8/10/2011

広島記念式典に参列して。2011夏、旅日記その2

高校生が脱原発の署名を訴え、快く応じる市民の方












20年ぶりになる広島の原爆の日、8/6近辺の行事に参加して来ました。


3.11以来の脱原発の勢いでにぎやかなのか、ここ数年8.6の祈念式典自体がお祭り騒ぎの賑わいなのか、計りきれない広島の街。全国から集まった人の気に当てられ帰ってきました。

旧友から「今年は広島盛り上がるよ!!、ぜひ8・6は広島へ」との言葉に応じるように、広島へ舞い降りました。

まずは広島平和ドーム前に慰霊を捧げました。懐かしい顔、新しい顔を認め、旧友がソーラー電気で供給するコンサートに参加する前に、
まずは平和公園を一回り。
韓国、朝鮮人被爆者慰霊塔
韓国、朝鮮人被爆者慰霊塔が平和公園内に移動していました。さだこさんの折鶴塔のすぐ手前、諸宗派の墓前の隣へ。韓国朝鮮文化の死者を見送る亀の上に鎮座しています。


 
広島原爆の日の前日、被爆者の方が木陰で子どもたちに体験談を話して聞かせています


さらに目新しいのは、広島市立平和記念館が大きくなり隣のビルから入館して、体験談をかなり取り入れていること。子供が夏休みにもかかわらず、学校、自治体単位で見学に来ています。





ぜんぜん人気がなかったけど、平和記念館の裏あたりの平和公園内に国立被爆者慰霊館がありました。展示というよりは、ここで一時涼んであの日に思いを馳せてくださいといった感の建物には、瞑想の部屋のような遺影や故人のお名前が連ねてあります。
川沿いではあちこちで野外コンサートが8/5にあります。右翼も中革もいるようで、機動隊私服警官が暑苦しく平和公園を囲っています。

8/5夜には旧友の用意した市民運動の交流会会場で宿を借ります。
しかし交流会も各種講演会も、イベントにもいっぱい出席したかったのですが、時間がずれていたり、情報が入らなかったりと思い通り参加できませんでした。

こんなとき、広島駅前で広島市の職員が情報を集めておいてくれたらよかったのに。もっと駅前で資料をいただいたとき、強く要望すればよかったかな。それは広島市のみならず、ほかの市町村でも感じます。せっかくJR駅構内に市の観光案内があっても、市民の行事までは把握しておらず、もっと広く市制のみならず、住民の情報版の役割をすればといつも願っています。

各種行事に参加できなかったものの、交流会の様子は疲れて休んでいた部屋にも伝わってきます。翌朝早速の関西からやってきた若い方と長年さまざまな活動をしているという女性と情報交換しました。今日び、ビジネス界ならずとも、こうしたボランティアで手弁当でやってきている人々の交流会はアメリカでも日本でも盛んです。

8/6当日は昨夜遅くまで市民運動かの人々は交流会と称して飲み会が会ったようですが、私は早々と寝ました。が同室の大阪、東京、神奈川から来てた情勢たちは、今朝原爆投下同時刻の8時に平和ドーム前で座り込み、ダイインという我が友人らの団体の呼びかけに参加すると7時にはチェックアウトして、目の前の平和ドームへ向われたようです。一方、私は数十年ぶりの公式式典参加をしたかったので、彼女から遅れること数分、平和公園に向いました。式典会場のテント内に入るための列は7時半にはもういっぱいで、テント内に入れるか危ぶまれましたが、何とか強行突破ならず現地で出会った大阪からの別の旧友を見つけ何とか入りこみました、写真のような結構いい位置で、遺族、被爆者、認定外被爆者、来賓、外国客、一般客と区別された座席が整然と数百席あったでしょう。そのうち一般席をその場で落ち合わせた訳でもないのに、知り合いと確保できました。




前日に平和公園で案内ボランティアをしておられたご年配の男性のお話が心に浮かんできました。慰霊碑の碑文である「安らかに眠ってください。過ちは二度と繰り返しません」のこの日本語の碑文の主語の曖昧さに、議論が沸き起こったことがあるとのこと。誰が誰の過ちに対して繰り返さないといっているのか。

今年の広島市長、首相の平和宣言もこの日本語の曖昧さ、まるでわざと自分ではないといっているかのようにぼやかして終わった。「。。。。訴えている人々がいます」とした広島市長の宣言ある文末。確かに福島第一原発に触れ「核の恐怖」を持ち出したことは評価したいのですが、行政の長である自分はあくまで、被害者であると聞こえて来て仕様がありませんでした。しかしそこはあえて自分のことばとせず、責任、非難の対象をぼやかす政治的配慮がみえました。なぜ、あれほど原爆は反対だと声高に世界に叫びながら、原発の危険を日本全体で経験しながら脱原発、消費電力の見直しをしないのだろう。

今回、街全体が元気のない一地方都市岐阜からの広島祈念式典 (広島市はこれを記念式典と銘打ち、祝いの意を含む誤解を与えかねないceremony と呼んでいる、思わずそこにいる市の職員にせめてmemmorial とこの大きな看板にも書き込むよう要望したが、果たして新市長の下でも続投を求められた平和記念館館長ステーブ・リーパー氏にもこの声が届くだろうか。)への参加でした。

広島の町の印象はどこよりも元気があるということでしだ。
8月6日前夜のドームは市民の献花でうもれていました。
昼間からネオンも点灯され、デパートにも繁華街にも人々はあふれていました広島。原爆の日8.6の夜中まで営業していた平和ドーム横、県民文化会館前の花屋の店先の煌々と輝いていた裸電球が印象的でした。

式典参加の後、脱原発の若い親につれられた子供たちを含む1000名ほどの中国電力本社前々での行進でも、元気が出てきた。平和公園内の高校生の原発閉鎖をもとめる署名運動に快く答える市民の人々、そしてあちこちから集まった脱原発の思いを胸にした親子ずれと炎天下のなか2-3キロ歩きました。そんな思いは確かに伝わってきました。

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