和食じゃない、名ばかりの日本料理が繁盛していく アメリカの都市

日本の料理番組をコンピューターでサーフィングしていたら、
和食が世界遺産に登録されるとか。


母国の文化といっても過言でない和食が世界の舞台で、「これも文化の一つですよ」と認められたという。
和食が大好物の人間にとって、日本の料理がもてはやされ、欠かせない豆腐等の食材も簡単に手に入るようになったのには、感謝せねばならない。
30数年前、米国の日本から一番遠いフロリダの大学へ留学していた。その時ホストファミリーにすき焼きを食べさせようと、豆腐を求めて2時間も遠路車を出したことを思えば、
今は地方都市でも豆腐はもちろん、シラタキや枝豆、カレー粉まで普通のスーパー果てはウオールマートにまで売っている。アジアの食材を扱っているグローサリーに行かなくても、簡単に手に入る様になった。その味もアジア人以外にも浸透していて、先日も日本のカレーを食べさせてやると日本のこと等何も知らない黒人のご近所さんにごちそうになった。まさしくアメリカの大地に根付いた感がする。


しかし、、、、、その一方で、あまりに取り上げられすぎ、日本料理屋と銘打つだけでもどこでも繁盛している事実が、各地の日本料理や質の低下を招いているのも確かである。

日系移民が昔から入っていた西部はもとより、ニューヨークやボストンといった大都市だけでなく、南部も、中西部の中小都市ならどこでも手軽にすしバーがある。

ニューヨークのマンハッタンに至っては、NYタイムズの日曜版の料理ページに掲載されるとたちまち、有名店になって、長蛇の列が出来てしまうほどだ。日本料理の食材も見直されたりする。NYタイムズの記者の中には、絶対に日本の家族がいるに違いないと考えてしまう程、密かに日本人の中の穴場として愛用されていた日本料理店が読者に紹介される。過去には「さんま」「ラーメン」「和蕎麦」「冷酒、樽酒」などの食材が、タイムズ誌で紹介されたと同時に値上がりである。
それを出すレストランも手頃な値段だと紹介されたお店はすぐに数時間待ちの超満員になり、サービスの低下、味の堕落を余儀なくされる。
それは、日本食のアメリカ文化化になってしまった感もする。それを受け入れるか、歓迎するかはそれぞれの価値観であろう。

しかし、
もう数時間かけてNYまで車を飛ばして、ラーメン屋たこ焼き、寿司屋や居酒屋に行く愉しみがなくなった。

また日本語教師として言わせてもらえば、先日も新装開店の店で「揚げ出し豆腐」を頼んだら、Aged Tofu(年数をおいて燻された豆腐という意味の豆腐)と何度も修正してもそう注文をとって行くウェイトレスがいたり、「とろろそば」をボストンで注文したら「トトロ蕎麦」としかいえなくて、それを簡単に受け入れるプエルトリカンのシェフだったりと、サービスとオーセンティしティー本家の正当性を嘆いたりする。

こうしてどんどん、現地化する和食を世界遺産として称賛されても、それはいったいどういう理由でと尋ね直したくなる。
オリジナルの形なのか、いかに世界の各地に浸透したかということなのだろうか。




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