで彼に久しぶりに会った。
自分の体験を語る事で彼には多くの日本で応援者がつき、
彼の表情も変わっていた。
彼は戦争に直接銃をもって、敵だ野獣だと教え込まれた
ベトナム人とジャングルで出会った体験を語ることで、
自分のトラウマも克服して行ったと感じた。

話しは少しずれるが、
同じく別の友人で'Veteran for Peace'として
(平和を願う帰還兵)アメリカの学校で話し続けるアルの話しも
我が高校で開いたときも、同様な事をいっていた。
人を人と思わぬ訓練を受けて前線に送られたが、ベトナムの山で出会ったのは
ベトナムの子どもだった。
話している最中、何度もフラッシュバックに襲われ言葉を失いながら、それでも
アルは自分の体験を生徒に話していた。
生徒は必死になって聞き、質問を多く浴びせていた。アルもアレンも自分の体験を語るたびに
その当時の様子がフラッシュバックになって体中を苦痛に教われたに違いない。
しかしそれを語らなければ、という使命で語り続けてくれたのだろう。
ありがとうアレン、ありがとうアル
あなたたちの言葉を
きっときっとさらに伝えます。

一方,余談だが,我が家のマーリーもこの山路で大けがをしたことがあるそうだ。(とういう事を夏に犬の面倒をみてくれた友人から最近聞かされた)

山路を歩いていてハリネズミと対峙した。
動くものにとにかく興味を示す習性の猟犬マーリーは
近づきすぎてハリネズミに攻撃され、
顔中針が150本以上も刺されてしまった。
あわてた友人は山路を抱きかかえて猛烈に
動物病院に駆け込むが、車中でずっと泣きわめきながら
マーリーは手で針をとろうとしている、
結局麻酔をうって中まで入り込んだ針を一本一本抜いてもらうという
大きな手当を受けた事があるという話しを昨日聞いた。
獣医がそのおり「犬たちはこんな経験をしても、きっとまたそのハリネズミを探しに行くでしょう。
ですから少しの間、そのあたりに近づかない方がよい」といわれたことを
全く同じ山を上った後、昨日に聞かされた。

どうりでハスキーやシェパード、ロットワイルド等の狩猟犬の血も混じっているマーリーは山路を散歩している間、
いつも先に先に道をいってあちこちかぎ回っているが、
数日前の断崖の散歩のとき、一時姿をくらましていた。
やはりあのハリネズミの穴を探していたのか。

人間の業と犬の習性の違いをみた。


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4/10/2010

国連、タイムズスクエアー、高校生の忘れられないNY

日本語履修高校生をバンに詰め込み,てんこもり日本語関連行事とNY観光して来た。

NYに暮らしていた時も、旅行客にNY案内をした時と比べても、昨日ほど充実したNYの一日はなかっただろう。

早朝6時集合、ラッシュアワーにも引っかからず、ひたすら運転手の教師を無視して、ひたすらバンの中で寝ている生徒は,ニューヨークに入る手前ごろ8時頃から一人二人と起きてきた、それぞれ自分のiPodの音楽に興じている。
するとだれのどの音楽をスピーカーに接続して皆で聴くか、壮絶な闘い開始される。
日本からの留学生は2名,我が事と関せずだったり,不思議な様子で見ている。

ラップ、ロックと延々と続くから、NYまで運転手のこちらが耳が飽和状態でもたない。
途中、うるさい集団を最後列に移動させる。いよいよNY市内に入ると、ラッシュアワーに巻き込まれている中、今度は日本の高校生が目を輝き始める。
これがマンハッタンでっせーという感で、お上りさん的目になって窓からの光景にじっと見入っている。

第1目的地、国連高校での「日本の春祭り」に参加
いるいる200名ほどの日本語熱にのぼせた高校生がNYからNJから集まっている。

目立ちたがり、テクノ、根っからのオタク、ぼーっとした子、自分の世界に入りきったやつ、パンク、アメリカの高校生って感じだ。でもさすがNY、田舎の高校生にはかなり刺激がつよい。先日参加して来たハーバード大学主催、模擬国連にいる高校生とはまた様相がちがう。



