「学ぶ」ということ 

「学ぶ」ことについて、このごろ短絡的な意見をいくつか聞いた。

たとえば「勉強したからといって、何になる? 将来それで食っていくとか、職業につながる勉強なら別だが、OOしてどうする?」と日本の親がせっかく放送大学入り直して学ぼうとしている息子にぼやいている。

アメリカの高校へ通う子が「今、ボクが勉強しているのはお金のためだ。はっきり言って、お金のためじゃなかったらこんな勉強はしない。将来大学へ行けるため、将来収入のよい職業へつくためだ、」と。

今、「学ぶ」という事、知識の蓄え、その応用、経験から得るといったことが貨幣価値に変換されなければ、意味がないと「学ぶ」本来の姿が忘れられていると思う。

収入のため、衣食住を得て生きていくためのみ学校へ子どもを送り、教育を受けているのだろうか。

「学ぶ」ということで、人生を豊かにしていく
「学ぶ」ことで人間の深みをますこと
本や視聴覚にうったえた机上の理論ばかりが「学ぶ」のではないだろう。
しかも身体のほんの一部、例えば脳だけ、を使って、人は学ぶのだろうか。

「学ぶ」ことの愉しさをどのように次世代につたえるか、今一度考えてみたい。

成績の善し悪しを決める判断基準のためにしてほしくない。、
さらに親が「学ぶ」ことの面白さを見いだしていない子に、就職のためだ、お金のためだと力説するのもどこかむなしく、本来の「学ぶ」姿勢からさらに遠ざけているような気がしてならない。
「学ぶ」ことにお金がかかると、教育産業をウランでもしようがない。
ましてや知識のひけらかしのためでも、ないだろう。

結果をすぐ求める現在の傾向のなかでこそ、
貨幣価値に置き換える事が出来ない「学び」の重要性を今一度考えてみたい。





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コメント

  1. 初めまして、リトラジ経由で参りました。今日介です。
    探究心を忘れないこと、冒険心を持つ事。そして、学ぶことの喜び、せわしない現代の学生たちには大変かもしれませんね!^^

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  2. コメントありがとうございます。
    最近、自分のブログばかりか、リトラジも他の方のブログも、息子と生徒の日本への留学準備やらなにやらで、とんとご撫沙汰でした。こうしてコメントをいただいて、読んでくださっている方もいるんだと、励みになります。正直いって、親として身につまされる課題をずっと書きたいと思っての投稿でした。また遊びに来てください。

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  3. 何かを学ぶことが出来るということは、一部の国の人からしてみたらとても贅沢なことなのに、いつのまにかその意義を忘れてしまってる人の多いこと
    そういう私も、若い頃は「関数やら代数やらの授業に一体なんの意味がある。将来何の役にも立たん」などどうそぶいてたこともありました

    しかし恩師に「学問で無駄なことは一切ない。無益だと思えることさえ有益なのだ。いつか自分の血となり肉となって返ってくる」と諭されたことがありました
    今、自分が年をとってみて恩師の言葉が本当に身に沁みます
    この言葉がもらえただけでも私はラッキーだったと思ってます

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  4. すてきな先生を持っていましたね。
    お久しぶりです。
    インドの独立に呈したガンジー翁も言っていました「結果が問題じゃない、そこにいたるまでが問題だ」と
    「学び」は過程なんですね。はとこさんの恩師はそこらへんを見据えていたんですね。すごいですね。今の実験も、受験も、長期でみるといろいろんな影響が出ているだろうに、数字に表せない、証明できないと切り捨てられているような気がしませんか。

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