2/16/2011

エジプト民主化ニュース、ブログまとめその2

こちらのブログでも栞として、時々紹介している保坂さんのブログ
ヨーロッパから「エジプト民主化」コメントが掲載されていた。自分のメモの意味もあって、引用させて頂く。
さらにアメリカの労働史にでてくる工場の民主化への流れで起きたストライキの様子の比較が興味深いので文末に掲載。

 2011.2.12 飛幡祐規(たかはたゆうき)さんのブログより「アラブの春−チェニジアとエジプトの革命と民衆の力
チュニジアにつづきエジプトで起きた民衆革命、ヨルダンやイエメンなどアラブ世界に波及しつつある震動をヨーロッパから追いながら、いま歴史が動 いているのを感じる。2001年の9.11連続テロ以降、ブッシュ大統領のアメリカ合衆国が圧倒的な軍事力と資本によって国際社会に押しつけた不自由な世 界ーー自分と異なる人々や文化を危険なものとして疑い、敵視し、抑圧しようとした二元論の有害な嘘が暴かれ、崩れつつある。この動きが何をもたらすかはま だわからないが、世界が新しい時代に入ったのはたしかだ。めざましいと感じた点をいくつか記しておきたい。
まず、チュニジアとエジプトで起きている出来事は「革命」とよぶべきものだ(なぜ日本の主要メディアはこの言葉を使わないのか?)。予想できな かったありそうもないことが起きて、既成の秩序を覆すーーそれが革命だ。辞書には、「被支配階級が支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制 を根本的に変革すること」と定義されている。両国では、被支配階級の民衆が非暴力の抗議運動によって、政権を打倒するにいたった。この革命過程が成功すれ ば、体制が根本的に変革されて民主主義国家が築かれるだろう。挫折したり、真の変革が起きずに別の勢力に権力を握られたりすることもあるが、革命の精髄 は、思いもよらなかった民衆の行動が既成の体制を覆すという点にあると思う。その意味で、ベルリンの壁の崩壊につづく東欧諸国と旧ソ連の変革に匹敵する革 命が、アラブ世界で始まったといえるのではないだろうか。


これまで、いわゆる西欧先進国(自由世界)では、テロとイスラム原理主義の脅威を防ぐためには、アラブ諸国の 強権的あるいは独裁政権と協力し、その反民主主義的統治にも目をつぶる以外に道はないという理論が信じられ、実践されてきた。つまり、アラブ国家にはイス ラム原理主義か強権的政権のどちらかしかありえない、アラブ人は民主主義国家を建設できないという考え(偏見)が信じられていたのだ。ところが、チュニジ アとエジプトで起きたことはその理論をくつがえすものである。これらの専制政権は、イスラム原理主義と闘うという名目のもとに、ムスリムの組織に激しい弾 圧を加え、運動家を投獄し拷問にかけてきた(殺された人も多い)。その弾圧はブッシュの戦争と同様、テロを防ぐことはできなかった。、、、

 チュニジアとエジプトでの民衆デモの映像や報道を見ればわかるが、蜂起した人々の大多数は宗教団体に属さな い市民であり、抗議運動においてチュニジアのエンナーダとエジプトのムスリム同胞団が担った役割はとるにたりない。双方とも非宗教の民衆革命といえるの に、イラン革命のような宗教勢力が擡頭するのを怖れる声がただちに上がった。この恐怖も、原理主義の脅威という強迫観念(ほとんど妄想)が生み出したもの である。

、、、
ベンアリ失墜後に旧勢力への報復リンチはまったく行われなかった。
エジプトでは、ムバラク旧大統領がベンアリの二の舞を踏むまいと、2月2日に「親ムバラク派」と称する暴漢(主に政権に雇われた貧困層や警察官) をタハリール広場の反政権派に対して放ち、民衆に恐怖を植えつけて分断しようとした。抗議運動がつづいた18日間の死者は三百人以上にのぼるといわれ、多 数の市民が負傷し、逮捕・監禁された。しかし、暴挙を受けても彼らは自由の象徴となった広場から離れず、自警団を組織して混乱を阻止した。広場では、携帯 電話の充電、水・食料の配給、ゴミの処理、掃除などが自治によってオーガナイズされ、負傷者はボランティアの医者・看護士によって無料で治療された。ソー シャルメディアを駆使する若者とイスラム教徒、コプト(エジプトのキリスト教徒)、労働者、医者、弁護士、教師などさまざまな職業と階層の人々が共生し、 議論をたたかわせ、力を合わせ、助け合った。途中から家族連れや女性も大勢運動に参加し、男女を分離しようとした宗教者は一笑に付された。他者を尊重する 寛容な民主主義の理想が実践されたのだ。ムバラク辞任の後に、彼らは広場の片づけと清掃を行った。

彼らが求めるのは自由と公正な社会ーー民主主義の理想であり、人らしく生きること、つまり 人間としての尊厳である。抗議運動が広がり、大勢の人が同じ理想と希望を抱いているのを実感した彼らは、恐怖から解放された強靱な集団になった。

