「子離れ」
昨夜から我が家に、お客さんが来ている。このお客さんは、ものを申さない。
そのかわりやたらと、家を嗅ぎ回り、先日も我が家でお泊まりした時は、庭にふらっと遊びにお出かけになったと思ったら、何時間も戻って来られない。いつも食欲旺盛で我が家のご飯がよほど気に入っているのか、いつも平らげ、他のさらにも手をだし、もっとくれとばかりにこちらに目線を向けてくる。
私は躾がなっていないとばかりに、育ての親をなじったりするのも、こんな時だ。
しかし反対の立場に立ってみると、自分の躾が出来てないか、逆にはらはらして、粗相をしていなかと気になって仕方がない。
これは我が家の犬のお話.マリーと姉妹犬のアイビーのはなし。(まぎらわしい??)
2匹の親犬は雑種で、他にも9匹もいる大家族だった。生まれて2週間で、娘が父親と結託して貰い受けて来た,現在3歳の子犬である。既にわがやの親分の猫とは、来てすぐ領土争いで、ばりかかれたので、いまだに猫を恐れている。
真夜中に二人もとい2匹でトイレへ行きたいと興奮しているから、こちらも2時近くに起こされて、ぼーとしていて鎖もつけずに出してしまったのが運のつき、、、暗闇を駆け回り、1時間近く帰って来なくて、私は寝不足。一匹だと大人しくなっている姉妹なのに、つるむと見境がつかなくなるようだ。子犬の時は柵も、電子網も埋めていない我が家の林を二人で駆け回り、ハラハラして追っかけ回した。学習していないのは、こちらの方でこりもせずちょっと油断をして、昨夜2匹とも鎖もつけずに庭へ用足しにと放してしまう。
先日はわが家の犬も先様へお邪魔した。心配していないと言えば、嘘になる。何度もお泊まりしているけど、それが前回、我が犬マーリーは他所様宅で吠えまくったと聞いものだから、だいじょうぶかしら、迷惑かけていないかしらとそわそわしだす。自分が「犬離れ」していないことを思い知らされたりする。
それがようやく何度もお泊まりに出す間に、遠くにいても自分の子供を信頼する事を学んでいった。
次は実の息子のお話。先日、本人の希望でアメリカから日本へ留学した。教師として生徒を送る時は、さんざん親に「心配するなあなたの子どもは、十分にやっていけるから」と安心させているのに。息子となると話は別。それは息子に親として子離れできてない証拠だろう。彼が家を出るぎりぎりまで「まるで戦地に息子を送る母親も、こうありき?」などと考えながら、夜中過ぎまで参考書類をそろえてやったりした。最近なにかと理由をつけてやっていない洗濯のしかた、皿の洗い方をいまさら教え込もうとしたが、これは失敗。端で見ていたらさぞ滑稽な母親をやっていた。
しかし当の息子に諭されてしまった。「ママは自分が恥をかくと思っているんじゃないの。だいじょうぶ。ボクを信じて」と、はいそうです。先祖の事をよく引き合いに出すアメリカ人の夫には「自分の子どもを信じるのは、自分を育ててくれた親を、またその親を信じ尊重する事、もっと安心しろ」と。
Playing For Change | Song Around the World "Don't Worry" from Concord Music Group on Vimeo.
さらに西アフリカのある部族では、思春期になる子どもたちにイニシエーションの儀式が、ムラを離れた自然の中で1月近くこもって課される。その様子を語るとき、母は悲しいものである。子どもを送り出し無事を祈ることしかできないのだから。長老に託された子どもたちは、親元を離れ過酷な試練に耐えて、自ら生存する術、自然との対話から得た経験を得て学んでいく。一方、家で待つ親は一日、一日を日がな帰りをまちながら、子どもから感情のdetachを学んでいくんだろう。
自分の腹を痛めたこども、特に最初の子どもにはひとかたならぬ苦労をして来た、乳を飲まないと言っては、パンパンになる乳房を口にふくませて悪戦苦闘した、熱を出したと言っては一晩中介抱し、しょげていると友だちになんか言われたかと悩み、叱咤激励した。自分の身を切られる思いをして育てて来た息子を送り出すのは、自分の育てて来た事の結果を聞くような、まさしく息子に言われたような思いが重なったりした。しかし今度は後ろから背中を押し出すほどに、娘にはでーんと構えて送り出してやりたい。
そのかわりやたらと、家を嗅ぎ回り、先日も我が家でお泊まりした時は、庭にふらっと遊びにお出かけになったと思ったら、何時間も戻って来られない。いつも食欲旺盛で我が家のご飯がよほど気に入っているのか、いつも平らげ、他のさらにも手をだし、もっとくれとばかりにこちらに目線を向けてくる。
私は躾がなっていないとばかりに、育ての親をなじったりするのも、こんな時だ。
しかし反対の立場に立ってみると、自分の躾が出来てないか、逆にはらはらして、粗相をしていなかと気になって仕方がない。
これは我が家の犬のお話.マリーと姉妹犬のアイビーのはなし。(まぎらわしい??)
