お彼岸に学ぶ縁と先人たちの叡智

祖国日本に想いを馳せながら,日本の年中行事、正月、節分、お彼岸をアメリカの地で
味わっている自分がいるかとおもえば、

インディアンの友人に「イニシエーションも済ませない限り、あなたは真にこの亀の島Turtle Islandの地(北米大陸の事を最初に日の出をみる部族、ワンパノグ族のメディスンマンや長老は呼ぶ)の住人になれない」
などと冗談まじりにいわれ、
それもそうだなとぼんやりと考えたりしている。

先回の投稿のごとく、緩やかな春の訪れを喜んでいる自分を発見していた。
フーン、米国には日本のような季節ごとの味わいがあまりないと思っていたけど、まんざらでもない。メイプルシロップの季節もこんなに味わい深いんだーー。


ここ2−3日、さらにまた不思議な展開になってきた。

アイリッシュ系アメリカ移民の曾祖父母をもつ米人夫と
アイルランドのお祭りセントパトリックデー(3月17日)にちなんだコーンビーフの材料をなぜか買ってしまった。

一度もアイルランド料理に挑戦した事も、アイルランドへ行った時でさえ、正当なアイルランド料理等食べた事がないし、彼の実家でも頂いた事がなかった。

なのに、
大大成功なBoiled Corned Beef and Cabege コーンビーフが出来、とてもおいしくおいしくいただいた。
どのインターネットレシピーもピクルス用のスパイス使用と書いてあるが、近所の店にはなくて、
マスタードシード、粒こしょう、デリ、クミンを既にある程度下ごしらえしてあった地元産ビーフに練り込んで
2時間半似るだけ、。
あははは、これは私の腕ではなく、下ごしらえされた材料がきっと絶品だったんだろう。

そうこうする内、アイルランド直系の叔母他界のニュースが入って来る。早速、昨夜葬儀に参列してきた。
これで3人の兄姉を亡くし残された叔母と叔父は、それでも日本で言う葬儀の後のおとき
夕食会で、自分や娘たちを出汁に面白おかしく話しをして大笑いしていた。
私もはじめてこの家族と心の底から笑い、
死者を弔う事が出来た夜だった。

アイリッシュ家族の典型で、大家族の叔母や叔父を始め、夫の並みいる従兄弟にもそのこども達にも認められたと感じた一時だった。
コーンビーフのおかげかな。
義母や叔母たちが中心となって集まるレイバーでーのお祝いに来ていた従兄弟の息子たち
ひ孫もロンドンやドイツ、ネパールに住み始めたものもあり、
葬儀参列に駆けつけ、私の事もおぼえていくれてたとは、なんとかなく居心地がいい。

思い出話しに花を咲かせ、故人へ思いをはせる
何年も会っていない親戚に、知人に会い故人を偲ぶ。
そんなとき、思いがけない繋がりがあるのにおどろく。

亡くなった叔母の元旦那も参列していた。
元旦那は夫の故実父や故祖父とも生前親しくしていて、思わぬ話しを聞かされた。
父親の生前にはゆっくり話しを訊いてあげる事がなかったが、
実父の在りし日の人生の一コマを聞く事ができ、とても有難い時間だった。

私個人的には、以前なら自分の英語のアクセントが聞き取られていないと思い込んみ
手持ち無沙汰だったそんなあつまりに、
実は叔母や義母たちも単に耳が遠くて、
だれの言っている事も半分位しかききとれないとわかった。
そんな事もネタに皆で笑い飛ばせたことは、故人が私たちに
もたらせてくれた至福な時間だった。

おりにふれ耳の遠い叔母や、従兄弟たちは話しの中で
「今頃はあちらでも、先にいったみんなが楽しくやっているわよ」なんて言い合っている。
仏教でいう生まれ変わり輪廻は信じていないかもしれないが
そんなカソリック教徒の親戚たちの中に、
あの世、彼岸というものをはしっかり浸透しているようで、
みな故人が肉体をなくして魂として近くに来てくれた事をよろこび、
そんな故人がまるで近くにいるがごとくひそひそ話をしたり、ふざけたりして彼岸を感じあっている。

