犬と山道を散策、ベトナム帰還兵のフラッシュバック revisedしました。

春というより、夏のような陽気に犬と近くの山々を散策した。

友人と話しながら山路をのぼっていたので、散策というよりトレッキングになり、山中をドンドン入り込んで、しまいにはトレスバッシング(民家の為進入禁止)の標識に囲まれてしまった。
そして断崖絶壁の岩をよじ上るというおまけまでついて来た。
このよじ上っている最中に自分が高所恐怖症だったことを思い出し、
急にフラッシュバックに襲われ、足が震えだす始末。
前にも後にも戻れないところで、
犬のマーリーは
平気な顔で何度もずり落ちながら、崖をあぶなげに行き来するから、
こちらも余計に焦ってきた。

山路を友人と花を愛でながら歩いていると、



断崖をよじ上っている最中に、
10数年前に道なき山を松茸を探しながら、親族総出でよじ上った
松茸狩りのイベントを思い出した。
子どもの頃から山歩きで鍛えている足腰が丈夫な叔父叔母らは、松茸のためなら、ずり落ちても
また這い上がって、どんどん尾根伝いに赤松の根っこのあたりを探りながら、山の急斜面をのぼっていく。

そんな松茸狩りにさそった
黒人ベトナム帰還兵の友人の事を思い出した。
アレン・ネルソンはベトナムで米陸軍としてベトコンと闘っていた。

アレンは何の気なしに参加した松茸狩りに冷や汗もので帰って来た。
日本の道なき道をよじ上って、ジャングルでの体験を思い出させたようだった。
人を人を思わないように洗脳されたときのこと。
アレンのように貧しい家庭に育ったものにとって
お腹いっぱいご飯を食べさせてくれるという理由で
従軍し、果てはベトナムの前線に送られた。
しかし実際にベトナムのジャングルで対峙したのは、
れっきとした
血も涙も家族もある敵兵だった。

何十年も離れないトラウマをアレンらは深く深く埋め込んで行った
戦争という名の体験は、こんな時にフラッシュバックとしてやって来る。

しかしアレンは、その後毎年日本の多くの都市で
自分の戦争体験を語り、最近他界した。
息を引き取る前にNYで彼に久しぶりに会った。
自分の体験を語る事で彼には多くの日本で応援者がつき、
彼の表情も変わっていた。
彼は戦争に直接銃をもって、敵だ野獣だと教え込まれた
ベトナム人とジャングルで出会った体験を語ることで、
自分のトラウマも克服して行ったと感じた。

話しは少しずれるが、
同じく別の友人で'Veteran for Peace'として
(平和を願う帰還兵)アメリカの学校で話し続けるアルの話しも
我が高校で開いたときも、同様な事をいっていた。
人を人と思わぬ訓練を受けて前線に送られたが、ベトナムの山で出会ったのは
ベトナムの子どもだった。
話している最中、何度もフラッシュバックに襲われ言葉を失いながら、それでも
アルは自分の体験を生徒に話していた。
生徒は必死になって聞き、質問を多く浴びせていた。アルもアレンも自分の体験を語るたびに
その当時の様子がフラッシュバックになって体中を苦痛に教われたに違いない。
しかしそれを語らなければ、という使命で語り続けてくれたのだろう。
ありがとうアレン、ありがとうアル
あなたたちの言葉を
きっときっとさらに伝えます。

一方,余談だが,我が家のマーリーもこの山路で大けがをしたことがあるそうだ。(とういう事を夏に犬の面倒をみてくれた友人から最近聞かされた)

山路を歩いていてハリネズミと対峙した。
動くものにとにかく興味を示す習性の猟犬マーリーは
近づきすぎてハリネズミに攻撃され、
顔中針が150本以上も刺されてしまった。
あわてた友人は山路を抱きかかえて猛烈に
動物病院に駆け込むが、車中でずっと泣きわめきながら
マーリーは手で針をとろうとしている、
結局麻酔をうって中まで入り込んだ針を一本一本抜いてもらうという
大きな手当を受けた事があるという話しを昨日聞いた。
獣医がそのおり「犬たちはこんな経験をしても、きっとまたそのハリネズミを探しに行くでしょう。
ですから少しの間、そのあたりに近づかない方がよい」といわれたことを
全く同じ山を上った後、昨日に聞かされた。

どうりでハスキーやシェパード、ロットワイルド等の狩猟犬の血も混じっているマーリーは山路を散歩している間、
いつも先に先に道をいってあちこちかぎ回っているが、
数日前の断崖の散歩のとき、一時姿をくらましていた。
やはりあのハリネズミの穴を探していたのか。

人間の業と犬の習性の違いをみた。


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コメント

  1. 前から聞きたいと思っていたんですけど、
    私アレンさんと会ったことあります?
    何処かで会ったことがあるような気がするのですが思い出せません。
    勿論何か勘違いしているだけかも知れないのですが、
    もし会っているとすれば千恵子さん経由しかないだろうなあと思って・・・。

    返信削除
  2. アレンさん亡くなる前の数年の
    日本での米軍問題の講演活動は
    神戸の元教師の方がオーガナイズしています。ですからきっと関西ではよく講演していたでしょう。
    そちら経由では、
    大阪では心斎橋の天麩羅屋にもよく出没していたようです。

    返信削除

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