2匹の親犬は雑種で、他にも9匹もいる大家族だった。生まれて2週間で、娘が父親と結託して貰い受けて来た,現在3歳の子犬である。既にわがやの親分の猫とは、来てすぐ領土争いで、ばりかかれたので、いまだに猫を恐れている。
真夜中に二人もとい2匹でトイレへ行きたいと興奮しているから、こちらも2時近くに起こされて、ぼーとしていて鎖もつけずに出してしまったのが運のつき、、、暗闇を駆け回り、1時間近く帰って来なくて、私は寝不足。一匹だと大人しくなっている姉妹なのに、つるむと見境がつかなくなるようだ。子犬の時は柵も、電子網も埋めていない我が家の林を二人で駆け回り、ハラハラして追っかけ回した。学習していないのは、こちらの方でこりもせずちょっと油断をして、昨夜2匹とも鎖もつけずに庭へ用足しにと放してしまう。
先日はわが家の犬も先様へお邪魔した。心配していないと言えば、嘘になる。何度もお泊まりしているけど、それが前回、我が犬マーリーは他所様宅で吠えまくったと聞いものだから、だいじょうぶかしら、迷惑かけていないかしらとそわそわしだす。自分が「犬離れ」していないことを思い知らされたりする。
それがようやく何度もお泊まりに出す間に、遠くにいても自分の子供を信頼する事を学んでいった。
次は実の息子のお話。先日、本人の希望でアメリカから日本へ留学した。教師として生徒を送る時は、さんざん親に「心配するなあなたの子どもは、十分にやっていけるから」と安心させているのに。息子となると話は別。それは息子に親として子離れできてない証拠だろう。彼が家を出るぎりぎりまで「まるで戦地に息子を送る母親も、こうありき?」などと考えながら、夜中過ぎまで参考書類をそろえてやったりした。最近なにかと理由をつけてやっていない洗濯のしかた、皿の洗い方をいまさら教え込もうとしたが、これは失敗。端で見ていたらさぞ滑稽な母親をやっていた。
しかし当の息子に諭されてしまった。「ママは自分が恥をかくと思っているんじゃないの。だいじょうぶ。ボクを信じて」と、はいそうです。先祖の事をよく引き合いに出すアメリカ人の夫には「自分の子どもを信じるのは、自分を育ててくれた親を、またその親を信じ尊重する事、もっと安心しろ」と。
Playing For Change | Song Around the World "Don't Worry" from Concord Music Group on Vimeo.
日本のmixiなるfacebookの息子の記事にこんなビデオがのった
ここにはめ込む
さらに西アフリカのある部族では、思春期になる子どもたちにイニシエーションの儀式が、ムラを離れた自然の中で1月近くこもって課される。その様子を語るとき、母は悲しいものである。子どもを送り出し無事を祈ることしかできないのだから。長老に託された子どもたちは、親元を離れ過酷な試練に耐えて、自ら生存する術、自然との対話から得た経験を得て学んでいく。一方、家で待つ親は一日、一日を日がな帰りをまちながら、子どもから感情のdetachを学んでいくんだろう。
自分の腹を痛めたこども、特に最初の子どもにはひとかたならぬ苦労をして来た、乳を飲まないと言っては、パンパンになる乳房を口にふくませて悪戦苦闘した、熱を出したと言っては一晩中介抱し、しょげていると友だちになんか言われたかと悩み、叱咤激励した。自分の身を切られる思いをして育てて来た息子を送り出すのは、自分の育てて来た事の結果を聞くような、まさしく息子に言われたような思いが重なったりした。しかし今度は後ろから背中を押し出すほどに、娘にはでーんと構えて送り出してやりたい。
私も親の立場は、経験が無いので分かりませんが、留学は30過ぎで語学留学した身として、言わせていただくと、意外と何とかなるもんです。
返信削除これでホームシックになって、毎日電話が鳴るようでも困るでしょ!^^;
何とかどころか、送られる側はそんな送る親の思いも露しらず、元気にやっているようです。日常会話に事欠かないバイリンガルの息子でも英語で読み書きをしていたので、平仮名しか知らなくても1週間で日本の学校になれ、今はホームステイ先も、学校の先生からもしっかりやっているとお墨付きをもらいました。
返信削除しかし、ここでもんんだいとしているのは、送る側の話です。私自身も20でやはり知らない人ばかりのフロリダへ短期留学し、さらに東京での仕事を辞めて、世界中を回って親に居場所も知らせなかった親不孝を今思うと、親はこんな身を切る思いをして日本で私を送り出したんだと、慮っているというお話でした。