何年か前に他界した故叔母や故義母もこの夕食会に同席し、
一緒に笑っている様な気になってきた。
彼女らの生前の姿がまざまざと浮かんで来る。
また生前には会った事のない夫の祖父や曾祖父母までがやってきて
微笑んで会話を見守っているようだった。


アメリカへ移民して来た様々な祖国をもつ現代のアメリカ人の中でも、
アイルランド系移民は特に連帯感があり、大家族的な繋がりがある。
実際3世代までならアイルランドを離れて移民してきても
アイルランドの市民権がもらえるそうで、ここアメリカではよくそんな事も話題になる。
アイルランド系として思いを馳せた彼岸だった。



また、
一昨日に、ある友人姉弟がふと我が家を訪ねて来た。
この友人姉弟の母方は地元の由緒ある家系だが、まさしく呪われているのでは誰もが言い合うほど
自殺者を何人かだし、今残された姉弟も後継者がいないばかりか、特に親しくしている弟の方はいいろんなトラウマに悩まされている。
どうして由緒ある家系かというと、、、
彼らから出て来た話しの糸を、
現在とつなぎ合わせてみると、その不思議さに驚かされる。

それは1870年頃の日米の接触を思わせる
この姉弟の日本との出会いだった。

彼らの曾祖父はアマースト大の副総長を1800年代終わりー1900年初頭につとめた。
そしてウィリアム・クラーク(:北大の前身札幌農学校を初代校長、多くの明治期の傑出者を生徒にもつ、アメリカへ帰国後アマースト大で自然史教授となる。そのクラーク氏を慕いマサチューセッツのアマースト大で学ぶ事となる)や
エミリー・ディッキンソン(:ロバート・フロストと共に米国の代表的な詩人、父親はやはりアマースト大の教授)
と交流があり、どうも日本の当時明治期初期のことをいろいろ聞いてのではないかと思われる。
という話しになった。

どうしてこれが不思議な縁かというと。
この友人はふとした縁で日本の修行僧に感銘をうけ、
仏舎利塔をこの地に作って欲しいと1980年代に土地を提供している。
現在の日米関係を懸念して、広島を訪ね、
米国の対日政策を憂いて、この修行僧たちは
米国で活躍しているが、その拠点とも言うべき地を彼らが提供したとみるからだ。

その修行僧の師は、広い米国の地のこの小さな地元大学の町、
アマーストを書物で読んで知っていた。
それはかのウィリアム・クラークの弟子のひとりでやはりアマースト大の卒業生、内村鑑三を敬っていたからだ。
つまるところ、姉と弟それぞれ、
別々の時代に、北米の地にインディアンの招待でやって来て、この土地で戦いのない暮らしを祈り続けて来た修行僧たちに会っている。そして大きなお土産をかれらに託していた。

この事実はもう、わたしたちの想像をはなれた大きな人と人のうねりとなり、
1860年代に残されたしごと日米の対等な関係と交流外交という宿題を
いまになってこの姉弟に託したと思われる。

その修行僧たちは、数年前の彼岸に始まったイラク攻撃でのイラクの人々と米軍人の悼みをおもい、
米こkの土地が原発で泣いているといって、浄化を祈り、
日本の平和憲法がアメリカでもその志が受け継がれるように行動をおこしている。
ワンパノグ族をはじめ、かれら二人の姉弟のような多くの地元の人々とともに平和への祈願とともに行動している。

どんな種がどこでどのような芽を出すか分からない。
どんな縁がどこでつながるか、私ども凡人にはなかなか見えて来ない、
でもふとその叡智の発端を感じた彼岸であった。

さらに祖国日本で叔父が他界したとの報を受けた。
彼岸はいろんなメッセージが込められた日々であることをわすれていた。
かくいう私自身、10年ほど前に2年連続で事故にあっている。当て逃げされたり、
道路を封鎖していた大木を動かそうとして真っ逆さまさに転倒したり、怪我がつづいた。
しかもここ数年、彼岸に特に高齢といわない50-70代の友人、叔父,叔母を見送った。
彼ら彼女らの冥福を祈りたい。
私たちにはどんな人生の課題があるかと、考える日々が
彼岸をすごす戒めとうけとった。






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