坂口安吾の「日本文化私観」を読みながら、スリランカの旅はつづくSri Pada Journal II

スリランカの旅は続く、

家族全員iphoneを携帯してスリランカの古代遺跡と仏教遺跡を廻った。
娘たちはiphoneから70年代以降の音楽をカーステレオで流したり、ラジオで地元の音楽を聴いたり、息子はiUniversityで英国や米国の有名大学の講義を聴き、私と仏教僧は日本のiBunko青空文庫書棚より、著作権の切れている日本の書物をネットで貪り読んだ。技術進化によって旅のスタイルは変わった。ビートルを聞きながら、シリギリヤ遺跡の標高500m以上もある岩山を目前に、道なきジャングルを砂嵐をあげながら軽自動車で走り回った。それもほとんどが数年前までは考えられない旅行者が狙われていた内線地であった。



マレーシアでも、スリランカでも日本より無料ネットアクセスWiFi が、ある程度のホテルカフェにあるので、それらに停車するたび音楽や書物をダウンロードして聞きまくり、読みまくった。ネットアクセスがないところでは、スリランカの書物、仏教書籍を手にホテルで、車内で読書を楽しんだ。時には地元の人に呼ばれて家や寺院を訪ね、お茶や飲食をごちそうになることもあったが、24年前と分と様変わりし、心の有り様も、遺跡の見方さえ変化した旅となった。

現地で勧められた日本の作家の書物に坂口安吾の「日本文化私観」があった。下記の文章が妙に訴えかける。「タウトが日本を発見し、その伝統の美を発見した事と、我々が日本の伝統を見失いながら、しかも現に日本人であることの間にはタウトが全然思いもよらぬ距りがあった。ー略ー我々は古代文化を見失っているかも知れぬが、日本を見失う筈はない。ー略ー湾曲した短い足にズボンをはき、洋服を着てチョコチョコ歩き、ダンスを踊り、畳をまくって安物の椅子、テーブルにふんぞり返って気取っている。それが欧米人の眼から見て滑稽千万である事と、我々自身がその便利に満足していることの間には、全然つながりが無いのであるあ。我々が彼らを憐れみ笑う立場と我々が生活しつつある立場には根底的に相違がある。我々の生活が正当な要求にもとづく限りは彼らの憫笑がはなはだ浅薄でしょうがないのである。」

確かに24年前スリランカを訪問したときより、サリーを着ている女性は少なくなった、南スリランカではむしろイスラム正装の女性が目だった。また都市部の住宅は近代化され、彼らの携帯電話使用率はアメリカのそれと、日本のそれを超えるとさえ思える。聖地に来て、お詣りの最中にも老いも若きも携帯を離さない。私たち外国人の旅行者がスリランカの伝統とはと語る資格はおそらく無いに等しい。
しかし伝統も現代の技術も混在しているスリランカを日本と同様、そのまま受けとめたい。

さらに坂口は続ける「力士の儀礼が国技館を圧倒しても、伝統の貫禄だけで力士が永遠の生命を維持するわけにはゆかない。貫禄を維持するだけの実質が無ければ、やがては亡びる外に仕方がない。」と言っているが、スリランカの仏教遺跡を巡り、人々の篤き信仰を目の当たりにすると、彼のことばに頷ける。いくら多くのスリランカの人々が、ヒンズー寺院で、仏教寺院で携帯電話を祈りの間でも離さなかったとしても、かれらの信仰の篤さは想像を絶する。それはまったく違う形、奴隷として人民の労働力を枷に作り上げたエジプトのピラミッドとは、趣を異にし、その前には何者も圧倒されるであろう。とアナダナプーリの直径、高さ100mを超す、仏塔を前に膝間づきながら思う。

to be continued.

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コメント

  1. すみません、この記事に関係ないんですけど、
    私のブログ、gooからFC2に引っ越しました。
    今後もよろしくお願いします。
    旧:政治 http://blog.goo.ne.jp/nobuhirob 
    新:政治Ⅱ http://nobuhirob.blog.fc2.com/

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  2. 了解。こちらの栞修正しておきます。またご贔屓に。時々のぞいて頂いてありがとう。

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