年末、年始ニューヨークとボストンで過ごす。個性の反映した旅のあり方?

辰年の年頭におきまして、初春のご挨拶申し上げます。
今年はマクロなビジョン大局的な視野に立ち、地産地消に加え足下からの平和を打ち立てていければと抱負をたてました。どうなることでしょう。辰年ですから、舞い上がりやすい私ですが、地に足をつけられるでしょうか。


私達夫婦は、まったく対照的な旅の過ごし方をします。
私は日本人によくありがちに、まず初めての土地へ行ったら、事前に、もしくは到着した空港で集めたガイドを眺めて、行きたい場所やレストランをチェックをして行きます。

観光地だったり、美術館だったり、はてはネットで見つけた穴場だったりします。

仕事でいっても、仕事の後にしっかり観光やおいしい穴場を必ずチェックします。
お金をかけて現地まで行ったのだから、その分、元をとろうとするのが魂胆です。

最近「いつもパワフルで」と、年賀のコメントやfacebookでよくささやかれておりますが、自身は「そんなにパワフルにあちこち動き回っているように見えるかな」と首をひねってもおります。いつも自然体でいるつもりなのに、その私の自然体こそがあちこち駆け回っていることに気づかされもします。

しかし夫はのんびりするために旅行するので、 欲張りにあちこち回ろうとはせず、気が向いたら観光でも穴場でも回ろうかというスタンスです。

この年始、年末は我が家に来ていたオーストラリアからの留学生とNY、ボストンへ泊まりがけで行って来ました。これら車で2−3時間の街には、いまではよく日帰りで食料品買いに出かける位です。

今回のNYとボストンは、留学生の希望通り動こうと予定を組まず、家族4人プラス留学生で出かけました。事前の用意は、宿の手配とブロードウェイショーのチケットを手に入れた位でした。

 これがオーストラリア人や娘、息子、夫の旅の過ごし方です。
せっかくクリスマスにNYへ来たからと、ゴスペルをハーレムの教会で聴こうと誘っても反応なし。

ではクリスマスの時期に有名なロックフェラーセンター前のアイスリンクでスケートをしようとしても、ヨーロッパやアジア諸国の観光客が黒山の人だかり、5番街から リンクのあるロックフェラーセンターまで身動きできないお上りさんの長蛇の列で「またにしよう」とすぐあきらめます。

結局、世界一の舞台の広さを誇るメトロポリタンオベラ劇場まで行っても、しかもその有名なオペラ劇場の全面に掲げてあるシャガールの特大絵画もカーテンがかかっていて見れずに、また肝心なオベラも観ずに近くのリンカーンセンターで映画を観ることになりました。これもチケット売り切れで、またとぼとぼ人ごみにもまれながらカーネギーホールやNBCテレビ スタジオ横を通ってブロードウェーを歩いてとぼとぼホテルへ帰ってきました。それでも、わざわざオーストラリア組んだリから来たのだから、せめてNYのアイコン、タイムズスクエアーの劇場街を歩いても、2−3枚「ライオンキング」「メアリーポピンズ」を演じている劇場で写真をとって、さっさと人ごみを避けホテルに帰って来る始末

それでも、翌日は娘たちテイーンエージャーの好みそうなブランドの店がならぶ、SOHOに出かけ、セントラルパークを歩いてメトロポリタン美術館へ繰り出しました。でも、館内はヨーロッパのお上りさんばかりで混んでいたので、早々に出てきました。

エンパイヤーステートビルより混んでおらず、眺めのいいといわれるロックフェラーの最上階から夜景を見たり、

ジョンレノンとヨーコが住んでいた「ダコタハウス」マンションと横にあるセントラルパーク内のジョンレノンの哀悼碑「ストロベリーフィールド」を回ったり

ワールドトレードセンター跡を周り、すっかり観光地化したウオール街占拠デモが散らされた跡を見学しました。

自由の女神の島へ行くには身分証明書がいるのに、パスポートを忘れてしまったので対岸のバッテリー公園で自由の女神を眺め帰って来ました。しかし肝心の女神は、向こう向いてお尻だけでしたが。



こうやって列挙すると、やはりあちこち連れて行ったなと思いもしますが、その時はあれも連れて行けなかった、これも連れて行ってあげたかったとの思いが募るばかりでした。



「せっかく」行ったメトロポリタン美術館も人が多くてすぐ出て来てしまったし。他の美術館や、クロイスター屋外彫刻展だの、現代美術館MOMAだの、国連本部の本会議場や、アメリカ移民史の要、エリス島や、インディアン博物館なども見せたかった。

しかしそれらは私の見せたいと云う思いでしかありません。
オーストラリアからの留学生はそれを望んでいなかったでしょう。


年明けて、いよいよ交換留学最後の日はボストンへ繰り出した。が当日は海風が身にしみる寒さで、結局クインシーマーケットに繰り出しただけでした。オーストラリアにいる両親が新婚旅行でやってきて、よく話を聞かされたボストン市内の今はアラブ商店街になった地区のオイスターバーに、土産話に行っただけでした。そこで生ガキに舌鼓をうってホテルへ早くも直行。それでも翌日朝早く発つため、予約した空港近くのホテルからは、きれいなボストン港と市景が夕日に映えていました。
そして、
彼女はどんなアメリカをもって帰ってくれただろうか。


確かに私の見せたい、アメリカの姿ではなかったかもしれない。しかし彼女なりに自分のペースで何かを感じ取って帰って行ったようだった。

相変わらずの私の家族は、せっかくウィーンに行っても、先ずは現地の本屋で、英語の地元本等を仕入れ、それを片手に街のカフェで評判のアイスクリームを頬張りながら道行く人を眺めています。一方こちらはドゥオモ教会だの宮殿にいこうだのと、せっかく来たウィーンの休日を目一杯、足で稼ごうとします。


ハワイへ行っても同じ、こちらは「せっかく」という心がはやるから、たとえ水が多少冷たかろうと無理しても「ハワイで泳いだぞ」と印を付け、証拠写真を撮りまくります。一方夫と子どもたちは、のんびりカフェで本を片手にコーヒーすすって、ハワイまで来てビーチで、どこでも読める本を片手に道行く人、ビーチで興じる人を眺めています。


いやはや、どこの観光地も見せたいところ、観たい所のチェックは多いが、やはり自分のペースで回るのがいいのかも。
今年は早くも、アイスランド、フィンランド、英国、日本、マレーシア、スリランカへの旅を予約した。上記3国はボストンー日本への航空便を探していたらフィンランド・ヘルシンキ経由で行った方が安いと出て来たためだ。ヨーロッパの飛行機会社のしのぎを削った安売り合戦が展開されているおり、これも欧州経済破綻の兆しをのせいかなと想像してみる。



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