アメリカにはチュニジアの詳細はあまり入って来なかったが、両国の民主化運動のひろがりがが伝わって来た。

ちょうど高校の労働史の授業で
アメリカで起きたストライキの様子の詳細に触れる事があったので、ここに紹介したい。

 そして、非暴力の市民に催涙 弾や棍棒ばかりか実弾で応酬する政権に対して、死も怖れずに立ち向かった。共通の理想と希望のもとに行動する人々は、連帯によって、個々の限られた能力を 超えた大きな力を発揮する。わたしたちはいくつかの社会運動の中にそれを垣間見てきたが、チュニジアとエジプトの民衆はまさにその力を示した。革命の過程 で民衆は暴徒と化すこともあるが、ふだん抑圧されていた尊厳をとり戻し、高い倫理性を発揮する可能性をもつのである。理想と希望を信じて連帯する人間は、 自由と尊厳をとり戻して新たな社会を切り開くことができるーーアラブの民衆が全世界に示したこの大きな教訓を、心に刻みたい。

 、、、思いもよらなかったアラブの民衆の蜂起(イエメン、ヨルダン、アルジェリアでも抗議デモが起きている)に対し て、先進国諸政府の対応は鈍かった。チュニジアのときにすばやく反応したアメリカ合衆国も、エジプトについてはあたふたした感がある。30年来の中東外交 の重要な同盟国であるエジプトの軍隊に、アメリカは年間13億ドルも出資している(イスラエルと平和条約を結んだエジプトが、イスラエルに出兵しないため の援助)。共和党はもとより、オバマ政権内でも地域の「安定」を危惧する意見(つまりムバラク支持)があったという。しかし、2009年6月4日の「カイ ロ演説」で明確にブッシュ政権とのちがいを強調したオバマ大統領は結局、民主主義を求める反政権派を支持した。就任以来、オバマに託された希望や期待は裏 切られることもままあったが、エジプトの民衆を称えたオバマの2月11日の演説はすばらしかった。」引用終わり


アメリカにはチュニジアの詳細はあまり入って来なかったが、両国の民主化運動のひろがりがが伝わって来た。
一世紀前のアメリカで起きたストライキの様子の詳細とは、

今から1世紀前1900年代初頭におきた
ここマサチューセッツ州、Lawrence ロー1912年繊維工場の 連帯ストライキは、IWW産業複合の労働組合熟練工でもなく移民の工員も含んだ、様々な異業界に広がった労組)を中心に2ヶ月に及んだ。

新しい技術を搭載した機械を工場に導入した事で、工員の労働条件が過酷になっていた。
ストライキの直接原因は、州法で週56時間から54時間規制されたこと。時間が少なくなっても、同等の生産量を強いられ、さらに賃金は減給されたことが原因。

昼休みにランチで自分の持ち場セクションを離れる事もゆるされず、
機械への注油代は自前、もし機械の針がおれたら自分の給料から差し引かれるなど
賃金もろくに支払われず、搾り取られ、労働条件の劣悪化が加速度的にまし、工場の女たちも立ち上がった。

新移民によってなりたっていたIWWの労組は各言語によって小委員会が結成され、
各小委員会の代表らで決定事項を話し合って行った。
下の四つの要望で工員は同意に持ち込み、工場の外でピケをはり、ストライキを敢行した。

ー賃金システムの見直し
—残業手当の要求
ー賃金を上げる
ーストライキ参加者を不当に扱わない、また罰を課さない。

ストライキ支援は全米にひろがり、
ストライキ敢行している工員の子を、ニューヨークやフィラデルフィアで預かってくれる支援がでた。

一方仲裁に立った州政府は、むしろ二人以上の集団で工場の周りに集まる事を禁じる法律を発効する。
するとストライキをしていた工員は 、工場の製品を仕入れている店に繰り出し、
集団で買い物をせず、店の商売を妨害するわけでもなく、なにもせずに店の出入りを繰り返した。
やがて、商店主から州政府、工場経営者に圧力がかかり、集団を禁じる州法律が解除された。

事態の鎮圧要請をうけた警察はストライキ中の工員に屋根の上から冷水を浴びせたり、
遠地の支援団体に預けるため駅へ向かう親も子も、警察は負傷おわせた。

これらのニュースが世界へ向け発信。警察の暴力のみならず、ストライキの背景原因も伝わる

米国連邦政府が調査に乗り出す。
当時、繊維業界は 政府の保護を受けていた。
連邦政府は外国製品が入って来ないよう輸入品に高額の関税がかけて、
自国製品の独占供給を維持させていた。政府はそれを引き下げると
繊維工場の経営者に挑んだ。
間もなく
工場幹部は、労働組合ストライキの要望をのむことになる
工員のストライキの勝因は、やはり徹底した非暴力と自らを戒めた自制であり鍛錬であっただろうと当時をしる歴史書は書いていた。
こんな歴史をもつアメリカ。

当時の経営者は、民衆が労働条件の改善を訴えたのに対し、最初は警察に事態の収拾を要請したが、警察側が暴力で民衆、工員たちを取り締まるよう手段を選ばず要求する。
この間の警察の横暴さが外部へ伝わり、工場の経営にも政府にも圧力がかかり、最終的に
ストライキの要望を全面的、うけいれに発展。

Decsiplineがストライキの勝敗を握る鍵だった。と高校の歴史授業に使われた記事は結んでいた。
 
徹底した自制。感情に流されず、己を抑止して信念をもってことにあたるとでもいう意味。
  もし、エジプトの人々が長年、一部の人々に虐げられ、情報も操作されていた中でも、徹底した非暴力で抗戦したしたら、インドの独立に立ち上がった人民にも勝る、
そうしたことで民主化を
訴えていたら、それらは賞賛に値するのではないだろうか。
 
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