それぞれの屋台に他校の生徒とグループにありあてられ移動、やきそば、かき氷は長蛇の列。なぎなた、少林寺拳法、剣道、三味線、着付け、茶の湯、もちつき、カラオケ、侍じゃんけん、土産屋、などなど、どこのブースも大盛況な様子。春祭りの趣旨は日本語での交流だから、それぞれのブースにいって日本語で質問され、また次へ。
いろんな子が、いろんな理由で日本語を学んでいるのを実感。

マンガ好きなオタクが多いのかと思っていたら、
我が校の生徒のように
「日本へとにかく行きたい」
「親が日本語話すから」
「日本人と友達になりたい」
「フランス語に飽きたから」
「ヨーロッパ言語に失敗して言語選択を替えた」
「日本料理が大好き、日本で思いっきり食べたい」
なんて理由で、日本語を勉強している。

4/03/2010

花々が咲き誇るなか、女へのエール応援歌

ユダヤ教の人たちがパンを食べずに出エジプトを偲ぶパスオーバーをすぎ、
クリスマスより宗教的意義の深いキリスト教グッドフライデー、そしてもともとは春の訪れを祝うイースターの土着祭りとキリストの復活をかけ祝ってイースターサンデーで庭に出て卵さがしをし
仏陀の生誕を祝うお花祭りをすませた。

例年ならまだまだ寒さが残る四月初旬,
ここ北国のボストン郊外では、
今年は地球温暖化の影響か、
本当に穏やかな日本の本州にも似た陽気な日々で、
花々のつぼみがほこらんできた。

forsythia レンギョウ,
daffodil 水仙,
crocus クロッカス,
violet すみれ,
hyacinth ヒヤシンス,
が大地に彩りを添え,
「えっこんなところでもがんばって咲いてるんだ」と微笑みたくなる山や里や谷間への散歩の日々

家の周りには
weeping cherryしだれ桜や
apple tree リンゴの木
lilac ライラックの木々のつぼみがほこらんで来た。

近くの公園や街路樹には
dogwood ハナミズキ
magnolia モクレン
mountain laurel しゃくなげも今を盛りに
高貴な香りを放っている。






梅や桃の木もほしいところだが、北限なのか全然見ない。

そんな春の香りを感じ、春の到来を喜んでいると

尊敬するある女性からこんなメッセージを受け取った.
女性へのエールとしてここに転載したい。


「あらゆる年齢のあらゆる国に住む全ての女性を尊敬します。

あなたの夢見る力、
世界のためにたたかう力を蓄え
忍耐強くて、
愛をいっぱいもった
あなたへ〜ギリシャの作曲家,バンゲリス

女のエネルギーは男を驚愕させる。
どんな困難に立ち向かっても,どんな問題にぶちあたっても、冷静さと、
愛情と、笑顔と、よろこびを絶やさないから。

女たちの笑みは、泣きたい時もあらわれ、
涙を流す変わりに、歌い、
幸せで一杯な時には、号泣し、
信念のために闘い、
不公平の為にも立ち上がるから。

きっとよい解決方法があるに違いないと思った時は、
『ノー』という答えに決して妥協せず、
家族をささえる為には、自分を犠牲にし、
心配な友がいれば、医者まで連れて行き、
いつもかわりない愛を降りそそぐ

こどもが成果をあげれば、号泣してよろこび、
友の幸せには手をあげ、わがことのように大喜びし、
どこかで赤ん坊が生まれたと言ってはよろこび、
婚儀があるといっては幸福にひたり、
友の死の知らせに胸をしめつけられ、
信頼をおいているものを亡くしたことに悩み、
もう力尽き果てたと思っている時にこそ、
強さを蓄え、
自分たちのキスやハグが、
どれほど傷ついた人の心を癒すかかを知っている。

そんな女たちにも足りないところがある、
自分たちがとても価値のある人間だということを忘れがちな事だ」

下記にこのメッセージとともに送られた写真を投稿します。










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