死の近景 風のガーデン II
前回は、日本語で死と向かい合うとどうなるかを英語で投稿した。(日本語フォント使用のコンピューターがダウンしていたためもある)
今度はアメリカで死と向かい合うとは、どういう事かをアイルランド=ドイツ系アメリカ人の夫の家族やインディアンやアフリカ系と様々な友人を見送った多少の経験から書いてみたい。
3月春先に、日本で平和を訴えて講演活動を続けていたベトナム帰還兵の知人があの世に召された。
関西、北陸、沖縄、東京から彼と親しい人々が死の間際にかけつけ、さらに数週間後には、葬儀のためにも数日間だけやって来られた。アメリカではとても奇特な人とうつる。どうもこちらでは、一旦人がなくなると、そこで関係が終わってしまう様に感じる人が多いせいではないか。
ドラマ「風のガーデン」で生前葬儀が営まれた。葬儀参列者の人数でその人がどれだけの人と交わり、生前に社会的影響を及ぼしていたかと、葬儀までわからないことがあるので、主人公の貴一は人々の赤裸々なすこし脚色がかった弔文を、恥じ入りながら、また笑い転げて聴いている。
このようにお世話になった人の義理を返すという意味での
葬儀参列がアメリカでは見られない。
また家族がなくなっても、遺族はあまりあちこち知らせない。せいぜい地元新聞にobituary として掲載して、葬儀の知らせをするぐらいだから、新聞を普段から気をつけてみていないと知り合いが亡くなった事もしらない。ましてや死の報せを後から知っても、お線香をご仏前にあげに行くなんて事はない。
以前からハトコcafeさん(サイドバー参照)で何度も書き込みを入れているが、
アメリカでは特別な手続きをしない限り、州によって多少の違いがあるものの、一旦霊魂が肉体を離れると故人は、
実にあっさりと病院や葬儀屋の霊安室に運ばれ放置される。
そしてお通夜や葬儀で死化粧されるまで(またはそれさえもないことも往々にしてあるが)お目にかかれない。
衛生的な法律からだそうで。
さらに故人の遺志で、棺桶で顔を見せないでほしいというと、
本人不在で葬儀がまたは儀式としてでなく、簡単な友人の集まりのみで行われる事もある。日本のようにお香を炊いて、弔うまで昼夜そばに居てあげるという事は考えられないらしい。
さて本題にもどるが、倉本聰はドラマの中で、緒形拳扮するターミナルケアーの医師にこう言わせている。
「確かに大病院にて、生命維持の機械を施してもらって、で出来るだけの事をやってやりたいという家族のお気持ちもありましょう。しかしそうしても、家族にはあれをしてやればよかった、これもと悔いが残ります。それよりも自宅で家族と死と向きあいながら、離れゆくものも、送り出す家族も、最期の最期まで一緒に旅立つ前の生を共に過ごす事も大事ですよ」とこんな内容だった。この文句を聞く都度、泣けて仕様がない。
アメリカでカソリック教徒だった夫の母と姉を見送った。私自身は二人の臨終には間に合わなかったが、二人とも自宅で最期を迎えた。近くに住む妹も夫も仕事をなげうって交替で介護し、最期の最期まで長姉や実母と時を共有した。
アメリカでも私の回りは夫を始め皆、末期の病人を誠心誠意自宅で介護して送り出すものが多い。
日本の様に病院のベッドで介護を受ける事がなかなかままならないのも、理由の一つ。訪問介護の数も極端に少ないし、介護が保険でカバーされてもせいぜい週に1〜2度数時間程度だ。ましてやお風呂まで入れてもらえない、いわゆる医療診断的チェックでしかない。「風のガーデン」では訪問看護士が「いもほり」(ドラマ参照)まですることに驚嘆を感じる。ましてや行政の提供するデイサービスというのも聞かない。本当にかわいそうなお年寄りや、家族の急死で遺体との対面なしにお別れもいえなかった遺族がアメリカには、多くいる。
それで仏教徒の私達は、自宅で息を引き取った義姉の時もすぐには葬儀屋には連絡せず、私達が駆けつけるまで待っててもらって、香や経をあげて送りだすことができた。とくに義母はmedical proxiなるもので生命維持を一切必要ないと、全てのチューブを外し自宅で言葉が交わせないまま、食事もせずに3週間すごした。
義姉も義母も最期の病巣との闘いは壮絶というより平和な時間だった。そして「あ、今魂が離脱したな」と皆分かったらしい。私には義母は昏睡状態だと思われていたのに、手をしっかり握り返してくれたり、時々あの世に先に行った娘や家族が訪ねてくるのか、宙を見上げて微笑んだりしていた。義母は摂食せず、口に脱脂綿で水分補給を家族より受けただけで、3週間自宅で夫や孫やひ孫、息子、娘や嫁、婿に囲まれながらすごした。本当に幸せな3週間ではなかっただろうか。
一方、日本の私の祖父母もお正月やお盆に子どもや孫たちが散々ごご集まったあと、それを見届けるように自宅でなくなっている。しかし海外で暮らす身には、このお別れの時間がなかなかもてない。覚悟をして来たつもりでも、家族が死と向かい合う最期をともに出来る幸せな時間をもちたいとねがってしまう。
娘も息子も祖母の死を叔母の死を見届けた。また親が友人たちの死を聞きつけると、たとえ早朝であろうと眠い目をこすりながら、お別れの挨拶に付き合って来た。子どもは生命の尊重を身をもって経験しただろうか。アメリカの地でも日本式にお別れをして来た子どもたちは、「死んでも関係がつづく」日本の人の関係を学んでいったにちがいない。確かに、人と人の関係は文化によるし、ましてや「死」というものの受け止め方も、文化、言語によってもかなり違うだろう。
しかしアフリカはフルキナファソの友人部族の話では「西洋現代人は「死」というものを忌みきらい避けて来た。さっさと臭いものに蓋をして葬儀を済ませてしまう。これでは弔いにならない。なぜなら十分に別れを言えなかったものにはgriefがのこる」と。弔うとは、魂をあの世に送り出す儀式と、同時に残されたものも段階を経てお別れするプロセスだと私は解釈している。
まだ小さかった娘が紙切れを昏睡状態のgrandmaの枕元に挟んでいた。grandma亡き後そっと薪ストーブにくべていた詩がある。
THE BEGIN AND THE END
The begin of life is like the end of life when your heart
swells with love for the one you see
For the one you love
For the one who loves you
http://www.youtube.com/view_play_list?p=7A5F0CB010ECE8E4&search_query=stand by me around the world
国や宗教などによって考え方がそれぞれですねぇ〜
返信削除勉強になります(^^ゞ
投稿した内容はあくまでアメリカの私の個人的感想です。韓国はいかがですか。
返信削除介護、死を目前にした本人と家族の向かいあうようす。ぜひ伺いたいですね
コメントありがとうございました。